17 玄武の話合い(10)
顔をあげた高祖と、涙に潤むリーユエンの視線が交錯した。
「私を選ばず、その情けない坊主玄武を選ぶと言うのか」
高祖は呻くように言った。
リーユエンは頭を振った。
「いいえ、私には選べないのです。
前世で契ったのは、ドルチェン様、そして、今生で最初に契ったお方も、ドルチェン猊下でございます。高祖様の思し召しが、どれほど深く、有り難いものであろうとも、私は、この方を見捨てることはできません」
「・・・・・・」
一万年を超える歳月を生き続けた不老の玄武は、己の一生を事細かく常に覚えているわけではない。だが、この時、遥か過去の出来事が、不意に、脳裏に鮮やかに蘇った。
三界の大戦が終結した後、ミグレイは、四千年余、東海沿岸地方から東嶺の山脈の向こう、ウマシンタ川の広大な密林領域、そして、中央大平原に至る広大な領土を統治し続けてきた。
大帝の膝下には四皇子を筆頭とする、有能な臣下が控え、人外、凡人、全てが、長らく太平の世を享受した。
その間、ミグレイは、幾度となく、凡人の妻を、彼女が転生するたびに探し出し、娶り続けた。
それほど度々彼女を探し出せたのは、彼女の体から匂い立つ、茉莉花のような香気が決め手となるからだ。この度も、彼女は転生して間もなく見つけ出され、まだ十代の娘が、妻として迎え入れられた。
皇子の一人、赤皇子は、いつもの空気を読まない癖で話した。
「今回は、早くに見つかって良かったじゃないか。
凡人は寿命が短く、体も老いるのが早い。この前みたいに、南洋海に面した漁村で、生まれて五十年も過ぎたのが見つかったりしたら、薹が立って、本人にも気の毒だ。
何しろ我らが父上、大帝陛下におかれては、全く衰えることがないのだから、我らの方が先に爺さんになってしまいそうだ」
赤皇子の発言に、いつも慎重な黒皇子が、眉をひそめ注意した。
「滅多な事を言うな、あの女性のことで、陛下の不興を買ったらどうするのだ?」
黄皇子も大きく頷いた。
「そうだよ、陛下にとっては、いつ、どのように生まれ変わろうと、あのお方は最愛の女なんだから、わざわざ不快にさせてどうするつもりだ」
白皇子は彼らのやり取りを黙って聞いていた。
けれど内心では、彼なりに思うところがあった。
(赤皇子の奴は相変わらず、馬鹿な奴だ。
あの女の真価は、年齢など関係ないのだ。天上の香気をまとう至尊の存在であること、それを妻に迎えることこそが、大切なことなのに、何もわかっていない。
その上、あの女には先見の能力がある。あの女を妻に迎え、先見の能力によって、何度も大きな危機を回避し、我らが大帝の治世は太平の世を享受しているのだ。
全く馬鹿な奴らだ。
しかし、このたび迎えたあの娘、歴代の生まれ変わりの中でも、際立つ美貌だ。
俺も、あのような女を手に入れたいものだ。玄武の女にはない、柔らかさと儚さ、あれと寝屋を共にすれば、至上の悦楽に浸れそうだな)
しかし、娘に近づいたのは、白皇子ではなかった。
長い治世が続き、戦うこともなく、瑜伽業を行うことも無い大帝は、身内に溜まり続ける膨大な法力を持て余すようになった。
せっかく迎えた妻は、凡人ゆえに脆弱な体、大帝の身内に溜まる膨大な法力が、彼女を傷つけることさえあった。やむを得ず、大帝は、離宮を造り、娘をそこで療養させ、自身も法力を放散するため、しばし閉関することにした。
その間に、どうした過ちがあったのか、娘と契ったのは、いつも振る舞いには慎重なはずの、あの黒皇子であった。
閉関を解いた大帝は、娘の状態にすぐ気がついた。
大帝は震怒し、黒皇子を打ち据えた。その時、彼女が黒皇子を庇ったのだ。
「陛下、何卒、殿下をお許しください。私が悪いのです。陛下のご不在が寂しく、黒皇子殿下のお優しさにすがったのは私です。どうか、罰するなら、私を罰してください」
閉関から十年以上が過ぎ、もう娘とは呼べない、一人前の女となった彼女は、黒皇子の頭をかき抱き、ミグレイを見上げた。
ミグレイに、彼女を罰することなどできなかった。その後、黒皇子は、未だ異界の妖魔の侵入が絶えない北荒の地を平定鎮護するため旅立った。他の三皇子も、黒皇子の轍を踏むまいと、自ら志願し、それぞれ旅立ったのだ。
今、目の前で、ドルチェンを庇うリーユエンの姿は、黒皇子を庇った彼女と同じに見えた。
(あなたは、また、私に許せと言うのか・・・その上、今度は、私を捨てると言うのか)
高祖は、目を瞑った。
目の前の光景を見るくらいなら、視界を闇に閉ざした方がマシだと思った。
(私とあのお方との縁は、もう切れてしまったのか・・・)
その時、巽陰大公の後ろから、香車ナイナイが声をあげた。
「卑賤の身で僭越ではございますが、高祖へ、お聞き届けいただきたい妙案がございます」
ナイナイの声は、昔、リーユエンへ教え込んだ、七分立てのクリームのように柔かく響いた。
高祖は、巽陰大公の背後に控えるナイナイを見た。
「許す、申してみよ」
「高祖と猊下、リーユエンはどちらか一方を選ぶことはできないと申しております。
それならば、いかがでございましょう。お二方で、リーユエンの面倒を見てやってはいただけませんでしょうか」
高祖は眉を顰め、不機嫌な声で言った。
「お二方で面倒を見ろとは、一体どういう意味だ?」




