11 始原の玄武ー東海大帝ー(4)
リーユエンは、自身の考えに気を取られ、一瞬、受け身が遅れた。
ダルディンの棒が、リーユエンの右手首へ迫った。
ダルディンは「いかんっ」と思い、当たる寸前で止めた。
ミレイナも驚き、「リーユエン、大丈夫なの?」と、駆け寄った。
リーユエンは、六尺棒を取り落とした。棒は、カランと音を立てて地面へ転がった。
(あの時は、棒が叩きつけられ、私の手首は折れた)
その時の痛みが甦り、リーユエンは真っ青になった。
けれど、手首を棒で叩き折ったのが誰なのかが、思い出せなかった。
(どうして・・・どうして思い出せないの・・・あの人は・・・)
ダルディンが寸止めしなければ、折れていたはずの手首を見つめながら、リーユエンは激しく動揺した。
高祖は、端正な顔を険しい表情にかえ、リーユエンに近寄り、その手首をそっと持ち上げた。
「誰も、そなたの手首を折ったりはできない。私が、そんな真似は決し許さない。
あなたは、私の妻なのだから、私があなたを守る」
リーユエンは、呆然と高祖を見上げた。
(あの人も何だか似たようなことを話していた気がする。あれ?あの人って誰だったのかしら・・・)
高祖は、いきなりリーユエンを横抱きにし、ミレイナとダルディンへ
「今日は、もう疲れたようだから連れて帰る。また、明日連れてくる」と言い、神廟へ帰ってしまった。
その夜、神廟から風に乗り、楽の音が聞こえてきた。
琵琶を爪弾く音が、哀切な調子を帯び、嫋々と流れてきた。
ダルディンは、その調べに瞑目し、耳を澄ませ、荒れ狂う心を鎮めようとじっとこらえた。
棒術の稽古は、リーユエンの心のどこかを刺激したに違いないと確信していたけれど、伯父上との記憶を取り戻させるには、何かが決定的に欠けている気がしてならなかった。
琵琶の響きには、悲しみと嘆きが混じりあっているのが感じられ、リーユエン自身も思い出せない事に苦しんでいるのだろうと、ダルディンは考えた。
ところが、その琵琶の音は突然途絶えた。
ダルディンは思わず、椅子から立ち上がった。そして、法力の及ぶ範囲で反応を探りかけたが、すぐやめた。
本当に調べたい場所である神廟は、高祖が強力な障壁結界を張り巡らし、中の様子を探ることなど、若輩のダルディンには不可能だった。結局、その夜、琵琶の音が、再び聞こえてくることはなかった。
最初、琵琶を弾かせ、その見事な調べに聞き惚れていた高祖は、その物悲しい哀切極まりない調子に、我慢がならなくなり、途中で、リーユエンから琵琶を取り上げてしまった。
いきなり琵琶を取り上げられたリーユエンは高祖へ
「旦那様、何かお気に召さないことがお有りでしたか」と、もの柔らかに尋ねた。
それには答えず、高祖は、彼女をいきなり抱きしめた。
「あなたは、薄情なお方だ。思い出せもしない者のことばかり考えて、目の前にいる私へは、関心を向けようともしない。
私たちは、あれほど何度も夫婦の契りを交わし、添い遂げてきたのに、どうして、あなたは何も思い出してはくれないのだ」
リーユエンは、高祖の背中に腕を回し、その背中を撫でながら、戸惑っていた。
この高祖と呼ばれる若々しい玄武から、何度も夫婦だったと言われたけれど、そんな記憶は何も思い出せず、ただ私を抱きしめてくれた方は、このお方ではなかったはずだと違和感しかなかった。
ところが、そう思う一方で、高祖に抱かれると、なぜか満たされて心が落ち着くのが不思議でならなかった。
(一体、私はどうしてしまったのだろう。頭の中はこの方じゃないと思うのに、どうして、この方に抱かれると安心してしまうのだろう)
翌日からは三日間雨が続いた。
高祖は警戒しているのか、リーユエンを内宮へ連れてきても、短時間で切り上げ、連れて帰った。
行動的なミレイナは、お茶菓子の差し入れを口実に、またもや神廟を訪問した。
ミレイナを迎えた高祖は、長椅子に半ば寝そべるような姿勢で、懐にリーユエンを抱いたままだった。
ミレイナは、目のやり場に困ると思いながら、丁寧に揖礼した。
高祖は、内官にお茶を淹れさせ、下がらせてしまうと、ミレイナへ話しかけた。
「そなたを利用するとは、あの乾陽大公も大した男ではないな」
ミレイナは、いきなり乾陽大公を貶す高祖に驚いた。
「大お祖父様・・・」
「伯父の女を取り戻すために、そなたの愛情につけ込んでいるのだぞ」
ミレイナは思わず反論した。
「乾陽大公は、そんな卑怯なお方ではありません」
高祖は、ニヤッと意地悪げに笑った。
「ミレイナ、可愛い私の昆孫よ。そなたはまだ子供で、そのような男女の仲の知識がないから、わからないのだ。
そなたも知っての通り、あの乾陽大公は、リーユエンは伯父の妃だと言いながら、その一方で、彼女と関係を結んだのだぞ。おまえにどれほど誠実な態度で接しようと、下心がないとは言えないだろう」
「でも、それは事情があってのことです。
私は、乾陽大公のお人柄を信頼しています」
「ハンっ、人柄だと・・・、そんなものが何の役に立つ?
ミレイナ、冷静に考えてみよ。この女とそなたなら、全く勝負にならない。
そんな事は、そなただって分かっているのだろう?」
ミレイナは、もっとはっきりと、私は乾陽大公を信じている、それにリーユエンだって、私から乾陽大公を奪うことはしないはずだと信じていると、断言したかった。
けれど、もし乾陽大公の愛を、リーユエンと争う状況になったら、自分に勝ち目なんかないだろうと分かっているので、とても悲しくなった。
高祖は、ミレイナの内心の動きが素直に現れる顔色を見ながら、優しい声で言った。
「私は、そなたを虐めたいわけではない。そなたが、あの男の愛を手に入れたいと思うのなら、私に協力すべきだと言いたかっただけだ。
私がリーユエンを手元に置き、愛する限り、二人で乾陽大公を争うような事態は生じないのだからな」
ミレイナは何も言い返せなかった。高祖の言葉が、ミレイナの心に毒となって浸透し、乾陽大公への純粋な思いがぐらつきそうになった。




