10 捨心(1)
御前試合の結果、国王と王妃の疑念は、完全に払拭された。
これほどの武芸の達人ならば、法座主である伯父が寵愛する妃の護衛として、付き従うのは、当然であると納得できたからだ。
そして、最愛の娘ミレイナに、これほど相応しい婿候補はいないと、ミレイナの思いが成就できるよう積極的に後押しすることを、二人は決断した。
試合の終了後、高祖は、自ら、ダルディンへ声をかけた。
「乾陽大公、素晴らしい棒術であった。
我らは、武芸に秀でた者は歓迎する。どうだ、ミレイナも、そなたのことは憎からず思っているようだから、婿になって蜃市に留まってはどうだ。そうしてくれれば、私も、棒術の打ち合い相手ができて、大いに助かるのだがな」
ダルディンは丁重に揖礼した。
「勿体ないお言葉を賜り恐縮でございます。どうか、私のことはダルディンとお呼びください。
身に余るお言葉ではございますが、私は、伯父である、玄武国の法座主猊下より明妃殿下をお預かりしている身、彼女を必ず玄武国へ連れ帰り、伯父へ無事引き合わせ、役目を全うしなければならないのです」
好意的な提案を躊躇いもなく拒絶するダルディンの言葉に、傍で聞いていた国王は、微かに眉を寄せた。
一方、高祖は、若者らしい一本気な話ぶり、野心のない真摯な態度に、不愉快になるどころか、逆に好感すら感じた。高祖は笑みを浮かべ、鷹揚に言った。
「ならば、繭胎から彼女が現れたなら、その時、本人へ、どうしたいのか確認することだ」
御前試合までは、ダルディンは神廟へ日参し、リーユエンが入っている繭胎の様子を、几帳面に確認していた。
けれど御前試合の翌日から、高祖は、
「これから微妙な調整の時期に入るので、繭胎にはどのような刺激も与えてはならない。
しばらくの間、神廟内に誰も立ち入ってはならぬ」と、禁足令を出した。
さらに、チェンガムと禁護衛の兵士たちは、ダルディンから棒術の稽古をつけてもらいたがり、禁護衛府の教練場へ行く日が増え、他にも、ミレイナ王女に伴われ、蜃市内の様々な人々に紹介され、社交にも忙しく過ごした。
こうして、ダルディンの憂鬱は晴れていったが、心の中では、リーユエンの回復を常に祈り続けていた。
高祖が神廟内への立ち入り禁止を言い渡した直後、繭胎は突如静まった。
激しい光の明滅は絶え、激しく蠢く気配も消えてしまった。
それから半月後、高祖は、天井から下がる静かな繭胎を暫しの間じっと見上げ、「そろそろ、繭胎を開けて、中身を見てみるか」と、つぶやいた。
高祖は、最初、ミレイナ王女とダルディンを呼び寄せ、二人とも立ち合いの上で、繭胎を開けようかと考えた。
しかし、万が一、変わり果てた姿を晒したら、二人には受け止め難い衝撃となるであろうし、数千年ぶりに施した難易度の高い術の結果を、ただ一人で、じっくりと確認したいという思いも強かった。
結局、自分以外の誰もいない状態で、開けてみることにした。
空気の揺らぎさえ音となって聞こえそうな、静寂に満たされた瞑想堂の中、高祖は、天井高くから吊り下がった真っ白な繭胎の下に立った。そして、印訣を結び、法力を飛ばし、繭胎全体を結界で包み込み、天井に繋がる軸を切り飛ばした。
繭胎はゆっくりと降下し、床に着地した。
高祖は、足元の繭胎全体を見回し、どこにも損傷がないことを確認した。
それから、呪言をささやきながら、手刀を走らせた。
手刀の先から法力が刃のように照射され、繭胎は切り裂かれたいった。
切り口から透明な水が溢れ出た。
そして、現れた中には、女人が一人横たわっていた。
月光を集めて撚り合わせたような、白金に煌めく髪が長々と全身を守るかのように波打ち、絡みついていた。
髪の隙間から見える肌は、抜けるような白さで、白磁のようにしっとりとした艶があった。
高祖は腕を伸ばし、頭部の下、顔のあたりの髪をそっと摘み上げた。
形の良い額に、繊細な弧を描く眉、黒く長いまつ毛に縁取られた目は力無く閉じられたままだった。
細く通った鼻筋の下に、艶やかで、愛らしい唇がほんの少し開き加減で、微かな息吹が感じられた。形の良い頤から、すんなりと伸びる首から肩にかけては、なだらかな曲線を描き、鎖骨の下、胸元まで視線を移せば、そこには双丘が、愛らしく桜色の先端がわずかに見えたが、髪に覆われ少し見えただけだった。
(高祖の独白)
ついに、この日が来た。
どれほど長い年月待ち続けたことか。
一瞬の邂逅ののち、消え去った、このお方の最後の姿、我が目に焼きついて決して忘れることのなかった、あの時のお姿を、とうとう我が手で再現することができたのだ。
目が合ったその刹那、声を聞くうちに、このお方の体は燃え尽くされ、灰と化し、風に吹き散らされて消えてしまった。
その後、私は、このお方を探し求めた。このお方が転生するたびに探し出し、夫婦の契りを、幾たびも交わしてきたのだ。
こうして、ようやく全き姿を取り戻し、私は、再びこの方と夫婦の契りを交わすのだ。これほど嬉しいことがあるだろうか。もう、決してこの方を手元から引き離したくない。
かつて白玄武の者たちは、このお方の転生を恣意的に歪め、このお方を虐げた。万死に値する大罪に、あの者たちは滅ぼされて当然だった。
だが、まさかその後、このお方が行方知れずになるとは、まさか、あのダルディンの伯父とやらが、中有に留め置くなどと常軌を逸した真似をしておったとは・・・やっと我が手に取り戻したのだ、もう決して手放したりはしない、このお方は、私の妻なのだから。




