8 尸蟲の術 (3)
「さて、おまえをどう運んだものかな」
レムジンは立ち上がり、ぐったりと横たわるリーユエンを見下ろした。
祖父大公からは、抵抗しないように足を折っても良いと言われていたのだ。
先ほどの凄まじい魔導術、加えて獰猛な魔獣まで使役するのだから、十分用心する必要がある。けれど、目の前のリーユエンは、今にも息が絶えそうに衰弱し切っている。その上、氷雪の高原は、足元が滑りやすく、滑落の危険があり、さらに厄介なことに、雪の下に隠された氷の裂け目が、底知れない氷河の谷底まで口を開けているのだ。
色々考慮し、足を折るのは、圏谷へ戻ってからにすることにした。
とりあえず、配下へ命じ、リーユエンの腕を縛り、念の為手首を捻って痛めつけ、術が使えないようにして歩かせることにした。
手首を捻られ、関節が外れても、リーユエンは、呻き声ひとつ上げなかった。縛った紐の端を掴んで引っ立てられると、フラフラと幽鬼のような足取りで歩き出した。
半刻ほど歩き続けたが、限界が来て、とうとう膝から崩れ、そのまま前方へ体が倒れ込んだ。リーユエンは、そのままピクリとも動かなくなった。
レムジンは慌てて脈を調べた。弱いながらも反応があり、思わず安堵のため息が出た。
「やれやれ、まだ生きている。歩けないのなら、このまま引きずっていこう。幸い魔導士マントを着ているから、雪の上を滑らせて運ぶのに丁度いい」
配下が二人、リーユエンの外套の端をつかみ、ぞんざいに引きずり移動させた。
引きずられるうちに黒い外套は、雪まみれとなり、白色へと変わった。
フードはめくれ、全く血の気の失せた白蠟のような顔が現れた。手首を痛めつけられ、もう魔導術も使えないし、意識もない。
リーユエンの状態に、レムジンは完全に油断した。
リーユエンは目を瞑ったまま、意識を集中し、「震の陣」を細部に至るまで克明に脳裏に描き出した。そして、カッと目を見開き、最後の力を振り絞り、一気に魔力を発動させ、
「大地鳴動せよ、震っ」と、唱えた。
震の陣が空中へ現れるや地鳴りが起こり、雪原に亀裂が走った。その裂け目へ、雪が一気に雪崩れ落ちた。
レムジンは自分自身も足を踏ん張りながら、配下へ
「裂け目へ落ちたら死ぬぞっ、地割れから離れろっ」と、叫んだ。
レムジンの意識が配下へ向いた一瞬の隙に、リーユエンは雪原を転がり、地割れへ自ら身を投じた。
「ああっ」
それを目撃したレムジンは、慌てて裂け目へ走り、リーユエンの体を止めようとした。
しかし、その時にはもう、リーユエンは嘲笑いを浮かべ、風を孕んだ外套を化鳥の翼のように広げ、氷の割れ目、その闇の中へ落ちて行った。
悪夢の中で見た通り、闇の中を落ちながらも、リーユエンは、満足していた。
せいぜい震陽大公へ、己の失敗ぶりを報告すればいいさと、レムジンの事をいい気味だと思っていた。そこで気力を使い果たし、リーユエンの意識は途絶えた。
レムジンは、雪へ自分の拳を打ちつけた。
「ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょうっ、弱ったふりをして、俺を騙したのかっ!」
激怒し、何度も拳を打ちつけるうちに、皮膚が破れ、血が滲んだが、怒りのために痛みすら感じなかった。
荒れ狂う彼の側へ配下の一人が恐る恐る近寄り報告した。
「五人、地割れへ飲み込まれました」
そして、次の指示をじっと待っていた。
生き残った震家の裏工作部隊は、たった今、目の前で起きたことが現実だとは思えなかった。
瀕死の状態のリーユエンが、「震」の陣を発動展開させ、地割れを起こしたのだ。
通常あれほど威力のある陣を単独発動などあり得ない。一体どうやって、あの瀕死の状態から発動させたのか、恐怖しかなかった。
しかし、その謎を解き明かすことは、できそうにもなかった。
あの深い割れ目に墜落したのだから、谷底へ体は叩きつけられ、命はない、死人から解答を聞き出すことはできないのだ。
生き残った者たちは、皆、この作戦を切り上げ、リーユエンは氷の裂け目に墜落して死亡、乾陽大公は行方不明で、任務を終了させ帰還させてほしいと願っていた。
レムジンは血だらけの拳を見つめ、呆然としながらも、頭の中はフル回転していた。
祖父大公は、失敗を許さない。まして、自分が油断して、リーユエンに裏をかかれたことに気付かれたら、さっきの男のように尸蟲の餌にされかねない。
怒りは消え失せ、今度は冷たい恐怖に変わった。
レムジンは、この後、どうするべきなのかを必死で考えた。そして、自分が生き残るために決断した。
その頃、東海海上にある蜃市の城郭の中庭に、突如侵入者が現れた。
護法陣に反応があり、衛兵が駆けつけると、中庭の、満開に花開いた宝想華の大木の下に、侵入者二人の姿があった。
その日、偶然、城に参内していた禁護衛軍総大将のチェンガムは、不法侵入者を捕まえようと、真っ先に駆けつけた。
ところが、現場へ急行すると、そこにいたのは、従妹のミレイナ王女と長身の若い男だった。
チェンガムは急停止し、彼女の面前で跪き、拝礼した。それから、彼女の背後に立つ長身の若者を訝しげな目で見上げた。
ミレイナは、チェンガムへ「楽にして」と声をかけ、それから、
「すぐ、お父様とお母様にお目にかかりたいの。人の命がかかっていることだから、すぐに助けに行きたいの」と、話した。
その緊迫した口調に、チェンガムは直ちに、国王へ、ミレイナ王女の帰還と、至急の要件がある旨を伝えに走った。
ところが、拝謁は叶わなかった。この時、王室内でも緊急事態が起こっていた。
外宮から内宮へ取り次ぎを頼もうとした将軍は、外宮付きの内官に捕まってしまい、
「とにかく、全員神廟前へ集まれと非常召集がかかりました。すぐ行ってください。全てはその後です」と、神廟へ連れてこられたチェンガムは、神廟を見て、仰天した。
「何と、神廟の扉から光が溢れ出ている」
百年間固く閉ざされた状態にあった、高祖神廟の大扉から光が溢れ出ているのだ。
それは、この神廟に祀られる、青大亀族の先祖である高祖が目覚める先触れに間違いなかった。
国王と王妃は、高祖がお目覚めになったら、間違いのないよう、礼式に乗っ取りお出迎えせねばと、様々な下知を出すことにおおわらわとなっていた。
すでに禁護衛の右軍、左軍も招集がかかり、神廟前広場に馳せ参じており、チェンガムもそこから動くことができなくなった。




