9 換骨変易法(4)
五日後、高祖から許しが出て、ダルディンはミレイナ王女とともに、神廟へ参内した。
高祖神廟は、中央に八角形の瞑想堂を配し、屋根は青い瑠璃瓦葺でその先端は反り返った飛檐で、頂上には青瑠璃石の宝珠が飾ってあった。
瞑想堂からは、緩やかに弧を描く柱廊が伸び、その先は左右対称の楼閣であった。
神廟の前庭は、一面浅い池で澄んだ水が風に吹かれて漣となり、それが光を反射し、神廟の白い大理石に漣の動きを投影し、幻想的な眺めとなった。
虫の羽音すら聞こえない静謐な廊下を歩き、ダルディンは、瞑想堂の中へ入った。
天井の高い、伽藍とした薄暗い空間の中、天井に近い中央部に、一丈近い巨大な繭のようなものが淡く発光し、宙に浮かんでいた。
一体あの巨大な繭は何なのだろうと、ダルディンはそれから目を離せなくなった。
「あれは、私の法力を練り上げ、作り上げた繭胎だ。あの中にリーユエンがいる」
気配もなくいきなり現れた高祖が、ダルディンへ話しかけた。
ダルディンは、高祖を振り返った。
その時、突然繭胎から眩い光が放射され、繭胎の表面が激しく蠢いた。やがて、光が薄れ、薄暗くなり、繭胎は静かになった。
「一体、あの中はどうなっているのだ?」
高祖は、繭胎を見上げた。
「今、激しく明滅しただろう。あの中で、肉体は溶融し、形を一旦失うのだ。そこから何度か再生溶融を繰り返し、やがて新しい肉体を得て甦るのだ」
ダルディンは慄いた。
「体が、溶融してしまうのか・・・そんな状態で、本当に生きていられるのか?」
高祖は、天候の話でもするように何気ない口調で言った。
「そのための繭胎だ。あれが、溶融した体と外界を隔てる境界なのだ」
それから、ダルディンを横目に見ながら、声を潜めた。
「そなた、リーユエンと同衾したのだろう?」
不意打ちに訊かれたダルディンは、思わず肩をビクッと上げてしまった。
高祖はクククッと喉を鳴らして笑った。
「ビクつくな。別に責めているわけではない。
そなたが、伯父の女に手を出そうが、そんなことは、私にはどうでも良いことだ。
もう理解できているだろうが、そなたから法力を受け取ったおかげで、リーユエンは、ミレイナとそなたを蜃市へ移動させることができたのだ。そして、そなたの法力を最大限活用するために、あの女は、その前から、そなたから法力を受け取り、研究していたようだな」
「どうしてそんな事までわかるのだ?」
高祖は片眉を吊り上げ、ニッと笑った。
「リーユエンの体に紋を入れて、私と繋いだ。だから、何もかも知っている。
あの女は、たとえ我が身を犠牲にしても、そなたとミレイナだけは安全に逃そうと考え、それを実行したのだ」
ダルディンは額を右手で抑え、うつむいた。
リーユエンが、自分の身の安全を図ろうとどれほど心を砕いてくれていたのか、高祖からの指摘で改めて強く自覚し、結局無理をさせたのは、自分であったのだと、悲しくなったのだ。
一方、悲しみに沈むダルディンとは対照的に、自分の探究心を満たされた高祖は何だか嬉しそうだった。
「畳地二点連結法は、莫大な力を必要とする法術だ。それを、凡人が、たった一人でやり遂げたことが不思議でならなかった。
だが、そなたの法力と、蜃市で生まれ育ったミレイナの、詳細な城郭内の記憶が合わさり、連結できたのだ」
「確かに、あの時リーユエンは、法力を最大限放つよう私へ指示した」
「畳地連結の法陣へ、そなたの法力を吸収させるや自分自身の陰気を一気に流し込み、強力な魔力場を作り出し、時空を曲げ一瞬で二点を連結させたのだ。
この地で生まれ育ったミレイナには、蜃市を目指す思いに迷いはない。
一つでも、条件とタイミングが合わなければ、失敗に終わる危険な術だが、命懸けで成功させたのだ」
ダルディンは、あの一瞬で、そんな高度な魔導術の操作がなされていたことを知り、改めてリーユエンの魔導士としての凄さに気付かされた。
「そなたと同衾するたびに、受け取った法力を中央経絡に流し込み、己の陰気と素早く合わせる修練を繰り返し密かに行っていたのだ。実に用意周到だ」
ダルディンは自己嫌悪の沼にどっぷり嵌まっていた。
東海へ向かう旅の途中、自分に対し何度も法力を使いすぎるな温存しろ、と言い続けたその理由を、初めて理解した。もし目の前に元気なリーユエンがいたら、ちょっと非情すぎないかと詰りたいところだった。
しかし、たとえ非情であったとしても、そのお蔭で九死に一生を得たのだ。それに命懸けで術を発動させたのだから、彼女を詰る資格なんて自分にはないのだ。
ところが、二人のやりとりをそばで聞いていたミレイナは、異議を唱えずにはいられなかった。そんな合理的な目的のためだけだと乾陽大公に誤解されたら、リーユエンが気の毒だと思い、つい口を挟んでしまった。
「私は、リーユエンから直接、乾陽大公と仲良くした理由を教えてもらったわ。でも、彼女の説明は少し違ったわよ」
ミレイナにまで、俺たちの関係は知られていたのかと、もう、ダルディンは自己嫌悪の底なし沼から二度と這い上がれそうになかった。
そんなダルディンの気持ちに無関心な高祖は、興に乗ってきて、片眉を吊り上げミレイナへ話を促した。
「彼女は、そなたに何と話したのだ。是非、聞かせてくれ」
ミレイナは背中を逸らし、二人へ向かってきっぱりと言った。
「リーユエンはね、『法力も欲しかったけれど、恩返しもしたかった。何がお好きか分からないから、あんな事やこんな事を嫌がる殿方はいないって聞いたから』って」
ダルディンはもう意識が遠のきそうになった。その傍では、高祖が大爆笑した。
「ワハハハッ、これは傑作だ。リーユエンは面白いやつだ」
対照的な二人の反応なんかお構いなしで、ミレイナは続けた。
「リーユエンは、昔、体が小さくて非力だった頃、ずっと守ってくれていた乾陽大公に何か恩返しがしたかったそうよ」
ダルディンの目から涙が溢れ落ちた。早くリーユエンに会いたいと思った。早く会って、もうそんな事に一生懸命にならなくていいと言ってやりたかった。それに、今度こそ、ちゃんと助けてくれたお礼も言いたかった。
ミレイナは、涙を流す乾陽大公を、しばらくの間、痛ましげに見守った。




