第64話 サク・ニクテとエク・ニクテ、王妃取扱説明書を受け取る
「……エク」
「……サク」
二人は、手渡された樹皮紙の束を、しばらく無言で見つめていた。
チャーク・ツィブ(専務)は、それだけを渡すと、何も言わずに颯爽と去っていった。
「これ……本当に、私たちが読むべきものなのかな」
サクが、恐る恐る一枚目を開く。
「『王妃取扱説明書』……初版……」
「初版ってことは」
エクが眉をひそめる。
「これから版が増えるってこと?」
「……考えたくない」
サクが小さく息を吸ってから、声に出して読み始めた。
「『最重要警告。王妃(以下「本製品」という。)は、ドブ・ヘドロ・沼地等を、危険ではなく福利厚生と誤認する仕様』……」
「サク、待って」
「え?」
「今、『本製品』って書いてある」
エクが、震える指で該当箇所を指した。
「王妃様のこと、『本製品』って呼んでる……」
「……見なかったことにしよう」
「うん」
二人は、示し合わせたわけでもなく、同時に一枚目を静かに裏返した。
◇
「二枚目、いくよ」
「うん」
「『起床方法。起床は、社長の専権事項』……社長って」
「陛下のことだよね、たぶん」
「陛下のこと社長って呼ぶんだ、この人」
「専務だから、社長がいるのは自然な流れなのかも」
「いや、そういうこと?」
サクが首をひねりながら読み進める。
「『部品名称。社章(左二の腕のジャガー紋章)。社員証(首輪)。聖遺物』……」
「聖遺物」
エクが、その一語だけをぽつりと復唱した。
「これって、いつも王妃様が磨いてる、あのスコップのこと?」
「たぶん、そう」
「聖遺物なんだ……」
「聖遺物なんだって」
二人して、それ以上のコメントを放棄した。
◇
「三枚目。応用的な使い方」
「怖いんだけど」
「読むよ」
「うん」
「『拡張言語モジュール、二人だけのニホンゴ』……」
「二人だけの、何?」
「ニホンゴ。外交交渉時、陛下の背後に控えさせた状態で、ブラフです、ペンディングで、等の暗号的助言を得られる、当社門外不出の裏技」
「……見たことある」
エクが、ふと真顔になった。
「先月の交渉の時、王妃様、ずっと無表情で陛下の後ろに立ってらしたでしょ。あのとき、時々、口元だけ動いてた」
「うん、見た」
「あれ、そういうことだったんだ……」
「規模が大きすぎて、ちょっと理解が追いつかない」
二人は、しばし黙って天井を見上げた。
◇
「四枚目、メンテナンス」
「サク、これもう単語がおかしいよ。メンテナンスって何」
「わからない。でも、多分『お世話の仕方』ってことだと思う」
「『最重要。定期ドブさらいの実施。本製品は、月に一定回数、実際にドブまたは水路の清掃作業へ従事させることを強く推奨します』」
「王妃様に、ドブさらいをさせなきゃいけないの……?」
「専務がそう書いてる」
「これ、私たち新人が、王妃様にドブさらいを命じるってこと?」
「無理」
「無理だよね」
「絶対無理」
二人は、その一文だけで、深いため息をついた。
「『これを怠ると、王妃としての機能不全が急速に進行し、最終的には玉座の間で解せぬを連呼する重篤な状態に至ります』」
「解せぬ、って王妃様の口癖だよね」
「うん、よく言ってる」
「あれ、故障状態だったんだ……」
「知らなかった」
「私たちも、いつも軽く聞き流してた」
「それでよかったみたい。次のページに、そう書いてある」
◇
「五枚目、廃棄方法……」
「これ読む必要ある?」
「一応、全部読めって言われたし」
「『廃棄不可』……それだけ?」
「それだけ」
「一文字も無駄がないね」
「潔いというか、何というか」
二人は顔を見合わせ、どちらからともなく、小さく笑ってしまった。緊張が、少しだけ緩んだ。
◇
「六枚目。トラブルシューティング」
「これ、一番大事なやつじゃない?」
「うん、真剣に読もう」
「『Q オンボーディング、秘密保持契約等、如何なる言語にも該当しない単語を発することがあります。故障でしょうか』」
「あ、それ私、聞いたことある」
エクが手を挙げた。
「王妃様、たまに独り言でそういうの言ってる」
「答え、なんて書いてある?」
「『通常動作です。基本的に聞き流すことを推奨します。当職も長年これに従事しておりますが、いまだ全容の解明には至っておりません』」
「専務も、分かってないんだ」
「専務も、分かってないんだって」
「なんか、ちょっと安心した」
「私たちだけが分からないんじゃないんだね」
二人は、そこで初めて、少しだけ肩の力を抜いた。
◇
「七枚目。保証・アフターサービス」
「『修理依頼・問い合わせ窓口。陛下、次いで書記官長。ただし、いずれも相当程度私情を挟むため、公正な対応を期待される場合は、神獣クロへの相談を推奨します』」
「クロ様に相談……?」
「『がうのひと吠え、猫吸い及びモフりにより、ほとんどの障害は回復します』」
「これ、本当に公式文書……?」
「専務の署名、ちゃんとある」
「……そう」
二人は、もう驚くことをやめた。
◇
「最後、八枚目」
「製品の仕様、だって」
「『来歴。本製品は、約千年後の未来にて過労死により一度その機能を停止した後、当地にて再起動(転生)したものと本人より申告されています』」
サクの声が、そこで初めて、少しだけ真剣な色を帯びた。
「……本当に、そうなんだよね」
「うん」
「転生者だから私たちが選ばれたのかな……」
「同類だから……」
エクが、最後の一文へ視線を落とす。
「『付言。以上、製品としての体裁で記述を試みましたが、当職としては、本製品を製品と呼ぶこと自体、もはや不適切であると考えております』」
「専務も、最後にそう思ってる」
「うん」
「全然、取扱説明書になってなかったね、これ」
「なってなかった」
サクが、樹皮紙の束をそっと重ね直し、胸に抱えた。
「エク」
「なに」
「私たち、頑張ろうね」
「うん」
「上手に、『雑に』お仕えしよう」
「難しい注文だけど」
「うん、難しい」
二人は、顔を見合わせて、今度は声を出して笑った。
窓の外では、王妃の笑い声が、ドブさらいの現場から、うっすらと風に乗って聞こえてきた気がした。




