第十四話 絶対、戻す
次の日、俺は銀色の留め具を握って、ルナを探していた。
昨日、白い場所からこちらへ落ちてきたものだ。ただの小さな留め具にしか見えない。それでも、向こうにあったものがこちらへ来た。それだけは間違いない。
問題は、その直後に大家が俺のことを忘れたことだった。
ほんの一瞬で、すぐに名前を思い出した。偶然かもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。
だから確かめたかった。ルナに会って、昨日何が起きたのかを伝えたかった。
何度か名前を呼びながら歩いていると、水の音が聞こえた。
足を止めると、目の前の空間が白く揺れ、細い亀裂が開く。その向こうに白い景色が見えた。
「ルナ」
しばらく待つと、白い景色の奥から人影が近づいてきた。銀色の髪が見える。
「……また来た」
「来るって言っただろ」
「来ないでって言った」
「それも聞いた。今日は見せたいものがある」
手の中の留め具を亀裂の前へ出す。
ルナはそれを見た瞬間、目を見開いた。
「……それ」
「知ってるのか?」
「昨日、ここに落ちてた。急に消えたから、何だろうって思ってた」
「こっちに来た」
「……え?」
小さな亀裂が開き、そこから留め具が落ちてきたことを説明する。
話を聞き終えたルナは、しばらく俺の手を見つめていた。
「消えなかったの?」
「ああ。普通に触れる」
指先で転がして見せる。形が崩れた様子もない。
「だから、たぶん――」
「カイは?」
言葉を遮られた。
「俺?」
「何もなかった?」
答える前に、ルナの表情が変わった。
「何かあったの?」
「……大家に一瞬だけ忘れられた」
「昨日のあれをやったあと?」
「そうだけど、すぐ思い出した」
「一瞬でも同じでしょ」
声が低くなる。
「もうやらないで」
「それは無理」
「カイ」
「まだ関係あるって決まったわけじゃない」
「関係ないとも決まってない」
ルナは俺を睨んだ。
「私を戻そうとして、カイが消えたら意味ない」
言い返せなかった。
自分が危ないからやめろと言われても、たぶん俺はやめない。でも、ルナが何を怖がっているのかは分かっている。
「無茶はしない」
「昨日もうしてる」
「……それはそうだけど」
ルナが呆れたように息を吐く。
俺は手の中の留め具を見た。
「でも、やめない」
ルナが黙る。
「これがこっちに来たんだ。お前は帰れないって言ったけど、向こうにあるもの全部が戻れないわけじゃなかった」
まだ小さな留め具一つだ。どうして成功したのかも、次に同じことができるのかも分からない。
それでも、昨日までなかった可能性が今は手の中にある。
「だったら、方法はあるかもしれない。俺はそれを探す」
ルナは何も言わなかった。
やがて視線を落とし、小さな声で言う。
「……危ないよ」
「知ってる」
「また忘れられるかもしれない」
「ああ。だから、何が起きるか確かめながらやる」
大丈夫だとは言えなかった。
俺にも分からないことばかりだ。それでも、ここでやめるという選択だけはなかった。
「絶対、戻す」
ルナが顔を上げる。
「……どうやって?」
「知らない」
「……馬鹿」
「知ってる」
少しだけ、ルナの表情が緩んだ。
最初は、ただ見つけたかった。
誰も覚えていなくても、俺だけはルナがいたことを知っていた。だから探した。そして、ようやく見つけた。
なら次は、帰す。
黒い髪飾りも、まだ返していない。
帰ってきた時に返すと決めた。
「待ってろ、ルナ。絶対、戻すから」
あの時は、誰もいない部屋で名前を呼んだ。
今は違う。ルナは目の前にいる。
しばらく俺を見ていたルナが、小さく頷いた。
「……うん」
初めて、否定されなかった。
その時、白い世界の奥から声がした。
「――絶対、ね」
俺とルナが同時に振り向く。
何もないはずの白い景色に、一人の女が立っていた。いつからそこにいたのか分からない。
ルナも知らないらしい。表情を強張らせ、女から目を離さない。
女はそんなルナを気にする様子もなく、俺の手にある銀色の留め具を見ていた。
「随分と面白いことをしているのね」
「……誰だ?」
女は答えず、俺とルナを順番に見る。
やがて俺に視線を戻すと、わずかに目を細めた。
「あなたなら、本当に戻せるのかしら」
白い亀裂が揺れた。
第Ⅰ部《消えた少女》 完




