1 乾陽大公ダルディン(9)
(やらかしてしまった・・・伯父上の妃なのに、とうとう関係を持ってしまった。それだけは、絶対にやってはいけないとわかっていたのに・・・)
ダルディンは寝台の天蓋を見上げ、呆然とした。
彼の横に、リーユエンが眠っていた。
細っそりした顎の下に、バッサリ切った髪がかかり、初めて会った頃の子供っぽい姿を思い出した。眠る姿は、あどけない少女のようだった。どれほど惹きつけられても、一線だけは越えないように自制してきたのに、今回は、正気に戻った時には、もう一線を超えていた。
(今までなら、俺の方も自制したが、リーユエンがそもそも俺を受け入れようとはしなかった。それなのに、どうして今回に限って、俺を受け入れた?デミトリーと別れて、気持ちが揺れていたからか?それとも猊下に突き放されたと思って、寂しさのあまり、伯父上の若い頃にそっくりな俺を身代わりにしたのか?)
理由がどうあれ、それは重要な事ではない。
最後の最後を踏みとどまれなかった己れ自身の責任なのだ。自分さえ自制すれば、こんな事にはならなかったのだ。
ダルディンは、たとえ先に口付けし、抱きついてきたのがリーユエンであっても、彼女を詰る気は全くなかった。ただ、こんな事態になった以上、当分玄武の国には戻れないなと思った。
(この事に伯父上が気づいたら、俺は殺される。運が良くても、甲羅を割られ、国から追放されるに違いない)
どう考えても悲惨な結末しか思い浮かばなかった。
(伯父上の信頼を裏切ってしまった・・・俺はこれからどうしたらいいのだ?)
今にも漏れそうな呻き声をこらえ、頭を抱え込んでいると、横で眠っていたリーユエンが身じろぎした。
「起きたのか」
声をかけると、長いまつ毛が震え、紫眸が現れた。
「水をください」
掠れた声で言われ、ダルディンは起き上がり、水差しからグラスに水を入れ、リーユエンを抱え起こして水を飲ませた。
「すまなかった、私が自制を失った」
リーユエンは、不思議そうな顔でダルディンを見上げた。
「どうして謝るの?先にあなたに口付けしたのは、私よ。あなたは、私に誘惑されただけだわ。正直に猊下へ報告すれば、ひどい罰なんか受けないわ」
後朝の情緒なんてまるでない、乾いた冷静な口調だった。
ダルディンは、驚いて反論した。
「そんな事言えるわけないだろう。どうして、あなたを悪者にしなきゃならないんだ。そんなの卑怯すぎる」
「何、言っているの。別にあなたが誘惑したわけじゃないでしょ。ちょっと理性が飛んだだけじゃない」
(その理性が飛んだというのが、大問題なんだよ。そんな事、乾家の当主としては、あってはならない事だ)
最年少の玄武大公ではあるけれど、ダルディンは責任感の強い男だった。己を律せない自分自身を許し難いと思っていたし、自分の犯した罪を軽くするために、リーユエン一人の責任にするなどという卑怯な真似をするくらいなら、甲羅が割れても仕方がないと思った。
悩めるダルディンへ、リーユエンはふっと笑みを漏らした。
「どうして、そんなに生真面目に悩むの?猊下は、大公殿下の甲羅を割ったりはなさいませんよ。だって、乾陽大公殿下は、将来いつの日にか、法座主位に就かれるお方ですもの、あなたの将来を台無しにするような真似を、猊下は決してなさいません」
リーユエンの言葉に、ダルディンはギョッとなり、目を剥いた。
「エッ、俺が法座主?冗談でも、そんな恐ろしい事を言わないでくれ」
法座主の力は絶大で、全ての玄武を従え、凡人ならびに人外のものさえ、その前にはひれ伏す至尊高貴の絶対的な存在だ。けれど、その魂魄ともいうべき原神は、プドラン宮の最深部、玄武洞の深淵の闇の中、岩核に繋がれ、玄武国からは出ることはできない。
瑜伽業を行い、厳冬の地であるプドラン宮殿が凍りつくことがないよう、地下都市が光を失い、闇の世界と化すことがないよう、熱と光の源である太極石を、決して絶やすことなく、供給し続けなければならない。
莫大な法力を有する玄武として恐れられるドルチェンでさえ、過酷な役目に法力を費消し、その消耗は凄まじく、人形すら保てない有様だ。
法座主になってから、七百年余り、ドルチェンはそのような生活をずっと続けてきたのだ。
それを伯父のそばでよく知るダルディン自身は、絶対法座主なんかに、なりたいとは思わなかった。ところが、リーユエンは起き直ると、ダルディンを正面から見て、生真面目な顔つきになった。
「冗談でこのような事を言ったりは致しません。現在の八大公、乾・巽・震・兌・離・坎・艮・坤のお方の中、陽極の主である陽の玄武が当主でいらっしゃる家は、乾・震・坎・艮の四家です。
その当主のうちで、筆頭大公でいらっしゃる乾陽大公以外の一体どの陽玄武が、将来、法座主が務まります?
百歩譲って法座主になったとしても、瑜伽業ができなければ話にならないのに、その力のある陽玄武の大公が他にいらっしゃいますか?」と、冷静に指摘した。
そして、続けた。
「殿下は、まだ弱冠五百齢の、甲羅の厚みさえ増しておられない幼玄武ではいらっしゃいますが、そのお年では桁違いの法力をお持ちです。そんなあなたを猊下が、女を寝取ったからと言って、甲羅を割るような真似は決してなさいませんわ」
怪しく輝く紫眸から目が離せないまま、ダルディンは何と言っていいかもわからず、ただ、ごくりと喉を鳴らした。
リーユエンは、そんなダルディンをじっと見つめ、笑みを深めた。そして、いきなり抱きつくと耳元で、
「もう、私のことは見るのも触るのもお嫌なのかしら?」と、甘く可愛らしい声で囁いた。
その声は毒のように全身を巡った。せっかく立て直した理性が、溶けてなくなった。




