15 処断の嵐(3)
「私は、ニエザと申します。リーユエンの兄弟子でございます」
男は近寄ってくると、目を眇め、ニエザをじっと見下ろした。
ニエザは、恐れ多いほど整った男の顔を見上げた。
(何なんだよ、この人、目茶苦茶格好いいけれど、態度も目茶苦茶でかい。
凡人じゃないよな・・・太師からは誰もリーユエンに近づけるなって言われてたのに、どうしよう)
「なるほど、おまえがニエザ、兄弟子なのか」
男は、納得したように呟くと、また踵を返し、腕を振って隠形術を難なく破ってしまった。そのまま、魔法陣の中へ侵入し、マントにくるまり眠るリーユエンの前に跪き、その髪を一房持ち上げ、口付けた。
(ヒエェェーッ、何という大胆な真似を・・・リーユエンは明妃殿下、法座主猊下の妃なんだぞ。そんな事をして、呪殺されても知らないぞ)
人の気配に、リーユエンは目を開けた。そして、自分を見下ろす高祖に気がついた。
「・・・・高祖さま?」
「目が覚めたのか、疲れは取れたのか?」
高祖は微笑し、圧の取れた優しい声で尋ねた。
リーユエンは、マントを肩からずらし、上半身を起こすと、まだ寝起きの焦点の定まらない目で高祖を見た。
「よく、この場所がお分かりになりましたね」
眠そうな声で話すリーユエンの頬を、高祖は指先で突ついた。
「わからないはずがなかろう。あなたの体には、私の紋が入っているのだ。どこにいようと、私があなたを見失うことはない」
そう話す途中で、高祖の目は一瞬青白く輝いた。
その瞬間、リーユエンの体は青白く発光した。眸はうるみ、体は震え、口元が弛緩したように開き、音にならないため息が漏れた。そして頬は、薄紅色に上気した。
ニエザは、その変化をつぶさに目撃した。あまりに危うい変化に、これは見てはいけないものだと思いながら、どうしても目を逸らすことができなかった。
高祖は、リーユエンを懐へ抱き込み、顎に手を添えて口付けしようとした。しかし、リーユエンは右手をあげ、高祖の顔の前で広げ、阻止した。
「もうご容赦ください。ここは、私の師父の住居でございます。どうか、お控えになってくださいませ」
リーユエンの声は、クリームのように滑らかで、艶やかに響いた。高祖を見上げる目元は上気して赤らみ、紫眸は情に潤み、星空のように光った。
その様に当てられたニエザは、すっかりのぼせて頭から湯気がたった。
リーユエンの反応に満足した高祖は、法力を引き上げた。
リーユエンは何事もなかったかのようにケロッとした態度で立ち上がった。
ちょうど、その時、窓からヨーダム太師が飛び込んできた。そして、リーユエンの横に立つ高祖を見るなり、目を瞠り、跪拝叩頭した。
「東海大帝陛下に、魔導士ヨーダムがご挨拶申し上げます」
それを聞いたニエザは、叫ぶどころか、腰を抜かした。
(東海大帝だって〜、嘘だろう!それって、魔導士学院の古代史授業で習った、三界の大戦を終結させた伝説の大玄武のことじゃないか。この男前すぎるお兄さんが、大帝って、本当なのか?)
東海大帝ならば、確実に一万歳を越えているはずなのに、目の前の長身の若者は、乾陽大公と同じくらいにしか見えなかった。
内心では、半信半疑で混乱したまま、ニエザもヨーダムに倣い、慌てて跪拝叩頭した。
高祖は、悠然と笑みを浮かべ、手を振った。
「そのような礼儀は不要だ。私は、無位無官、隠居の身だ。ただ、リーユエンに会いたくて来ただけだ」
そして、リーユエンを振り返ると、黒づくめの魔導士服姿に、顔を顰めた。
「まだその貧相な格好をしているのか。私の持たせた衣装を着たらどうなのだ?」
リーユエンは肩をすくめた。
「玄武国は蜃市のように暖かい気候ではありません。あのように襟元の空いた薄地の衣では、凍えてしまいます」
「ならば、白貂の房飾りつき、真綿入りの衫を仕立てさせよう」
リーユエンは、高祖を見上げ、優しく微笑み、
「そんなことより、高祖さま、お茶でも飲みましょう」と、腕を絡ませ、テーブルへ誘った。
その様子を見ながら、太師は、ニエザへ小声で尋ねた。
「大帝陛下は、いつからここにいらっしゃるのだ?」
「すみません、お言いつけ通り、目が覚めたら、すぐここへ上がって来たのですが、その時にはもう、ここにお出ででした」
ニエザは、さらに声を低めて尋ねた。
「大帝陛下と、リーユエンはどのような関係なのでしょうか?」
太師は仏頂面で、ニエザを見下ろした。
「見ての通りだろう、おまえでも、それくらいは分かるであろう」
ニエザは、嘆息した。
(もうっ、リーユエンったら、昔っからすぐ虫をくっつけて戻って来るんだから・・・・本当に困った奴だ。それにしても、今回は、名乗りの通りだと超大物だが、猊下はこのことをご存知なのか?)
高祖は、二人へ顔を向けた。
「二人で、内緒話などやめて、こちらへ来い。私は、腹が減ったのだ、何か食べさせてくれ」
まるで、自分の家で寛ぐ主人のような態度で呼びつけた。
ニエザは、尊貴なお方の機嫌を損ねるのは得策じゃないと割り切った。
「はい、ただいま、すぐご用意したします」
昨日の夕食の残り物であるシチューを温め、乾いたパンだけの質素な食事だったが、高祖は文句は言わずに機嫌よく平らげた。
ニエザは、自分が心に思い描いてきた大英雄の姿とは、かけ離れた様子に、本当に、この若者が、始原の玄武と呼ばれる東海大帝本人なのだろうかと、まだ疑問に思っていた。
食事を終えた太師は、リーユエンへ告げた。
「本日の会議には、あなたも出席せよと、猊下からのご伝言だ」




