9 換骨変易法(5)
自己嫌悪の沼に沈んだダルディンは、なかなか浮上できずにいた。
魂が抜けたように元気のないダルディンに、ミレイナは辛抱強く接した。
朝は、挨拶に行き朝食を共にし、昼は城郭の外の港町へ連れ出し案内し、夕べには、晩餐を共にし、とにかく時間の許す限り一緒に過ごすように努力した。
彼が瞑想している時ですら、お茶の用意をし、終わるのをじっと待っている有様だった。
ミレイナ付きの侍女たちには、乾陽大公の評判は上々だった。
彼女たちは、ミレイナ王女と乾陽大公は、お似合いだわと思い、二人の様子を微笑ましく見守っていた。
「王女殿下は、乾陽大公に夢中ね」
「当然よね。お背が高くて、精悍なお顔立ちで、それにあの少し透明感のある緑がかった浅黒い肌が本当に素敵だわ。眸も透き通るようで、橄欖石のように美しい緑色で本当に素敵ですもの」
「そうよね、しかも、大公の称号をお持ちなだけあって、あの気品のある物腰、それなのに、全然尊大なところがなくって、本当に素敵なお方だわ」
一方、内宮の者たちとは対照的に、彼女の従兄である禁護衛総大将のチェンガムは、ミレイナ王女が、乾陽大公にばかり構うのが面白くなかった。
上司の気分は、自然と下の者へ伝わり、禁護衛の兵士たちは、皆、乾陽大公に冷たい視線を向けていた。
彼女の両親である、国王と王妃も、乾陽大公のことは好ましく思っていた。
ただ、伯父の妃だという凡人の女との間柄だけが気がかりで、王女の思いの成就のために、後押しすることに躊躇いがあった。
母親である王妃は、自分の一人娘であるミレイナの将来に関わることだけに悩みが深かった。それで、自身の姉、チェンガムの母親にも相談を持ちかけた。
王妃の姉は、我が子チェンガムの、ミレイナに対する思いを分かっているので、相談を受けた時にまず考えたのは、どうすれば我が息子の魅力に、ミレイナが気づくだろうかということだった。それで、チェンガムの得意分野へ、妹である王妃を導くことにした。
「乾陽大公というお方は、確かに物腰もご立派であるし、なかなか見識のあるお方とお見受けしますが、武芸の心得の方はいかがなのでしょうね。
私たち青大亀の一族は、古来より、高祖の厳しいご指導の下、武芸の鍛錬を怠ることのない者たちばかり、一度、国王陛下の前で、御前試合を開催し、あの乾陽大公の実力がいかほどのものなのか、ご確認になってはいかがかしら」
王妃は、姉の提案を名案だと思った。
確かに、大公であろうが、法力が豊かであろうが、やはり武芸に秀でた者でなければ、王女であるミレイナに相応しくないし、ミレイナも、そんな男には興味を失うだろうと思った。
それで、国王陛下を焚きつけ、御前試合を開催することにした。
御前試合のことをミレイナから聞いたとき、ダルディンは自分に関係あるとは全然思っていなかった。
ところがミレイナは、「乾陽大公も参加するでしょう。もう、参加しますってお返事しておいたから、頑張ってね」と、当然のことのように話した。
ダルディンは呆気に取られた。
「えっ?私も出るのか。私は、蜃市の民ではないのに、出てもいいのか」
「あら、そんなの、いいに決まっているじゃない。
はるばる北の果ての玄武国から来られた乾陽大公が、どのような戦い方をなさるのか、皆、興味津々なのよ。是非参加して頂かなくては」
「蜃市の人たちは、武芸の類がお好きなのか?」
「そうね、この地は、大お祖父様が、大昔、三界の戦いを平定した大将軍でいらした関係で、今でも尚武の気風が根強いわ」
「三界の戦いを平定した大将軍って、それってまさか・・・」
ダルディンは、気になることを尋ねようとしたのに、試合に夢中なミレイナは、それに気が付かず、話題を変えてしまった。
「乾陽大公は、何で戦うの。得物は何を使ってもいいのよ」
その後、ミレイナは、まだ戸惑う乾陽大公を、王宮の武器庫へと連れて行った。
御前試合は三日後に開催された。
客人である乾陽大公は、御前試合の勝利者と最後に一度だけ戦うことになっていた。
一見すると、客人として丁重に扱われているようだが、それは、チェンガムの母親が、優勝するに違いない武術の達人チェンガムと最後に戦わせ、実力の差を印象付けようとの狙いがあったからだ。
国中から集まった武芸自慢が三日間に渡り試合を行い、予想通り、優勝は、禁護衛総大将チェンガムだった。
チェンガムは、禁護衛総大将にのみ帯刀を許された神剣叢雲飛燕切を手に演武台へ現れた。反り返った刀身二尺五寸の長刀である。
演武台の反対側から乾陽大公が現れた。
乾陽大公が右手に持って現れた得物を見た者たちは、失笑した。吹き出してしまう者さえいた。
彼は、刀でも槍でもない、ただ、六尺余の、長い棒を持って現れたからだ。
ところが、それを見て笑わない存在が二人だけいた。
一人は、もちろんミレイナ王女で、もう一人は、今日わざわざ高覧のため神廟から足を運んだ高祖であった。
国王の隣に腰掛けた高祖は、少し身を乗り出した。
「ほう、乾陽大公とやらは棒術の使い手なのか。これは珍しいな」
国王は、高祖が珍しく興味を示したので驚いた。
「棒術ですか?あのような棒では、叢雲飛燕切に一刀両断されてしまうのでは?」
「さあ、どうであろうな。武器庫の中に、私が大昔使っておった棒も残っているはずだから、乾陽大公が使いこなせるのなら、良い試合になるだろう」




