17 玄武の話合い(8)
高祖の顔から表情が消えた。
「妙なことを言う奴だ。リーユエンは、明妃位を自ら返上したのであろう。その事に、そこに控える法座主は、異議を唱えることすら、しなかったそうではないか、そうであるならば、すでに離縁したということだ。私が、妻に娶って何の問題があろうか」
高祖から、法力の圧が凍りつく冷気となって押し寄せてきた。
けれど、巽陰大公は怯む事なく反論した。
「いいえ、あの文書は、やむを得ず作成したもので、そもそも双方に離縁する意思などございませぬ。そのあたりの事情は、英邁な高祖におかれては、すでにお分かりでいらっしゃいましょう」
口調こそ礼儀正しいが、一歩も引かぬ態度だった。
高祖は、ドルチェンやダルディンを相手に話し合い、押し切ってしまう気でいたのだが、長老格の陰玄武という強力な障害の出現に、苦りきっていた。
(陰玄武の上に、こ奴の齢は四千年を越えておるではないか・・・厄介な・・・これほど、齢を重ねた玄武がこの国にいようとは、私は、年をくった玄武の女は苦手なのだ。参ったな)
「経緯はどうあれ、実際に文書が存在し、公になったのであろう。それならば、私の言い分は不当なものではないはずだ。今さら、取り戻そうとする、法座主の方がむしろ不当な言いがかりではないのか?」
高祖は、青味がかった翡翠色の目に冷たい光を湛え、巽陰大公の後ろに控えるドルチェンを見据えた。
視線を向けられたドルチェンは、沈黙したままだった。
几帳の中で、玄武たちのやり取りを聞くヨーダムは、リーユエンの顔が真っ青で、握り締めた手が震えていることに気がついた。
ヨーダムは、リーユエンの肩をそっと叩き、「大丈夫だ、何も案ずるな」と、励ました。
巽陰大公は、さらに訴えた。
「リーユエンが、ドルチェンの定まった相手であることは、明妃位とは関係ございません。
リーユエンが、玄武国へ参った当初より、ドルチェンは契りをかわし、自身の配偶と定めております」
高祖は口をへの字に曲げ、氷点下の声で言い放った。
「配偶だと?何を世迷言を言っておるのだ。
そもそも、配偶としての務めを、この者はリーユエンに対して、果たしていると言えるのか?
この者が、リーユエンをしっかり守護してさえいれば、そもそも、私が見出すことはなかったはずだ。今さら、配偶だと主張して、それが通ると思っているのか」
巽陰大公も負けてはいない。
「金杖王国の王太子とリーユエンは情で結ばれ、縁がございました。
ドルチェンは、凡人の縁を全うさせようと、一旦手放す覚悟を決めただけ、故意に守護の任を放擲したわけではございません」
そう言いながら、四千年の法力の渾身の一撃を、高祖へ叩きつけた。
圧の直撃を受けたにも関わらず、高祖は、平然としていた。
「そのような事情、私に忖度する義務はない。
リーユエンは、私の妻として、蜃市へ連れて帰る。これは決定事項だ。
ここでは、婢女扱いされ、幸せに暮らせているとは思えない。私ならば、何者からであろうとも、守り切って見せる」
それでも巽陰大公は引き下がらない。
「それはなりませぬ。リーユエンは、十日後、明妃へ公式に復位することが決まっております」と言い、続けて「返上文書が公になって以来、宰相府へ毎日、明妃の復位を願う嘆願書が何百通も届き、もう、山となっております。それに、明妃が復位し、瑜伽業を行わなければ、玄武の国は、極寒の中で凍りつき、立ちいかなくなります」と、訴えた。
高祖は、胡座をかき頬杖をつき、突然、若者なら不貞腐れたと言われそうな態度へ変わった。
「ふん、瑜伽業か・・・くだらない、瑜伽業など、陰玄武こそ相手を務めるべきであろう。
どうして、凡人のリーユエンを明妃に据えてまで、相手を務めさせる必要がある?」
巽陰大公は、懐から錦繍の包みを取り出し、それを捧げ持つと頭を下げた。
「どうそ、御自から、こちらの品をご見分くださいませ」
高祖は椅子から立ち上がり、巽陰大公の捧げ持つ包みを片手で取り上げ、包みを解き、中身をあらためた。その瞬間、顔色が変わった。
「これは・・・」
包みを開けた瞬間、八方へ青白い光が広がった。その光は脈動し、その光の中心には、握り拳大の石、青白い太極石があった。高祖は、しばらく魅入られるように見つめた。
「何という大きさだ。それに何と言う輝き、脈動して生きているかのようだ。
これほど、魔力素の濃度が高い太極石は、私も滅多に見たことがない」
「こちらの石は、昨年、リーユエンが法座主と瑜伽業を行った際、産出されたものでございます。これと同程度の品質のものが、十年分でございます」
「十年分・・・」
流石の高祖も、絶句した。巽陰大公は続けた。
「私は、この成果に狂喜いたしました。この成果で、リーユエンは全ての玄武一族から、その力を認められ、明妃に相応しい敬意を示されるに違いないと思ったのです。
けれど、それは見込み違いでございました」
高祖は、太極石を手に取ったまま、視線をカーリヤへ移し、続きを促した。
「けしからぬ一族が、明妃を捕らえて、家畜のように使役しようと企んだのです。
その企みと、ドルチェンが明妃を如何ともし難い事情で金杖王国へ渡らせ、王太子の配偶になるだろうと思いつめ、閉関した時期が、不幸にも重なってしまったのです。
リーユエンを、ドルチェンが守り通すことができず、高祖のご尽力により一命を取り留めたことは、揺るがせられない事実でございます。
言い訳にしかならないことは、重々承知の上でございます。そうであっても、ドルチェンも、そして玄武国の八大公は、高祖の尊い血を引く玄武の一族でございます。
どうか、ご宥恕ください」
巽陰大公は、その場で平伏した。




