第 1 話 初手・全裸。神様、コンプラ違反です!
「解せぬ」
私は、白昼堂々すっぽんぽんで独りごちた。
脳裏をよぎるのは、ついさっきまで自分がいたはずの、あの地獄の光景だ。
連日終電帰り。徹夜も当たり前。
そんな二十連勤目。時刻は午前三時。
オフィスの空気はエアコンのフィルター掃除をサボったせいで吹き出す風はカビ臭く、デスクの上にはタワーのように積み上がったエナジードリンクの空き缶が、LEDの頼りない光を反射していた。
パソコンの画面に映るExcelのシートには、度重なるクライアントの仕様変更によって元の形を留めていない無数の関数と、真っ赤に明滅するエラー表示。隣の席の先輩は「もう無理、家帰って猫吸いたい」と謎の呪文を呟きながら白目を剥いている。
その時だった。私の胸の奥で、何かが「ピシッ」と音を立てて壊れた。
あ、これ、心臓のボイコットだ。
そう察すると同時に、私の視界はブラックアウトしていた。
IT系企業の営業事務限界OL・俗名真夜、享年二十四歳。
「ずっと『会社のために』とか『同僚のために』って思って頑張ってきたけど、結局、誰にも評価されず使い潰された……まあいいか。あー、やっとこれで有給(悠久の眠り)が取れるわ……。来世は絶対に、働いたら負けをモットーにするんだ……」
そう願って、心地よい虚無に身を委ねた――はずだった。
「……ん?」
次に目を覚ました私の視界に飛び込んできたのは、液晶画面のブルーライトではなく、網膜が痛くなるほどの、鬱蒼としたジャングルの濃い緑だった。
スコール上がりの熱帯特有の湿った空気が、容赦なく肌にまとわりついてくる。深呼吸をすると、むせるような腐葉土と未知の熱帯植物の青臭い香りが鼻腔を突き抜けた。
「夢?」
おかしい。夢にしては、五感があまりにもはっきりしすぎている。
匂い付きの夢なんて見たことがない。
具体的にいうと、私は今、その広大なジャングルをはるか高所から見下ろしていた。
「どこ、ここ? っていうか、あれっ? 体が動かない」
そう、目だけしか動かせなかった。その理由は至極単純である。
複数の男のごつい手により、私の両手両足は完全に拘束されていた。足を投げ出して座った姿勢のまま、石の床に力任せに押さえつけられ、身動きひとつ取れない。
よし、まずは状況を整理しよう。
私は、二十連勤の果てに会社で過労死した。それは間違いない。
で、目が覚めたらここはジャングルで、どう見ても巨大な石造りのピラミッドの頂上で取り押さえられている真っ最中……と。
「……え、ここどこ? 異世界? うん、たぶん私は巷で流行りの異世界に転生したんだ」
生前、現実逃避のために読み漁っていたネット小説の知識を総動員して、私は自分を無理やり納得させた。
「異世界転生ものだと、まず最初に真っ白な空間で神様や女神様からチュートリアルがあって、便利なチート能力を貰ってから下界に降ろされるっていうのがテンプレのはずなんだけど……。ちょっと待って、周りにいる男たちの顔ぶれが、ファンタジーのそれと違いすぎない?」
四肢を押さえつけられたまま座った姿勢で見上げれば、私を押さえている男たちのビジュアルが完全に狂っていた。
服は麻の腰布一枚。ガタイはいい。そこまではOKだ。
問題は、その頭部だ。
おでこが異様に平べったく、頭頂部にかけて斜め後ろにビヨーンと長く伸びている。
ヘルメットを被っているわけではない。
地頭が、生身の骨格が、映画で見た『エイリアン』そっくりの長頭形なのだ。
「ひっ! エイリアン?! エリア51から脱走してきたやつ!?」
しかも、言葉は全く分からないが、彼らは私のまん丸な頭をゴツゴツと小突きながら、唾を飛ばしてなにごとか大声で叫んでいる。
「ウパッ! コシュ!」(この丸頭、呪われているぞ!)的なニュアンスだろうか。
痛い。地味に痛いからやめろ。人の頭をスイカを品定めするみたいに叩くんじゃない。
不条理な扱いに抗議しようと口を開きかけた、その時だった。
男たちが私の着ていたオフィスカジュアル(しまむらで購入、トータルで三千九百円)に手をかけた。
バリッ、と嫌な音が響く。
問答無用。一切の容赦なく、男たちは私の服を掴み、引きちぎった。
ブラジャーとショーツは、ナイフで切り裂かれ、あっさりと全裸に剥かれた。
「ぎゃああああああああーーー!! セクハラ!! 100%コンプライアンス違反!! 誰か人事呼んでーーー!! コンプラ窓口どこーーー!?」
大絶叫である。
そりゃそうだ。いくら二十連勤で倫理観と脳の幸福物質が完全に消滅しかけていたとはいえ、見知らぬロングヘッドの男たちに囲まれて、一瞬ですっぽんぽんにされたのだ。叫ばない方がおかしい。
なんで転生していきなり全裸に剥かれにゃならんのだ。
初期装備が布切れ一枚どころか「初期装備:生まれたままの姿」って、どんな無理ゲー仕様だ。
神様はコンプライアンスという言葉を知らないのか?
誤解のないように言っておくが、私は別に、男性経験がゼロのピュアピュアな乙女というわけではない。
二十四年の人生だ。年相応に恋愛もしてきたし、大人の階段だってそれなりに登ってきた。
だから、異性の前で全裸を晒すということ自体に、卒倒するほど狼狽するようなタマではない。
自惚れるわけではないが、みんなからは「かわいい」と言われるし、街を歩けばナンパだってされる。
平均的な二十代女子としてのステップは踏んできた自負はある。
ただ、背が低く童顔なので、すっぴんだと、よく中学生と勘違いされる。
「……いや、でもね!?」
今回の場合は、完全にシチュエーションがアウトだ。
心の準備がゼロだ。死んだと思ったら、青空の下(正確には薄曇りだけど)、言葉の通じないエイリアンみたいな男たちに四肢をホールドされての強制執行(全裸)である。
びっくりした、という言葉では到底足りない。脳が完全にフリーズした。
しかも、完全に拘束されているから、恥ずかしいところを手で隠すこともできない。
形のいい張りのある胸は突き出され、大事なところもジャングルの湿った風に晒されて丸見えだ。
とんでもない転生だなこりゃ。異世界転生もののスタートとしては、おそらく歴史上最悪の部類に入るだろう。
だが、人間というのは不思議なもので、あまりにも現実感がなさすぎる極限状態に置かれると、逆に恐ろしいほど冷徹な思考回路が働き始めるらしい。
「……待てよ。この人たちの視線、なんか……エロ目的じゃないな?」
私は、ちびっ子だけど、出るとこひっこむとこはメリハリがある。
だから、セクハラも日常的に受けて来た。
全身、特に胸のあたりに男性からの性的なまなざしが向けられることも珍しくない。
そういう視線は、すぐ分かる。
彼氏や好印象を抱いている人からの性的な視線は嬉しい。だけど、そうじゃないその他大勢からのそれはダメだ。
いま、私を押さえつけている男たちからは、そういった性的なものを一切感じない。
座った姿勢から仰向けにされ、四肢をガッチリ掴んでいる男たちの手を観察してみる。
私の腕を掴む力加減は、まるで『出荷前の家畜を検品する業者の手付き』そのものだった。彼らのギョロついた寄り目のどこを探しても、女性の裸体を前にしたときの卑猥な劣情や、下卑たニヤつきが一切ないのだ。
あるのは、ただただ真面目な、息の詰まるような「儀式」としての義務感だけ。
例えるなら、繁忙期の工場で、ベルトコンベヤーから流れてくる不良品を淡々と仕分けている派遣社員の目だ。あ、この目の死に方、前世のオフィスで鏡に映った私の目と同じだわ。
そのことに気づいた瞬間、全裸であることへの羞恥心や恐怖が、急速にスーッと冷めていくのが分かった。
「なるほどね……。これ、あれだわ。私、生贄だ」
社畜の勘が、この状況の「本質」を瞬時に見抜いた。
要するに、私はこのピラミッドという名の屋外特設ステージで、神様という名の超大型クライアントに捧げられる「供物」(納品物)なのだ。供物を梱包(服)のまま出すのは失礼だから、中身を剥き出しにされたというわけか。
そう理解すると、とんでもない状況のはずなのに、不思議と全裸であることにそれ以上の抵抗を感じなくなってくるから不思議なものだ。
貞操の危機がない全裸なんてどうということはない。
抵抗を感じないどころか、石の床がひんやりとしていて、二十連勤で火照りきっていた私の背中には、むしろちょっと気持ちいいくらいだった。
「まあ、全裸のまま二回目の有給に入れるなら、これはこれでいいか……。生贄なら葬儀代も先方負担だろうし……」
そんな投げやりな諦観に達していた私の前に、そいつは現れた。




