8 尸蟲の術 (4)
「チェンガム将軍はどうしたのかしら?全然帰ってこないじゃない」
ミレイナ王女は、半時過ぎてもチェンガムが戻ってこないので、乾陽大公とともに、自ら内宮へ歩き出した。
外宮の門をくぐり、内宮へ入りかけたところへ、早足で歩いてきた内官が、王女に気がつき、駆け寄ってきた。
「王女殿下、お戻りでございましたか、お出迎えもできず、申し訳ございません。
ですが、今からすぐ神廟前広場へおいでください。高祖が、もうすぐ覚醒されるのです」
「ええっ、大お祖父様がお目覚めなのっ、大変だわ、すぐ行きます」
ミレイナは顔色を変え、ダルディンの袖を引っ張りながら、方向転換した。
「乾陽大公、大お祖父様がお目覚めになるから、今すぐ、私と一緒に来てちょうだい。
お父様や、お母様に相談するより、大お祖父様がお目覚めになるなら、大お祖父様に相談した方がいいわ。大お祖父様には、すごい神通力があるのよ。早く行きましょう」
王女に半ば引きずるようにして、神廟前広場へ連れてこられたダルディンは、彼女へ小声で尋ねた。
「高祖とは、何者なのだ?」
ミレイナは背伸びすると、ダルディンの耳元でささやいた。
「私たち、青大亀一族の中で最も長命の大長老よ。
私からだと、六代前か、もしかしたら七代前かもしれない。とにかく大お祖父様なの。
普段は、神廟の中で眠っていらっしゃって、この前お目覚めになったのは、私が百歳になって、人形の披露式をしたときよ。
大お祖父様は、私のことをとても気に入られて、ご自身の名前の一部を使って、私の名付け親になって下さったの。その後は、またずっと眠っていらっしゃったのに、今日、急にお目覚めになるなんて、すごい偶然だわ」
ダルディンは驚いた。
「六代前・・・・一体お幾つなんだ?」
玄武は長命で知られる一族だが、それでも北荒の玄武では、四世代前が限度だった。六世代以上前の玄武が生きているなんて聞いたこともなかった。
ミレイナは口を尖らし、眉を寄せて考え込んだ。
「お幾つになられたのかしら・・・たぶん、一万歳を越えていらっしゃると思うわ」
大伯母である巽陰大公の二倍以上生きていることになる。ダルディンは無言で頭を振った。
青大亀一族が続々と結集し、粛々と待ち受ける中、光が溢れ出していた神廟の扉が、ついに中から開け放たれた。
眩い光の中に、長身のスラリとした姿の男が現れた。
光が薄らぎ、男の姿がはっきりと見えてきた。
広場前の青大亀の一族は、皆一斉に体を地面へ投げ出さんばかりにして拝礼し始めた。
真っ白で柔らか長衣が風に揺らぎ、肌は薄っすらと青みがかり、真珠のような光が内側よりほのかに発せられ、目はミレイナと同じ翡翠色がかった海のような青い眸だった。
顔立ちは、神々しいまでの端正さで、白金色の長髪は後ろで束ねられ、踝まで達した。
そして最も驚くべきことは、その姿の若々しさだった。その姿は、大長老であることを予め聞かされていなければ、同世代と勘違いしてしまいそうだった。
しかし、ダルディンがそんな事を思ったのは、もっと後からで、その時は、目撃したことへの衝撃で、目は一点に集中した。
眸はすっかり縦長へ変わり、ダルディンは跪拝も忘れて、飛び出しそうになった。
理性が辛うじて、非礼を働くのを押し留めたが、叫ぶのまでは、止めることができなかった。
「リーユエンッ!」
高祖は、水が滴り落ちる、黒い布に覆われた人を横抱きにして現れたのだ。
フードが外れ、ぐったりと、今にも高祖の腕からずり落ちてしまいそうな顔が露わとなっていた。
白蠟のように生気が抜け、冷え切った顔は、間違えるはずもないリーユエンだった。
その叫びは、高祖の出現に皆が一斉に跪拝叩頭し、挨拶する声にかき消された。
「我らが偉大なる大長老、高祖にご挨拶申し上げます」
高祖はよく通る声で挨拶へ応えた。
「礼儀は不要だ。それより、この者を調べたいので、部屋を用意せよ」と指示した。
ミレイナはすぐさま立ち上がり、ダルディンの手を取った。
「大お祖父様のところへ行きましょう」
そして、まだ跪拝したままの一族の列をすり抜け、神廟へ続く階段を駆け上がった。
禁護衛兵は、王女の後ろから見慣れぬ男がついて来るのに気がつき、矛を交差させ、行手を阻もうとした。けれど高祖が、それより早くミレイナに気がつき、声をかけた。
「ミレイナではないか、少し見ない間に随分成長したな」
ミレイナは立ち止まり、丁寧に揖礼した。
「大お祖父様が懐に抱かれておいでの者は誰なのですか」
高祖は、白金色の形よく弧を描く眉の片方を吊り上げた。
「西の氷雪大地で、空間を歪め、この地と連結しようとする者がいることに気がついたのだ。
そのような術を感じたのは数千年ぶりだ。つい、珍しく思い、こちらへ連れて来てしまった。
それに、この者は術を使ったのに、自分自身は移動しないまま、氷の裂け目へ墜落し、今にも谷底へ激突するところであった。私が幸い間に合い受け止めたが、酷い内傷を負い死んだも同然の状態だ。
生きている間に事情を調べようと思う」
ミレイナは真っ青になって、高祖へ駆け寄り、リーユエンをのぞき込んだ。
「死にそうなの!大お祖父様、お願いです。
この人を助けてください。この人は、私たちの命の恩人なんです。術は、私たちを蜃市へ移動させるために使ったのです」
すぐさま内宮の中の一室が用意され、リーユエンは寝台へ横たえられた。
脈診したダルディンは、もう絶望的だと悟った。体の中は、無数に生じた内傷でボロボロの状態だった。これでは治療を施しても回復の見込みはなかった。




