12 黄金獅子の矜持(1)
小雨が降り頻る午後、ミレイナは、乾陽大公の滞在する迎賓館を訪れた。
客間に迎えられ、長椅子に腰掛けたミレイナは、大公を見上げ嘆息し、午前中神廟を訪れたことを報告した。
「殿下にばかり、嫌な役目を引き受けさせて申し訳ない」
ダルディンは、ミレイナの疲れた様子が気になった。いつもの溌剌さが影を潜め、目も伏目がちで、萎れた花みたいだった。
「嫌な役目なんかじゃないわ。大お祖父様は、少し意地悪なこともおっしゃるけれど、本当はお優しい懐の深い方よ。ただ、法力が強すぎて、みんな怖がり恐れ敬うばかりで、親しくなろうとしないのよ」
「今日は、何だか、殿下は元気がなさそうだ。どうしたんだ?
高祖から何かお叱りを受けたのか?」
ミレイナは、驚いた。自分の顔はそんなに元気がなく見えるのだろうかと、不安になった。
「もし半年以内に、リーユエンの記憶が戻らなければ、大お祖父様は、あなたへ玄武国へ帰れとおっしゃったでしょう?もう二ヶ月過ぎてしまったわ。
私、考えたのだけれど、半年過ぎても、この蜃市にそのまま留まる方法があると思うのよ」
ダルディンは、薄い緑の眸を、ミレイナへ向けた。
「半年過ぎても、私がここに留まる方法なんてあるのかな?私は、他国者だ。
高祖が出ていけと仰せなら、出て行くしかないだろう」
「あなたが、他国者でなくなれば、ここに留まれるわ。家族になればいいのよっ」
ミレイナは、思わず考えていたことをそのまま口に出してしまい、乾陽大公を見上げたまま真っ赤になった。
ダルディンは最初、意味がわからなかったが、ミレイナの顔色の変化で悟った。
「家族って、もしかして、殿下と・・・」
ミレイナは、これ以上ないほど真っ赤な顔で、無言で何度も大きく頷いた。
ダルディンは、ミレイナへ今まで見せたことのない優しい笑顔を見せた。
(乾陽大公が、笑った・・・)
ダルディンは、ミレイナの両手を自分の手でそっと包み込んだ。
「ミレイナ王女殿下、ありがとうございます。
このダルディンめに過分なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます」
他人行儀な言葉の羅列に、ミレイナは、やはり乾陽大公は、リーユエンが好きなのかしらと涙が溢れそうになった。
けれど、ダルディンは、彼女の手を優しく包み込むように握ったまま続けた。
「王女殿下の純粋なご好意を、伯父の妃を取り戻すためとはいえ、利用するような真似は、私にはできないのです。
私は、王女殿下のご好意にお応えしたい、けれど、それは、リーユエンが記憶を取り戻し、玄武の国、法座主猊下の元へ連れ帰った後でなければならないのです。
そうでなければ、殿下の折角の純粋なご好意を、このダルディンめは汚してしまう事になるからです。
私、ダルディンめは、純粋なご好意に対しては、自分自身も純粋な気持ちでお応えしたいのです。
どうか、ご理解ください」
ミレイナは、神廟からの帰り道、ずっとモヤモヤと、自分自身に付き纏っていた薄汚れた靄が綺麗さっぱり吹き払われたのを感じた。
ダルディンの大きな手に握りしめられた手からは、暖かな法力を感じ、ミレイナは、これこそが、本当の愛情と言うものなのだと実感した。
「ありがとう、乾陽大公、今の言葉を忘れないでね。私は、待っているわ」
今度はダルディンが無言で大きく頷いた。
今より遡ること、数ヶ月前、リーユエンが、狐狸国で東荒行きの隊商立ち上げ準備に奔走していた頃、金杖王国では、デミトリー王太子殿下が、気落ちし切って立ち直れないでいた。
王太子としての必要最小限の政務を片付けると、後宮と皇太子宮の境界となる中庭へ出向き、例の長椅子の前で蹲る姿が、日課のように続き、それを多くの者が目撃した。
その日も彼は、中庭で、長椅子の座面に顔を埋めるように蹲っていた。
すると、彼の鼻先に、手紙がヒラヒラと揺らされた。その香りに反応し、琥珀色の瞳がカッと見開いた。
それは、忘れようもない、茉莉花の香だった。
「リーユエン・・・」
つぶやきが漏れ、王太子は、座面から顔を上げた。
けれど、見上げた先にいたのは、自分を見下ろす金杖国王陛下、父であるゲオルギリーであった。
陛下は、悪ぶった笑みを浮かべ、手紙をひらひらさせながら言った。
「ほら、見ろ、見ろ、リーユエンへお手紙を送ったら、返事をくれた。
王妃もロージーも返事が来て喜んでおった」
デミトリーは、そんな話、聞きたくもなくて、耳を塞いだ。
けれど、陛下は、わざわざその耳元まで顔を寄せ、さらに続けた。
「どうして、おまえは手紙を書かないのだ?そうすれば、律儀なリーユエンのことだ、返事くらいはくれたであろうにー」
「放っておいてください」
力のない声で、デミトリーは言った。
あれほど、強烈に拒絶され、張り手一発で意識が飛んだのだ。
そして、リーユエンはまるで罪人のように髪をバッサリ切り落とし、逃げ出したのだ。
そんな非情な彼女へ、一体今さら、どんな文を送れと言うのだろう。
デミトリーは、さらに悲しみの海に沈んだ。
ところが、そんな心情などお構いなしに、陛下は、デミトリーが誰にも座らせず、大切に守ってきた青い布張りの長椅子にどっかり腰掛け、彼を見下ろした。
「おまえはどうしようもない大馬鹿者だ」と、陛下は、突然声を低くして続けた。
「法座主ドルチェンが閉関したぞ」
けれど、悲しみの海に沈みきったデミトリーは、父の言葉の意味するところを、まるで理解できなかった。




