12 黄金獅子の矜持(5)
「リーユエン、リーユエンの茉莉花の匂いだ。これは、リーユエンの血なのかっ」
そして、顔を上げたデミトリーは、ついにヨークの死体を間近で見た。
それは、リーユエンの痕跡に気づいた衝撃を上回った。
「ヨークッ!」
もう死んでいるのだとわかっていても、駆け寄らずにはいられなかった。
けれど、近寄って、その死体の有様をはっきりに目にしたデミトリーは、棒立ちとなった。
「どうなってるんだ?こんな事ってあるのか」
正面から見たヨークの体は真っ二つに裂け、茶色く変色し、ミイラ化していた。さらにその裂け目から、何か巨大な生き物の死骸が見えていた。
周囲には、その生き物の鋭い棘付きの鎌となった前肢や、翅が散乱していた。
かなり激しい戦いがあったのは、ざっと見ただけでも明らかだった。ここで手がかりを見つけなければ、ヨークが死んでいる以上、追跡石に頼ることはもうできないのだ。何とかして、手がかりを手に入れ、次に行くべき道を決めなければと、デミトリーは、必死で心を落ち着け、冷静に現場を見て回った。
そして、雪の上に何か平たい黒い物体を見つけた。
「あれは、もしかしたら・・・」
デミトリーは、その物体の側へ駆け寄った。しゃがみ込むと、それを手に取った。
「やっぱりそうだ・・・これはリーユエンがいつも身につけていた黒い面覆だ」
それは黒鋼のように見える面覆だった。
「ここにリーユエンがいたのは、間違いない。だが、どこへ行ったんだ?」
ここで彼らの痕跡が途絶えた以上、ハオズィの地図を頼りに、東海に面するという沿岸地域へいって消息を探るしかしないだろうと思い、デミトリーはさらに先へ進むことを決断した。
数日後、デミトリーは氷雪地帯を抜け、高原の砂漠地帯へ入った。
見渡す限り、砂と石ころしか見当たらない。乾燥し切った風が吹き抜け、砂を巻き上げた。雪狼の外套を脱ぎ捨て、デミトリーは、砂を吸い込まないよう頭から口元まで布を巻きつけて覆い、砂漠の中を進んだ。
氷雪の台地で皮袋に詰め込めるだけ雪を詰め込み飲み水用に持ってきたが、それすら、何日も旅を続けるうちに残り少なくなってきた。進んでも、進んでも、ただ茫漠と砂漠の広がる大地が続いた。
「この先に、本当に海なんてあるのか?行けども、行けども、砂漠だ。俺は、一体いつになったら、沿岸の国とやらにたどり着けるんだ?」
ある日、とうとう水がなくなった。
人の気配はおろか、生き物の気配すらない、砂の流れる音しかしない砂漠の中、前に西荒へ向かった時もこんな砂漠で美女にあったと思ったら、恐ろしい裸牙ネズミの化身だった。そんな事もあったなと思い返しながら、デミトリーは孤独な旅を続けた。しかし、その足もついに止まった。
(もうダメだ。これ以上は一歩だって進めない。俺は、こんな場所でたった一人で死ぬのか・・・リーユエン、君に会いたい)
ギラギラと照りつける日差しを避ける場所もなく、焼きつくように熱い砂漠の中、デミトリーはとうとう倒れてしまった。
デミトリーは、黒い面覆を取り出し、それをじっと見つめた。
「これをリーユエンへ渡してやりたかった。もう、渡せそうにないな」
掠れた声でつぶやいた。
突如、面覆から黒い靄が現れた。それは、デミトリーの目の前で霧状に広がり、やがて白い光を放った。
その光の中から、金眸三眼、渦巻く白い長毛を霊気で吹き流すアスラが現れた。
デミトリーは、臨終が近づき、自分は幻影を見ているのかと目を擦った。
アスラは、デミトリーへ近寄った。そして力強い口調で言った。
「乗れ、リーユエンのいる場所がわかった。おまえが、ここまで連れてきてくれたおかげだ。距離が近づいて、やっとわかった。連れていってやる」
飢えと乾きで意識が朦朧とするデミトリーは、これが幻でも、どうせ死ぬのだから構うものかと思い、最後の力を振り絞り、アスラの背に跨がった。
蜃市では、数日降り続いた雨がようやく止んだ。
爽やかな快晴となり、ミレイナは、内宮の花の咲き乱れる中庭へ、大お祖父様とリーユエンをお茶へご招待しようと思いついた。
女官に頼んで、テーブルや椅子を東屋に運んでもらい、お茶菓子やお茶も用意した。そして、神廟へ使いを出すと、高祖から承諾の返事が来た。
午後の明るい日差しのもと、乾陽大公と二人で待っていると、高祖がリーユエンを連れて、中庭の真ん中にいきなり現れた。
紅色や白や黄色、薄桃色、薄紫色と、色とりどりの芙蓉花が風に揺れる庭園の中、リーユエンは、純白の袿の上に、芙蓉の花びらを思わせる柔らかな薄衣の桜色の衫重ね、裙は、銀糸で細かな草花紋を織り出した青磁色の裙の上に衫と同じ桜色の薄衣を重ね、一番上の袍は、さらに薄く透き通るような銀色の光沢を帯びる白絹だった。
ミレイナはその姿にうっとりと見惚れた。
春らしい淡い色合いの中に、彼女の白金に輝く長い髪が風に揺れ、空いた胸元には、純白の見事な薄紅を帯びた大粒の真珠が、細い金鎖の先に揺れ、その立ち姿は、まるで花が枯れたら消えてしまう、花精のように儚げに見えた。
ダルディンも、リーユエンの姿を見て、玄武の国では、いつも詰襟の衫ばかりで、胸元を見せたことがないので、つい、胸元に目がいってしまった。
そして、高祖は、神聖紋と玄武紋をどうしてしまったのだろうと、眉を微かに寄せた。
ダルディンの視線と表情で、高祖は、何となく考えていることがわかったようで、少し得意げに笑みを浮かべた。
「そなた、紋のことが気にかかるのだな。法力が通れば、光って浮かび上がる。しかし、普段まで見せる必要はあるまい。紋などあっては、この美しい肌が台無しだ。見えなくしたおかげで、やっと似合う着物を着せてやれる」
ダルディンもその点では高祖に同感だった。ただ、以前より胸元が膨らみ、より女らしくなったリーユエンに戸惑い、その華やか姿に、ますますリーユエンとの距離が離れていくのを感じた。




