15 処断の嵐(6)
兌家の屋敷に玄武兵の捜索が入る直前、ドルーアは秘密研究所から姿を消した。
彼女は、凡人の女に身を窶し、下層区に近い、中層区八条の、とある横丁の一角に潜伏した。彼女が脱出してすぐに、法座主府と枢密院から指令を受けた玄武軍が兌家を閉門し、兌陰大公は連行され、プドラン宮殿の深奥部の地下牢へ幽閉された。
閉門になった兌家の都屋敷は、玄武兵が一分の隙もなく包囲し、その上、魔道士協会が派遣した魔道士までもが、巡回していた。もし、見つかってしまえば、兌陰大公と同じく拘束され、幽閉されるに違いない。
屋敷の抜け道や隠し扉を知り尽くすドルーアでさえ、厳重な警戒を掻い潜り中へ侵入するのは諦めるしかなかった。
辛うじて持ち出せたいくつかの薬材を身につけたまま、この横丁に潜伏したものの、所持金も少なく、ゴミまで漁って、飢えをしのいだ。
領地に逃亡して潜伏すれば、そこまでする必要はなかったのだ。しかしドルーアは、ドルチェンの愛を独占したあの女だけは、決して許さない、絶対に、我が手で始末してくれようとの一念で、機会を待ち続けた。その一念を通すためだけに、都内に潜伏し続けたのだ。
それなのに明妃がいるはずの離宮は閉鎖され、出入りするのは、ごく少数の下働きの者たちだけ、明妃自身の所在がつかめないまま、焦りを募らせていた。
とうとうドルーアは、危険をおかし上層区へ出かけた。二条通から三条通にかけての役所街の一角、並木道の木立の一つに隠形術を使い、身を潜ませた。茂みの中でただひたすら、日の出から日暮近くまでじっと待ち続けた。そして、日暮れ近くになってようやく役所の門から出てきた役人の会話で、手がかりを得た。
「枢密院会議が開かれたそうですね」
と、一人が言うと、もう一人が応じた。
「まだ真冬なのに珍しいな。玄武の皆さんは、真冬は出歩くのを嫌がるのに・・・」
最初の発言者が、声を潜めた。
「猊下だよ、緊急招集をかけたそうだ」
「えっ、猊下は閉関なさっておられたのでは?」
役人は、さらに小声になったが、木立の茂みの中にいても、聴力に優れるドルーアには、役人の会話がはっきりと聞き取れていた。
「明妃殿下が、位を返上して行方知れずになっていただろう。彼女がお戻りになったそうなんだ。それで、猊下は閉関を解かれたそうだ」
「明妃殿下は帰って来たんだ。よかった〜、俺の部署、決裁書類が北嶺の頂くらいうず高く積み上がっているんだ。これで、やっと何とかなるよ」
「そんな能天気なことを言っている場合じゃないぞ。明妃殿下は、玄武大公のうちの誰かに狙われて、危うく死ぬところだったらしい。乾陽大公と一緒に戻ってきて、その下手人を懲らしめたそうだ」
「さすがは殿下、もう懲らしめたのか、彼女の仕事は早いな」
「まだ、続きがあるんだ。その下手人のやつ、他国の凡人にまで邪術を使ったそうだ。その人たちを見つけ出して、邪術の解呪をするそうだ」
「へえ、大事じゃないか」
「近々金杖王国へ、ヨーダム太師と直弟子が謝罪も兼ねて訪問するそうだ」
「どうして、金杖王国なんだ?」
「詳しいことは知らないが、玄武の邪術の犠牲者が金杖王国の関係者らしい」
「ヨーダム太師、魔道士協会の全体定例会議から戻ってこられたと思ったら、また、国外へ行くのか、忙しいな。ところで、明妃殿下って今は無官状態なのか?早く元に戻して、決裁を再開してほしい」
「安心しろ、近々復位されるぞ。復位式は、半月後の予定で、今日から儀仗局は、準備に取り掛かかるそうだ」
二人の役人は話をしながら、ドルーアの潜む茂みの下を通り過ぎ、それぞれの家路へついた。
二人の会話を聞き取ったドルーアは、式典に潜入できれば、明妃を仕留めることができると確信した。そのために、復位式の情報をさらに集める必要があると考えた。
木立から飛び降り、地味な凡人の姿でそこから離れようとした彼女は、誰かが尾行する気配に気がついた。中層区の七条あたりまで来たとき、彼女は、いきなり振り返り、尾行者へ毒薬を吹きかけようとした。その者は、一気に一丈も飛び下がった。
「待てっ、俺だよ。毒はしまってくれ。逃亡者同士なんだ、仲良くやろうじゃないか」
凡人の平民姿の男が話しかけた。巧みに擬態しているが、ドルーアは、その男の正体が玄武であることを、すぐさま見破った。
「おまえは、震家の・・・」
ドルーアは、こんなところで震家の逃亡者と出会おうとは、僥倖だと思った。さて、これをどう利用したものかと、思案した。
日暮前まで続いた枢密院会議がようやく閉会となった。
ヨーダム太師に従い、魔道士塔へ戻ろうとするリーユエンへ、巽陰大公が声をかけた。
「リーユエン、今晩はうちの屋敷へおいで、ちょっと話がしたいからね」
「かしこまりました」
リーユエンは太師へ断りを入れ、巽陰大公に従った。
巽陰大公の都屋敷は、上層区、法座主府宮殿の大門を出た大通りの東、一条通東中の角地にあった。
鬱蒼と茂る北嶺松の林を抜け、屋敷へ入ると客間に通された。そこには、すでに乾陽大公が座っていた。
リーユエンが揖礼すると、ダルディンは短息した。
「楽にしなさい。大伯母はすぐ戻ってくる」
それだけ言うとダルディン黙り込んだ。
リーユエンは小声で話しかけた。
「猊下からお叱りは?」
ダルディンは、彼女とチラッと見て、頭を振った。
「かなりお怒りだったが、一応許して頂けた。非常時のため、仕方なかったと怒りを収められたのだ。私が死なずに済んだのは、あなたのお蔭だと理解しておられた。あなたへも、何のお咎めもないだろう」
「そうですか、猊下がお怒りでないのなら、良うございました」
そう言いながらも、リーユエンは、内心では、直接の譴責はなかったとしても、猊下を裏切った以上、もう以前のような関係に戻るのは難しいだろうと悲観していた。明妃位へ復位することが決まったようだが、果たして自分が復位して良いのか、疑問に思っていた。




