10 捨心(2)
白金の髪をそっと持ち上げたまま、高祖がもの思いに耽っていると、微かな呻き声が聞こえた。高祖は驚き、手から髪がこぼれ落ちた。
すぐさま彼女の顔をのぞき込んだ。
おおらかな弧を描く眉が微かにひそめられ、長いまつ毛が震え、そして目が開いた。
ぼんやりと見開いた紫眸に映るのは、ただ高祖の顔だけ・・・
高祖は、瑞々しい輝きを放つ紫眸を見つめた。
砂漠の中、渇きに死ぬ寸前でオアシスに辿り着き、泉を見つけた旅人のように、紫眸を食い入るように見つめた。眩しい日差しを反射して輝く水面のように、光を放つ眸、それこそ、玄武の女には決して見出せない、情がなせる煌めきだった。
「あなたが、凡人として生まれ代わるたび、私は、あなたに恋をせずにはいられない」
高祖の口から漏れたつぶやきは、まるで苦鳴のようだった。
齢は一万年を越え、俗世の全てから超越し、その心は岩塊のごとく揺るぎない高祖は、この時、女人の紫眸に心を絡め取られ、自身の冷え切った心の中から、再び熱い情動が泉となって湧き上がるのを感じた。
高祖は、彼女を抱き起こし、その唇へ、自身の唇をためらう事なく重ねた。女人から立ち上る誘香涎血の芳香を、深々と吸い込み、高祖の眸は縦長に変じた。
その日から、高祖自身も神廟から一歩も出てこなくなった。
神廟への禁足が言い渡されてから、一ヶ月が過ぎた。
リーユエンの復活を待ち望むダルディンは、いつまでも続く禁足状態に、もしや繭胎に異変が生じたのではと、懸念を深めた。
ミレイナも、恩人であるリーユエンがどうなったのか、ダルディンと同様気がかりで、王と王妃、神廟へ仕える神官たちへも、何度も立ち入り許可を求めたが、高祖からの許しが下りることはなかった。
業を煮やしたミレイナは、持ち前の行動力を発揮し、神廟に使える内官へ探りを入れた。そしてわかったことに驚き、早速ダルディンへ伝えた。
「大お祖父様ったら、神廟内は立ち入り禁止って、おっしゃったくせに、内官たちは中へ入っているの。それも食事の上げ下げ、しかもそれが二人分だというのよ、その上、女物の装束一式も何着も運び込んで、どうやら、内官は、その誰かさんの着付けもしたようなのよ」
と、ここまで一気に喋り、息継ぎするや続けた。
「絶対、絶対、変よ。大お祖父様は、私たちに、何か隠しているのよ」
ダルディンもまた、王女の言葉に新たな疑念に囚われた。
「女ものの装束一式だと・・・まさか、リーユエンはすでに繭胎から外へ出ているのでは?」
ミレイナも同じ見解だった。
「そうよ、きっとそうに違いないわ、もう出してあげたのなら、どうして大お祖父様は、その事を私たちに教えてくださらないのかしら・・・隠し事をなさるなんて、大お祖父様らしくないわ」
ミレイナは、そこで一旦言葉を止め、考えた。
「そうだわ、神廟に使える内官を捕まえて、もっと厳しく問いただしてみればいいわ」
「無理に聞き出すのは、よくないだろう」
「でも、私はどうなっているのか早く知りたいわ。それに、大お祖父様が教えてくださらないのなら、こちらから探るしかないもの」
ダルディンも、リーユエンのことを知りたい気持ちは同じだったし、他にいい方法も思いつけなかった。結局、王女の案に従う事にした。
翌日、ミレイナ王女は、神廟近くの植え込みに隠れ、前を通りかかった神廟仕えの内官を拉致した。
自身の殿舎へ法力で縛して運び込み、そのまま柱に縛り付けて、厳しい声で詰問した。
「神廟の中に誰かいるのでしょう、一体誰なの、素直に言いなさいっ」
内官は、真っ青な顔で声を振るわせた。
「殿下、どうか、ご容赦ください。神廟内のことは絶対お教えすることはできません。
そんな事をしたら、私めの首が、胴から一瞬で離れてしまいます」
王女も必死なので、その程度の泣き落としでは諦めなかった。
「絶対に秘密にするし、私の殿舎付きで雇ってあげるから、教えてちょうだい」
けれど内官は激しく首を振り、唇を血が滲むほど噛みしめ、黙り込んだ。
ダルディンもミレイナの肩越しに内官をのぞき込み、沈痛な面持ちで語った。
「おまえは、黙ってさえいれば、罰せられることはないと思っているのだな。
しかし、この殿舎に引きずり込まれた事実を、高祖が知るところとなれば、秘密を漏らした漏らさないに関わらず、おまえは無事では済まないだろうな」
内官は、目を虚ろに見開き、ガタガタと震えた。
ダルディンは、ここでわざとらしいため息をついた。
「私が知りたいのは、高祖がおひとりなのか、そうではないのか、という事だけだ。
それさえ明らかになれば良いのだ」
そう言うと、縦長に変じた双眸で、内官の顔をじっくり見ながら、ゆっくりと
「おひとりなのか・・・違うのか」と、尋ねた。
内官は声こそ出さなかったが、違うという言葉を聞くと、その眸は左右に激しく動いた。
ダルディンは王女へ言った。
「もう、解放してもらって構わない」
縄を解かれるや、内官は脱兎のごとく走り出し、殿舎から逃げ出した。
ダルディンとミレイナは、目を合わせ頷き合った。
二人とも結論は同じだった。
高祖の神廟には、もう一人、誰かいる。
「お父様に、もう一度神廟を訪ねる許可をかけ合ってみましょう」
二人は、王が日中政務を取る外宮の本殿へ向かった。
本殿の前で、建物から出てきた侍従が、二人へ足早に近寄った。
「今から、お二人へお知らせに行こうとしていたところです。
内宮へお戻りください。
高祖が、王妃のお茶会へご出席遊ばされます。王はもう内宮へ入られました。お二方も陪席せよとの仰せです」




