1 乾陽大公ダルディン(7)
「猊下、誰か中庭へ入ってきたので、縛しました。ウラナへ引き渡してよろしいですか」
両目を白布で覆う見えない状態でも、ドルチェンの立つ位置を間違えることなく、リーユエンは彼を見上げた。
猊下は、透き通るように光る薄緑色の目を、縛されて地面に無様に転がるダルディンの方へ向けた。
「これは、わしの知り合いだ。気にせんで良い。そのまましばらく転がしておけ」
(伯父上、酷い、俺だと分かっていて、放置しておけなんて・・・)
しかし、よく考えてみると、二人の様子を見る絶好の機会だと思い、あえて抗議もせず、そのままじっとしていた。
リーユエンは猊下を見上げたまま尋ねた。
「猊下、十日後に学院の期末試験が始まります。私の目はそれまでに治るのでしょうか」
猊下はリーユエンを見下ろし、しばらくじっと観察した後、言った。
「リーユエン、また法術の調息行気の修行をしたのだな。それでは、法力を流し込んでも、目の回復に全て使われないため、回復は遅れてしまう。
そうだな、三日の間、調息行気の修行も、何もかも一切休みなさい。法力を目の治癒へ集中させるのだ。そうすれば、回復する」
「御意」
リーユエンは、少し頭を傾げ、また猊下へ言った。
「私はヨーダム太師の塔へ戻りとうございます。ここには魔道書がありません。まだ、読んでおきたいものがあるのです」
そして、小さな手で猊下の指甲套の一本をきゅっと握りしめ
「それに魔導士学院へ登院させてください。私は早く卒業したいのです。休み過ぎたら、単位を落としてしまいます」と、続けた。
ダルディンは衝撃を受けた。
あの伯父が、凡人の子供に、自分の体を触れるに任せるなんて、信じ難い光景だった。至尊高貴の法座主猊下に、赦しもなく触れるなど、玄武にすらできないことなのだ。
「リーユエン、あなたはつい一昨日、危うく毒殺されかけたのだぞ。それなのに、もう魔導士学院へ通いたいなどと、離宮にいなさい。魔導士になる必要はない。あなたはいずれ明妃になるのだから」
リーユエンは、指甲套を握りしめたまま、それをそっと横へ揺らした。
ドルチェンは振り払う様子もなく、させたいようにさせていた。
リーユエンは、口元をちょっと尖らせ続けた。
「私は太師の弟子です。魔導士学院へ行くための学資は、自分で払いました。途中で辞めるなんて嫌です。
猊下のおっしゃる明妃のことは、私にはよくわかりませんが、私は魔導士になって、将来はカリウラの隊商のお抱え魔導士になるつもりです。人生設計はもう決めてあるので、計画通りにしたいです」
ドルチェンは、いきなりしゃがむとリーユエンを軽々と懐へ横抱きした。そしてリーユエンを見下ろし、口元をへの字に曲げた。
「そんな将来計画は見直すのだ。この離宮の主となり、玄武国第二位の身分である明妃となるのが、あなたの将来なのだ」
リーユエンは、ドルチェンに抱き抱えられたまま、駄々をこねる子供みたいに体を揺すった。
しかし、その程度ではドルチェンの体幹はびくともしない。抱き抱えたまま東屋へ入り、そのまま長椅子に腰掛けた。
リーユエンは、抱え込まれたまま、モゾモゾ動いて、ドルチェンの方へ向き直ると、両手を、がっしりした肩へ乗せた。
「猊下は、私に隠し事はするなと仰せになられたので、私は自分の思うところを言わせていただきます。
私の決めた将来は、魔導士なのです。必ず魔導士になります。
猊下が明妃になれと仰せなら、仰せには従いますが、その前に魔導士学院を卒業して、魔導士資格を取らせてください」と、まだ諦めずに訴えた。
それから、猊下の耳元近くまで、顔を近づけると、今までとは打って変わった可愛らしい囁き声で言った。
「私だって、猊下とご一緒の時間を増やしたいのです。だから、魔導士学院を一年でも早く卒業しようとものすごく努力しております。どうか、分かってくださいませ」
ダルディンですら、その囁き声を聞いたとき、どうしたわけか腹の下が熱を持ってきた。
自分の体の反応に驚き、戸惑っていると、ドルチェンは身を乗り出すようにして、リーユエンへかぶさり、その口を塞ぐように口付けした。
突然リーユエンの体全体が黄金の柔らかな光の包まれた。
ようやくドルチェンが、顔を離すと、リーユエンは深いため息を漏らし、体をくたっとドルチェンの懐へ預けた。
「良いか、三日の間、一切の修行をやめて、大人しくしていなさい」
リーユエンは、ぼうっとして、ドルチェンの胸へ頬を擦り寄せ、それでもまだ訴えた。
「まだ離宮にいなくてはいけませんか。魔導士塔へ戻りたいのです」
しかし、ドルチェンはリーユエンの髪を撫で付けながら、
「離宮が、あなたの住まいなのだ。魔導書が入用なら、ヨーダム太師へ頼んで持って来させよう」
と、言った。
リーユエンは小声で「御意」と応えた。
リーユエンを抱き抱えたまま、ドルチェンは立ち上がった。そして、離宮の方へ向かって歩きながら、ダルディンを解放し、念話で
「隠形して、リーユエンの護衛についてくれ。学院長に島への立ち入りについて話を通しておくから、登下校と院内で、彼女の身を守ってくれ」と、命じた。
(ダルディンの独白)
そうだ、初めて会ったとき、伯父上は掌中の珠のごとく、リーユエンを慈しんでいた。
俺は、伯父上の命令通り、魔導士学院へ毎日護衛で付き添った。
そして伯父上は、学院での様子を逐一俺から報告させた。だから、俺は、魔導士学院を卒院するため、リーユエンがどれほど努力し、苦労したかを知っている。
卒院した後も、隊商へ参加すると言い出して、絶対認めないだろうと思っていたのに、なぜか伯父上は過酷な武術訓練を課した。
ただ、リーユエンの気力を挫くためにそんな事を始めたのかと最初は思ったが、伯父上は本気でリーユエンを鍛え上げた。リーユエンも厳しい指導に必死で喰らいついてついて行った。
俺は、その様子をずっとそばで見ていた。ただ、隠形していたため、リーユエンは、それが俺だとは、気がついていないだろう。




