16 妃なのか妻なのか(1)
巽家の召使たちが、茶道具や茶菓子を運んできた。
その後、しばらくして、上機嫌な巽陰大公が、坤陰大公ともう一人、厚手のヴェールで顔を隠した、スラリと背の高い女を引き連れ、部屋へ入ってきた
席に着くとカーリヤは、、坤陰大公アガーナへ、リーユエンを紹介した。
「アガーナ、あらためて紹介するよ。この子がリーユエンだ」
リーユエンは立ち上がり、揖礼した。
アガーナは、いきなりリーユエンのそば近くまで寄ってきた。
彼女は、赤みがかった栗色の髪をふっくらと結いあげ、眸も髪色と同じ、カーリヤよりは少し色白で、若々しい玄武だった。目をキラキラさせて、リーユエンを上から下まで、本人が気まずくなるくらいに、じっくり見た。
「すっごい、なま明妃をこんなに間近に見られるなんて・・・来てよかった〜」
玄武の貴婦人らしくない、脱力した声に、緊張していたリーユエンは膝から力が抜けそうになった。
アガーナは、リーユエンへさらに近寄り、
「髪に触らせて」と、言い、本人が何か言う前にもう髪を一房手に取り、物珍しげにじっくり眺めた。
「ほわあ、白金色に輝いて、とっても綺麗ね。こんな綺麗な髪、見たことないわ。それになんだかとってもいい匂いがする。茉莉花の匂いね」
リーユエンはどう反応したらいいのかわからず、固まっていた。
カーリヤの横では、ヴェールをつけた女が身を震わせていた。笑いを必死でこらえる様子に、リーユエンは見覚えがあった。
(あの女・・・・まさか)
一瞬気になったが、今は目の前の脅威、坤陰大公アガーナへ再び意識を集中した。けれど、こんな軽い反応の玄武を相手にするのは初めてで、どうしたらいいのか判断がつかなかった。
「アガーナ、少し離れておやり、リーユエンがびっくりしているじゃないか」
「あら、ごめんなさい。こんなにそば近くで会えたから、すっかり興奮しちゃって〜」
カーリヤはお茶を淹れながら、笑った。
「リーユエン、座りなさい。楽にすればいい。
アガーナはね、去年のお茶会で、おまえを見た時から、もっと近くで見たい、見たいと騒いでいたんだよ。だが、震陽大公や兌陰大公の目があるから、私たちと立場が近いと思われたら、どんな嫌がらせをされるか分からない、それで、我慢させていたのさ」
リーユエンは初めて耳にする話だった。
アガーナは、屈託のない笑みを浮かべた。
「私は、ずうっと前からカーリヤとは、仲良しなのよ。でも、八大公の力関係って難しいから、私は、公の場では、中立に徹してきたの。でも、リーユエンが震陽大公を再起不能にしてくれたおかげで、これからは大っぴらに好きなように動けるわ」
カーリヤがその後を引き継いで説明した。
「震陽大公は、昔から反ドルチェン派の領袖だった。あの爺いは、法座主選びの時は、詐病で法座主を免れたくせに、ドルチェンが予想外に法力の強い、法座主として手強い相手だと気がついた途端、反対勢力となった。
兌陰大公は、元々乾家と通婚する間柄だったが、ドルーアとの縁談をドルチェンが断ってから関係が悪化したんだ。それを震陽大公が巧みに取り込んだのさ。そして坎陽大公も反ドルチェンだったが、あいつは日和見主義者だから、震陽大公が力を無くした以上、単独でこちらに刃向かう真似はしないだろう」
その後をまたアガーナが引き取った。
「離陰大公が、まだ拗れているけれど、彼女のことは気にしなくても大丈夫よ。彼女は、頭が単純なの。震陽大公の言にすっかり騙されていただけだから、そのうち、目が覚めるでしょう」
再びカーリヤが言った。
「あとはドルーアを捕まえれば、反ドルチェン派を一掃できる。彼女を早く見つけ出さないとね。まあ、政治向きの話はこれぐらいにしておこう。
ところでリーユエン、東海蜃市で、また新しい崇拝者ができたそうだね。その事で、助言を貰えると思って、この女に来てもらったよ」
大人しくしていた女が突然立ち上がり、ヴェールを取払った。
「リーユエン、久しぶりだね」
リーユエンも立ち上がった。
「ナイナイ姐さん」
ヴェールの下から現れたのは、波打つ黒髪を技巧を凝らして複雑に結い上げ、翡翠色の吊り目、つんと上向いた小さな鼻に、左側に小さなほくろのある紅唇、年齢不詳の妖艶な美女だった。彼女こそ、玄武一の格式を誇る妓楼、惜春楼の香車ナイナイ、リーユエンに女らしい仕草から、寝屋ごとのあれやこれやの全てを教育した本人だった。
ナイナイは、目を細め、リーユエンへ微笑みかけた。
「リーユエン、ちょっと見ないうちに、女っぷりが上がったねえ。そうそう、ゲオルギリーから、七万デナリウスも取り立ててくれて、ありがとう。私は、せいぜい五万デナリウス取り立てれば、上出来だと思っていたのに、さすがだね」
玄武の大長老カーリヤに、八大公の一人アガーナ、そして婀娜っぽさと不敵さを併せ持つ惜春楼の香車が並んで腰掛ける様は、地獄に落ちた者たちの罪を暴き、量刑を言い渡すという、三人の魔女さながらの迫力で、ダルディンは一刻も早くこの部屋から逃げ出したくなった。けれど巽陰大公は、ダルディンの退出を許さなかった。
「ダルディン、おまえも、後学のためにナイナイの話は、よく聞いておきなさい」
ダルディンは内心ガックリしながらも、立ち上がりかけた腰を再び椅子へ沈めた。
売れっ子の妓女を引退し、今は妓楼を管理する立場のナイナイは、地味な色めの凝った仕立ての衫、その襟元の黒真珠と薄灰色の玉を精緻な銀細工の鎖で繋ぎ合わせた瓔珞を指先でいじりながら、リーユエンへ話しかけた。
「リーユエン、最近、また新しい旦那がついたそうだね」




