9 換骨変易法(3)
高祖は、リーユエンの右頬の、抉り取られた刀疵を、自分の指先でそっとなぞった。
「せっかくまた会うことができたのに、あなたは、もう瀕死の重傷を負っている。どうして、いつもいつも、あなたは厄介ごとにばかり巻き込まれてしまうのだろう」
そして、リーユエンの体を抱き寄せ、深々と息を吸い込んだ。
「ああ、懐かしい、天上の香だ。この香をこうして身近に感じるのは二千年ぶり、いやもっとか。やっと取り戻したあなたを、もう二度と手放すものか・・・
いずれにせよ、術を使うために、あなたの体に再び私の紋を入れなければならない。
いつもあなたは、それを嫌がっておいでだったが、この度も我慢していただくしかあるまい」
しばらくリーユエンを抱きしめたままでいた高祖は、眉をしんなり下げた。
「この度の転生は随分と痩せさらばえた、貧相な体つきでいらっしゃる。
ううむ、乾陽大公の伯父とやらは、男女変成の法を使ったのか。
経絡まで開いたのか・・・とんでもない好き者だな」
高祖は、自身のことを棚にあげ、北荒玄武国の元首を揶揄した。そして、リーユエンを抱えたまま、池を出た。
謁見を終えた後、ダルディンは案内され迎賓館に落ち着いた。そして、長椅子に座り込むと、深々とため息を吐いた。
蜃市に到着してから怒涛の展開続きで、流石に疲れたのだ。
あの絶望的な状況で、自分とミレイナを蜃市まで畳地連結で逃がしてくれたリーユエンには、ただただ、頭の下がる思いだった。
そして、卒然と悟った。リーユエンは、恐らく、かなり以前から、この事態を予想していたに違いない。先見のできる彼女は、氷雪の大地へ行ったとき、何が起きるかを知り、たった一人で着々と準備を進めてきたのだ。それを知らないまま、自分は彼女を守っているつもりになっていたが、逆に彼女に守られどうしであったのだと・・・
(リーユエン、今度こそ、私があなたを守る。あなたが回復すれば、私の命に代えても、必ずあなたを伯父上の元へ連れて帰る)
高祖は、あまりにも強大で、容易な相手ではないが、ダルディンは、決して諦めないと心に誓った。
高祖は、神廟へ戻ると、神廟の大広間中央の祭壇に、リーユエンを横たえた。
そして、意識のないリーユエンへ、小声で言い聞かせるように語りかけた。
「あなたへ、換骨変易法を施す。
あなたの体を、私の法力で作り上げた繭胎に閉じ込め、一から全て作り直す。
成功すれば、あなたは、完全な女人となるだろう。そして、再び私の妻となるのだ。
非常な苦しみを伴う術だが、あなたなら、必ず耐え抜けるはずだ。どうか、私を信じて、甦ってくれ」
リーユエンの前で、高祖は静かに結跏趺坐し、呪禁を唱え始めた。
その体内に、風が取り込まれ、下降気流となり、体内のチャクラを凄まじい勢いで加速回転させ、体内奥深くにある核の中、一万年の法力を蓄える太極へ力を伝えた。
高祖の体は、突然眩く発光し、放電し、空中に雷電が現れ、リーユエンの周りは放電した稲光が網となって取り囲んだ。
高祖は目をカッと見開き、素早く印訣を結び、その手を放電する網へ向けた。凄まじい法力が光の槍となり、網を突き刺した。網は空中へ上がり、密度が増しやがて乳白色の黄金色を帯びた柔らかな光を放つ繭胎を形成し、リーユエンを完全に包み込んだ。
高祖は静かに立ち上がった。
「この術を始めたからには、後戻りはできない。
いかなる苦痛を味わおうと、あなたには耐え抜いてもらうしかない。
そうでなければ、私が注ぎ込んだ法力は全て無駄となってしまう」
リーユエンの周りは、高祖の法力で作り出された液体に満たされていた。
それは凄まじい高温に達し、彼女の体をドロドロに溶解していった。
凄まじい苦痛に身をよじろうにも、体は溶けてしまい、身を捩ることすらできなかった。
苦痛から逃れたいと思ってもそこに逃げ場はなかった。
地獄の獄吏に何度も生皮を剥ぎ取られ、煮えたぎる鍋に入れらるほどの苦痛に何度も襲われた。
それは、リーユエンの体が再生しては溶融することを繰り返していたためだった。
その間中、さまざまな情景が脳裏をよぎった。
自分を異界へ投げ込んだ紫牙の怒りに青ざめた恐ろしい姿や、
剣を胸に突き立てられ絶命した母の姿、
異界の劫火に焼かれた苦痛、
自分の血を求めて群がった忌まわしい魔獣の姿、
銀針を差し込めと命じ、主替えの血署を強いたソライの姿もあった。
自分を引き留めようとするデミトリーの姿もあった。
そして、尸蟲に体を引き裂かれたヨークの姿・・・
様々な過去の出来事が、生々しく、今現実に起きているかのように、リーユエンを再び苦しめた。
だが一番辛かった事は、それほど自分が苦しんでいるのに、猊下が何も言って寄こさないことだった。
『どこまで堕ちようと、わしはあなたを必ず見つけ出す』
猊下はそうおっしゃったのに、今は何の反応も返ってこないのだ。
リーユエンは深い絶望を感じた。
この最も苦しい瞬間に、手を差し伸べて下さらないのなら、今生に、もはや未練はなく、もう消えてしまおうと思った。
苦痛から逃れるには、もはや、自分自身を消してしまうしか方法がなかった。
リーユエンは、記憶も、その時感じた思いも、何もかも全て手放した。
彼女は自らの手で、自分自身を消し去った。
消えていく己の中に、遠いところから若々しい声が届いた。
「何もかも失おうとも、あなたのことは私が覚えている。私のところへ戻ってくるのだ」
その声を一瞬懐かしいと思ったのが、リーユエンの意識の最後だった。




