1 乾陽大公ダルディン(8)
ぼんやりと、回想に耽っていたダルディンへ、リーユエンが「私はここに泊まってよろしいのですか」と、尋ねた。
ダルディンは、ハッと我に帰り、「ああ、逃げ出されては困るから、一緒にいてもらう」と、続けて、「ウラナから連絡をもらったよ。私が、あなたの怪我を完治させなかったため、痛い思いをしたそうだな。すまなかった」と、謝罪した。
リーユエンは、ふっと笑みを漏らした。
「そんなの、全然、平気です。忌々しいビアンサ側妃とその卑怯者の兄をやっつける絶好の機会をもらえたのですから、本当に幸運でした」
笑みが崩れ、珍しく仄暗く陰険な笑みへ変わった。
ダルディンは表情の変化を見ながら、この笑い方を見るのは久しぶりだと思った。学院へ通っていた頃、上級生にやられて、その後、やり返した時も、陰でこんな笑い方をしていたのを思い出した。相変わらず、転んでもタダでは起きない子だなと思った。
「どうして、金杖王国を飛び出したんだ?猊下はあなたが王太子妃になっても仕方ないと、お赦しになるご様子だった。仮にそうなったとしても、玄武は長命だから、待つ事ができると考えた上で、あなたに決断を任せるようにと伝言されていたのだが・・・」
「私の決断?」
「リーユエン・・・」
リーユエンの話し方は、普段と変わりなく聞こえるのに、ダルディンは、なぜか戦慄した。
リーユエンはダルディンへ近寄った。ちょうど、虎が森の中で獲物を見つけ、そっと忍び寄るような、不穏な気配がみなぎった。
もちろん、ダルディンは玄武なのだから、リーユエンに殺られたりはしないが、なぜか後退ってしまい、寝台の縁に足が当たった。
「そんな勝手なことばかり、一体あのお方は私の事を何だと思っておいでなのか」
低い、地を這うような声だった。
そこに込められた、煮えたぎって吹き出しそうな怨みの響きに、ダルディンはゾッとした。それでも伯父の気持ちを慮り、リーユエンの思い違いを正そうと口を開いた。
「誤解だ。伯父上は、いつもあなたの事を第一に考えている」
「第一?」
リーユエンは紫眸を不穏に光らせ、ダルディンを睨んだまま、さらに一歩踏み出した。
ダルディンはもう下がりようがなくなり、身を仰け反らしたがバランスを崩し、そのまま寝台へ倒れ込んだ。
ダルディンの上にリーユエンがのしかかってきた。 ダルディンはまるで倒れた獲物に噛みつき、止めをさす虎みたいだと思った。
「第一って、そんなに私を大切だと思うのなら、さっさと連れ戻せばいいのよ。どうして、奴隷を譲渡するみたいに、簡単にデミトリーへ譲ろうとするのよっ」
「リーユエン・・・」
紫眸から涙が溢れ、ダルディンの頬にポタポタと涙が落ちてきた。
ダルディンは、リーユエンが泣くのを初めて見た。
伯父に棒術でしごきにしごかれ、腕や足をへし折られた時でさえ、彼女が泣くことはなかったのに、今、彼女は声を殺して泣き、ダルディンにしがみついて、身を震わせていた。
あまりに意外な反応に、ダルディンはすっかり途方に暮れた。
自由の身となり、好きな相手と一緒になっていいというのに、どうしてこのような反応を見せるのか理解できなかった。
「どうして、泣くのだ?猊下は、あなたの事を思ってー」
リーユエンはいきなりダルディンの胸を叩いた。
「何があなたの事を思ってよ。勝手なこと言っているだけじゃない。私は凡人なのよ。玄武じゃないわ。あと何年生きられるか分からないし、今度死んだら、もう転生なんかできっこない。きっと灰になって消えてしまうわ。もう二度と戻れないかもしれないのに、どうして、そんなに簡単に手放そうとするのよ」
ダルディンは、ハッとした。
確かに、伯父はリーユエンが寿命の短い凡人である事を真剣に考えたのだろうか、と疑問が湧いた。そして、上半身を起こし、リーユエンを懐に抱きしめた。
「落ち着きなさい。あなたの気持ちはわかったから、泣くのはやめなさい」
「・・・・わかったなんて、嘘だわ。私の気持ちなんか、全然わかってないわ」
懐に抱きしめられたまま、リーユエンは、それでもまだ小声で言い続けた。
両腕で抱きしめたリーユエンの体は柔らかで、暖かかった。
昔は小柄でガリガリに痩せて、随分貧相だったのに、こんなに女らしくなっていたのかと、ダルディンは感慨深かった。
ところが、リーユエンの体を意識した途端、腹の下が熱を持ってきた。
ダルディンは、何とか自身をなだめ、落ち着こうとした。けれど、リーユエンはダルディンの胸に頬を擦り寄せ、離れようとしてくれない。
「リーユエン、すまないが、少し体を離してくれないか」
ダルディンは非情に聞こえないよう、小声でそっと頼んだ。
けれどリーユエンは「いやっ」と言って、さらに強く抱きついてきた。
「私を離さないで、私を捨てないで」
リーユエンの体から茉莉花の香りがたち、鼻腔を刺激した。
ダルディンの瞳は糸のように縦長となった。
鼓動が早まり、さらに自制が困難になってきた。
「リーユエン、お願いだから離れて」
ダルディンの声は掠れた。
リーユエンは、顔をあげ、ダルディンを見上げた。
涙にけぶる紫眸に、情欲の光があった。
半開きになった艶やかな唇が、ダルディンに近づいた。
心の片隅では、どうせ、また俺の事を、若い頃の伯父上と重ねているのだと、残念に思いながら、逃げ場もないまま、口付けを受け入れてしまった。
リーユエンはそのまま、ダルディンへ体を密着させてきた。
茉莉花の芳香と体の柔らかさに、ダルディンは陶然となり、リーユエンを抱きか抱えたまま寝台に倒れ込んだ。ダルディンは、完全に理性を失った。




