2 刺客(1)
翌日。
(ダメだ。リーユエンはおかしい。狂ったのか?俺は、彼女に喰われたのか?)
ダルディンは、昨夜の自己嫌悪をまだ引きずっていた。
(俺の方もそうだ。絶対おかしい・・・じっと見つめられたからって、自制が吹き飛ぶなんて、どうかしているぞ。伯父上の妃、それも千年待ち続けた思い人なのに、それに横から手を出すなんて、伯父には大恩があるのに、俺は忘恩の屑野郎だ)
乾家の領地内、北嶺の深山幽谷の中で過ごすこと百年、霊気が満ちて漸く人形となり、名乗りあって親子の縁を結んだにも関わらず、父も母も、二百年余前、相次いで亡くなった。
齢千年にならない、まだ一人前の玄武でない状態で、ダルディンは乾家の当主となった。
そんな自分でも、何とか無事に当主が務まったのは、陰に陽にドルチェンが助けてくれたからに他ならない。
法座主として殺人的に多忙であるにも関わらず、面倒な交渉ごとや、他家との領地をめぐるトラブルなど全て、自身が矢面に立ち、引き受けてくれたのだ。
そうでなければ、乾家は当主が幼いことにつけ込まれ、領地の多くを失うところだった。
ダルディンは、伯父の辛苦をよく理解していたから、伯父の頼み事は何であれ、最優先で処理してきたのだ。
それなのに、その信頼を裏切ってしまったのだ。
早朝、巽陰大公カーリヤが瞑想状態から彼へ接触してきた。そして、接触するなり異常を感知し、叫んだ。
「ダルディン! おまえ、何ということを仕出かしたんだいっ」
齢四千年越えの、大玄武であるカーリヤには、ダルディンが誰と関係を持ったかぐらい、お見通しだった。
「すみません。どうにも抑えが効かなくなりました」
素直に謝ることしかできなかった。
「謝って済む問題じゃないよ。こんな事をドルチェンが知ったら・・・」
と、しばらく絶句していたが、やがて気を取り直して続けた。
「おまえに伝えておきたいことがあって連絡を取ったのだ。
今朝、ドルチェンが突然閉関してしまった。岩戸を閉ざして、誰も入れなくなった。
執務も法学院の指導も、法理の判断も、全て放擲だ」
「エエッ、一体どうして・・・」
「さあね、心身の疲労が限界を超えたのかもしれない。
何しろ、リーユエンと一切接触を絶った上に、彼女の自由に任せるなんて言い出したのだから・・・あの異常な執着で、そんな無理をしたら、心身がおかしくなるのは当たり前だよ」
巽陰大公は、呆れの滲む、投げやりな口調で言うと続けた。
「だから安心おし、
当面は、リーユエンと関係を持ったことは、すぐ気づかれることはない。
それから、おまえたちが秘密裏に運んだはずの明妃位返上文書が、どうしたことか漏れてしまい、今、玄武国は次の明妃を誰にするのかで、大揉めに揉めているんだ。
その上、猊下の閉関だよ、今、おまえたちが帰ってきても、厄介な事態に巻き込まれるだけだから、当分帰ってこない方がいい。
しばらくは、リーユエンのそばにおまえがついて、しっかり守っておやり、いいね」と言い、通信が終わった。
ダルディンは、深々と息を吐き出した。
伯父に当面知られないのは、首の皮一枚で繋がった気分だが、突然の閉関のことが気がかりだった。
伯父が閉じこもれば、玄武国の政界、魔導士界、そして何より玄武八大公家の力関係が変わってしまう。
心配の種は尽きなかった。
それから数日後、リーユエンはノーディンに扮したダルディンと共に、ハオズィの商会を訪れた。
カリウラと会い、次の隊商の目的地と交易品の選定をする打合会のためだった。
商会の会議室に入ったリーユエンは、カリウラへ、六尺三寸の高身長で、微かに緑がかった滑らかな浅黒い肌に、翡翠のような眸の眉目秀麗な青年を、「ビアンチャンから来た商人のノーディンだ」と、紹介した。
確かにノーディンは、いかにも南洋沿岸地方の商人らしく見えたけれど、南洋沿岸地方の凡人にしては、高身長すぎる姿に、カリウラは首を傾げ、納得いかないふうだった。
その様子に気がついたハオズィが背伸びをし、カリウラの耳元へ
「ノーディンは、乾陽大公のお忍びの姿です」と、囁いた。
カリウラはいきなり出た貴人の名前に驚き、真っ青になって跪拝しかけたが、ダルディンは素早く近寄り、彼の腕をとり立ち上がらせた。
「微行できているのだから、礼儀は不要だ。ただの商人として接してくれ」
カリウラは頷きながらも、リーユエンがアスラ以外の、名前を聞いたこともない商人と一緒に来るなんて変だと思ったら、まさか乾陽大公殿下だとは、予想外だったなと思った。
そして、もうじきに、玄武の国は氷雪に閉ざされると言うのに、大平原に留まっているなんて、何が目的なんだと、不思議でならなかった。
打ち合わせは順調に進んだ。
「今回、行き先は東荒だ。中規模の隊商にしたい。ウマシンタ川のあたりは森が深く、大勢で移動するのは危険だ。往路は、岩塩と穀物を運び、向こうでは大顎鰐や三頭蟒蛇を捕獲して、その皮や燻製を運ぶ、それから天候に恵まれれば、川底をさらって黒曜石や赤瑪瑙石、白水晶を採取しよう」
ハオズィが目をキランと光らせた。
「なるほど、今回は往路がメイン、もうけは二倍以上ですね。さすがは抜け目がなくていらっしゃる」
カリウラも腕組みして大きく頷いた。
「そうだな、今から行けば、ちょうど乾季に入る。水量の減った川底を浚えば、玉石が取れるし、河岸の崖には黒曜石が露出している場所がある、あの辺りの住人は、あの石を加工する技術もなく、そもそも石に興味のない連中だ。礼金をあらかじめ納めておけば、掘り出しても文句は出ないだろう」
彼らの打ち合わせは、詳細に続いた。
ただ商人に変装しているだけで、商売に関わったことのないダルディンには、その内容のほとんどが理解できなかったけれど、ハオズィやカリウラを相手に、打ち合わせをするリーユエンは、生き生きとして、彼らのやり取りを聞いていても、彼女の知識は豊富で、決断の早さも圧倒的だった。
(なるほど、離宮を飛び出して、隊商へ参加したがるわけだ。
玄武国の者は、皆、明妃は離宮に閉じこもり、ひっそり暮らしていると思っているが、一年の半分は隊商暮らしというのが真実なんだ。昔からカリウラの隊商付きの魔導士になるんだと言い張っていたが、確かに適性があるな)
明妃でいる時の人形めいた美しさとは、全く異る姿が新鮮で、眩しく感じられた。




