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また、君の名前を呼ぶ  作者: 天城 真空
第Ⅰ部《消えた少女》

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第十三話 向こうから、こっちへ

目を覚まして最初に考えたのは、ルナのことだった。

昨日、ようやく会えた。声だけではなく、ちゃんと顔を見て話すことができた。それなのに、俺は一人で戻ってきた。


机の上には、黒い髪飾りが置いてある。ルナがいらないと言って、それでも俺が預かってきたものだ。


『俺は、お前が帰ってきた時に返す』


言ってしまった以上、返す方法を探さなければならない。

ルナは一度、自分で裂け目を越えようとしている。その時に何が起きたのかも聞いた。同じことをもう一度やらせるわけにはいかないし、俺が向こうへ行くのも駄目だ。昨日は戻れた。それが次も同じとは限らない。


だったら、別の方法を探すしかない。

ルナがこちらへ戻れないなら、向こうにあるものをこちらへ戻す方法を。



学院の書庫で、それらしい記録を片っ端から探した。

離れた場所を繋ぐ魔法や、物だけを遠くへ移す術はいくつか見つかった。ただ、どれも術式で指定した場所同士を繋ぐもので、白い場所について書かれたものではない。そもそも、あの場所がどこなのかさえ分かっていない。


何冊目かの本を閉じたところで、窓の外が赤くなっていることに気づいた。

「もうこんな時間か」

結局、分かったことはほとんどなかった。


それでも昨日までとは違う。

ルナはいる。帰れないだけで、消えてしまったわけじゃない。なら、方法がないと決まったわけでもない。


書庫を出て、いつもの道を歩く。

この辺りでは何度もルナの名前を呼んだ。声が聞こえたこともあれば、何も起こらなかったこともある。


名前を呼んだこと。黒い髪飾りを持っていたこと。そして、水の音が聞こえたこと。

どれも裂け目が現れた時にあったものだ。でも、同じことをして何も起こらなかったこともある。


俺が特別な魔法を使ったわけじゃない。裂け目を開くための術式だって知らない。

それでも昨日、俺は向こうへ行けた。


何が違ったんだろう。


考えても答えは出なかった。



部屋へ戻ると、机の上に紙を広げた。

覚えている限りのことを書き出してみる。


ルナの名前。

黒い髪飾り。

水の音。


しばらく眺めてみたが、やっぱり分からない。


「……これだけか」


髪飾りを手に取る。

これはルナのものだ。今は俺が持っているけれど、本来なら向こうにいるルナのそばにあるはずだった。


そこで、ふと思う。


今まで俺は、どうすれば向こうへ行けるのかばかり考えていた。

でも、俺が向こうへ行く必要はない。


帰ってきてほしいのは、ルナの方だ。


俺から向こうへ行くんじゃない。

向こうから、こっちへ。


ぽつん、と水滴の落ちる音がした。


顔を上げる。

聞き間違いじゃない。もう一度、水の音がした。


目の前の空間が白く揺れる。

現れた亀裂は、昨日とは比べものにならないほど小さかった。指一本通るかどうか。それでも向こう側には、見慣れた白い景色がある。


「ルナ?」


返事はなかった。

亀裂はすぐに細くなり始める。


また駄目か。


そう思った時、向こう側で何かが動いた。

白い地面を滑るように小さな何かが近づいてくる。そのまま亀裂へ触れた瞬間、姿が消えた。


カラン。


足元から音がした。


亀裂はもう消えている。

その代わり、床にはさっきまでなかったものが落ちていた。


小さな銀色の留め具だった。


「……何だ、これ」


拾い上げて確かめる。

見覚えはない。どこにでもありそうな留め具だ。


でも、俺は見ていた。

これが白い場所から亀裂を通って、こちら側へ落ちてくるところを。


消えていない。

俺の手の中に、ちゃんと残っている。


ルナが裂け目を越えようとした時とは違う。


向こうにあったものが、こちらへ来た。


「……戻せるかもしれない」


どうして成功したのかは分からない。もう一度できる保証もない。

それでも初めて、帰れないというルナの言葉に違う答えを返せる気がした。


物が戻せるなら、その先があるかもしれない。

いつか、ルナだって。


銀色の留め具を握った、その時だった。


扉が叩かれた。

開けると、大家が立っている。何度も顔を合わせている男だ。


「ああ、すみません」

大家は俺の顔を見るなり、困ったように眉を寄せた。

「どちら様でしたっけ」

「……俺ですけど」

「ええと……」


冗談を言っているようには見えなかった。

大家はしばらく俺の顔を見つめ、やがて思い出したように目を開く。


「ああ、カイ君か。すまない。どうしたんだろうな、急に名前が出てこなくて」


大家は笑っていた。

俺は何も言えなかった。


手の中には、白い場所から来た銀色の留め具がある。

向こうにあったものが、こちらへ来た。


そして、その直後。


俺は一瞬、忘れられた。

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