17 玄武の話合い(1)
ハビは、雑巾を手に持ったまま尋ねた。
「香車、太夫達は、昨日から別荘の方へ出かけてしまいましたよ。一体誰がお相手なさるんですか?」
香車は、自分の定位置である帳場の扉を開けると、ハビを振り返った。
「旦那も、相手をする女も、外から来るんだよ。
その女に、居残らせた妓女や禿が余計なことをしないよう、おまえは目を光らせておくれよ」
ハビは実直そうな顔を傾げた。
「香車が、そんなに神経を尖らせるなんて、一体どれだけお偉い方なんですか?」
香車は手招きし、ハビを側まで呼び寄せるや、顔をグイと近づけ、その耳元でささやいた。
「この国の第一位と元第二位が、お忍びで遊びにいらっしゃるんだよ」
ハビは目玉が落ちそうなくらい目を開けた。
「第一位、元第二位って、それって・・・」
以下は絶句した。楼勤めの長いハビは、口に出していいいことと、悪いことの弁えはちゃんとある。
香車は翡翠色のきつい目でハビを睨んだ。
「もう、わかっただろ。だから、気をつけけおくれ。
明日も偉い客が来るからね。元第二位のお方からの指図には、どんなことでも従うんだよ、いいね」
ハビは無言で何度も頷いた。
(ハビの独白)
魂消た・・・元第二位って、元をつけているが、あのお方は、今でも実質第二位だろ。
俺でも知ってるぜ。
凡人の役人連中は、あのお方を早く復位させてくれって、毎日、毎日、宰相府へ嘆願書を唐櫃一杯に詰め込んで運び込んで来るもんだから、保管場所がなくなって困ったそうなんだ。
あの阿呆な怪文書をばら撒いたのが、どこの誰だか知らないが、第二位のお方の人気は、ますます高まる一方で、全く逆効果だったってわけだ。
ハビは、香車から、本日から三日間の注意を聞かされた後、玄関先で第一位と元第二位のお方の到着をお待ちしていた。
しばらくして、どこかの大金持ちの商人らしい壮年の男と、黒いフード付きマントを纏う、長身痩躯の魔導士が、店の前で停車した騎獣車から降りてきた。
ハビは、二人の前に立ち塞がり、今日は貸切だからと入店を断ろうとしかけた。すると、魔導士の方が、フードをちょっとだけめくりあげて、声をかけた。
「久しぶりだね、ハビさん、元気にしてた?」
「へっ?」
ハビは、思わず間の抜けた声を漏らした。
妓楼でもお目にかかれない、絶世の美女だった。
その女の輝く紫眸を見た瞬間、誰なのかすぐわかった。
「痩せっぽちのチビちゃんかい?」
ハビは、しまったと思い、慌てて口を塞いだ。でも、もう後の祭りだ。
けれどチビちゃんと呼ばれた美女は、微笑んだ。
「ナイナイから、話は聞いているよね?今日から三日間よろしく頼むよ」
チビちゃん、いや、リーユエン様は、ハビの袖の中に、さりげなく心つけを忍ばせてくれた。
後で見たら、それはデナリウス金貨だった。ハビは、リーユエンの太っ腹に感激した。
ハビは、お二人を三階の最上等の貴賓室へ案内すると、香車の控える帳場へ直行した。
「香車、あれはチビちゃんじゃないかっ、あんな眸は、あの子しかいない。
俺には一目で誰かわかったが、背は恐っそろしく高くなっているし、顔は、物凄い美人だし、全く別人になってた。一体、どうなってるんだ?
本当に、あのチビちゃんが、第二位のお方なのかい?」
興奮したハビが一気に喋るのを、ナイナイは熱い茶を飲みながら、黙って聞いていた。
「ハビ、私は、前に言っただろう。あの子は大化けするって、どうだい、私の言った通りだろう」
ハビは、かれこれ五年余前のことを思い出した。そして、香車の見立ての正しさに感服した。
(ハビの回想)
五年前の早春、惜春楼に賑やかな若者の声が響いた。ハビは、玄関周りの整理を終え、渡り廊下を歩いていた。
(魔導士学院の後期試験が終わると、魔導士見習いの学生たちは、やたらと破目を外したがる。その上、最近、どうしたわけか、学院島は、プドラン宮殿のすぐ側近く、湖水草原の上に止まったまんまなんだよな。去年からずっとそうなんだ。浮遊島のはずなのに、あれじゃ、ただの浮島じゃないか。動力が壊れたのかねえ)
妓楼の渡り廊下は、各部屋の客同士が移動中に顔を合わせることがないよう細心の注意を払った設計のため、曲がり角が多く、複雑に入り組んだ造作だった。もちろん、客の踏み倒し逃亡防止の効果もあった。そして廊下と廊下の間にも凝った前栽が目隠しの役目を果たしていた。
廊下の角の薄闇の中、小さな黒い何かが床に蹲っているのを、ハビは見つけた。何か小動物でも迷い込んだのか、もしかして、姐さん方のペットが逃げ出したのかと、そっと近寄った。
小動物だと思った塊は、魔導士服姿の子供なので、驚いた。
「こんなところで何をしているんだ?」
ハビが尋ねると、子供はフード越しにハビを見上げた。
ハビは息を呑んだ。顔の左半分は焼け爛れて潰れていて、右側は人形のように整った顔だった。そして何よりも右側の紫眸の輝きに、ハビは魅せられた。
(残念だな、左側に火傷がなければ、この子なら妓楼で一番の太夫になれるだろうに・・・)
子供は立ち上がったが、ハビの腹のあたりに頭がやっと届くほどの小柄な子だった。
「みんな、酒を飲んで盛り上がっているけれど、私は、先に帰ろうと思って・・・」
ハビは、自分の顔を軽く掻いた。考え事をする時のくせだ。
(どうして、こんな子供が楼の中にいるんだ?)
「君、幾つなんだい?どうして、ここにいるんだい?ちょっと、俺についておいで」
ハビは、その子を促し、曲がりくねった廊下を歩き、香車のいる帳場へ連れて行った。
(うわ、香車、怒っているよ)
香車は、ハビが連れてきた子供を見るなり、煙管を囲炉裏の縁へカンッと鋭く打ち付けた。
「ハビ、誰がガキを連れて出勤したんだい。親も連れてきな」
ハビが子供を連れてきたので、香車は子持ちのベテラン妓女が、子守代をケチって、子供同伴で出勤してきたと思ったのだ。
ところが子供が
「親はいません。私は、魔導士学院の先輩に連れてこられたのです。早く家へ帰りたいので、ここから出してください。家の侍女は門限にうるさいのです」と、抑揚のない、冷静な口調で喋った。
ナイナイは目を眇め、子供をじっと見た。
「魔導士学院?確かに、おまえは魔導士服を着ているね。あそこの生徒なのかい?
勝手に先輩についてきちゃダメじゃないか。それに、あそこは全寮制のはずだよ。そんなことは私でも知っている。嘘はよくないよ」




