8 尸蟲の術 (2)
ヨークの体は茶色く干からび、蛹の殻のように、尸蟲の両側にぶら下がった。
リーユエンは虚ろな目で尸蟲を見上げた。尸蟲の体高は、一丈ほどもあり、巨大だった。
つい先ほどまでヨークであったものが、尸蟲へと姿を変えた。それは尸蟲を、生きた凡人に植え付け、その生気を餌に育てあげたということだ。
「許せない・・・こんな邪術で人の命を踏み躙るなんて、絶対許さない」
彼女の中で、邪術を用いた玄武への激しい怒りが荒れ狂った。と、同時に、主替えまでして、自分に付き添ってくれたヨークの体から、自分自身も体調が悪かったとはいえ、その異常に気づかないまま尸蟲を羽化させてしまったことを、激しく悔やんでいた。
尸蟲を羽化させたレムジンは、いつ見ても尸蟲の姿は悍ましいなと思いながら、
「乾陽大公を襲え」と、蟲へ命じた。
尸蟲は、棘だらけの鎌を振り上げ、乾陽大公へ襲いかかった。
リーユエンはアスラへ命じた。
「アスラッ、尸蟲を大公殿下へ近づけるな、あいつを殺せっ」
それから、後ろで怯え切っているミレイナを振り返った。
「ミレイナ王女、蜃市へ帰ることだけを考えて、乾陽大公を連れて、必ず蜃市へ戻るんだ」
ミレイナは、涙目でリーユエンを見上げた。
「分かったわ、乾陽大公は必ず蜃市へ連れて帰るわ」
リーユエンは両手をミレイナの肩へ乗せた。
「乾陽大公へ走って飛びついて」と、耳元でささやくや、彼女をいきなりダルディンの方へ突き飛ばした。
ミレイナは、凍てついた大地を滑り、ダルディンの胸へまっしぐらに飛び込んだ。ダルディンはいきなり飛び込んできた彼女を、しっかり抱き留めた。
リーユエンはそれを確認するや、ダルディンへ叫んだ。
「乾陽大公、法力を、最大限、今すぐ放ってくださいっ、早くっ」
ダルディンは、理由を考える暇もなく、掌拳打突の構えから、法力を最大限発射した。黄金に輝く法力が発射されるや、リーユエンは掌を法力へ向け、複雑な文様が刻まれた魔法陣を展開した。
法力は、魔法陣へ吸い込まれ、魔法陣は、黄金、紫、青の光に輝いた。
それを今度は、ダルディンとミレイナへ向けて、放った。
そして、リーユエンは声の限りに叫んだ。
「開けっ、時空の扉よ、東海海上蜃市、ミレイナ王女が育った国へ、王女の望む場所へ連結せよっ」
二人は眩い光に包まれ、誰も皆、眩しさにもう何も見えなくなった。
眩い光が消えると、そこに、ダルディンとミレイナの姿はなかった。
(やった、畳地二点連結成功だ・・・これで、乾陽大公を無事に逃すことができた)
リーユエンは、激しく咳き込み、赤黒い血の塊を吐き出し、雪原へ倒れた。
何事が起こったのか理解できないまま、レムジンは、リーユエンのそばへ駆け寄った。
一方、アスラは尸蟲の左鎌を喰い千切り、翅を引きちぎった。
尸蟲は、ギチギチと耳障りな鳴き声をあげ、残った鎌を振り上げ、アスラを殴りつけようとした。
それを素早くかわし、アスラは腹の下側に回り込み、腹を噛み裂いた。悪臭を放つ臓器が飛び出し、尸蟲は雪原に横倒しとなり、全身が痙攣した後、動かなくなった。
レムジンは、リーユエンのそばにしゃがみ、顔をのぞき込んだ。リーユエンの紫眸は暗く翳り、顔には死相が浮かんでいた。それを見て、レムジンは、乾陽大公を助けるために力を出し尽くしたのだと理解した。
「俺のことを悪く思うなよ。これも祖父様の言いつけなんだ」
「祖父様?」
「俺の祖父様は、震陽大公だ。祖父様は、あんたを、どうしても自分のものにしたいそうだ。だから、殺したりはしないから、安心しろ」
と、言いながら、ドルーアを脅しつけて入手した解毒薬を、懐から取り出した。
そして、リーユエンを抱き起こし「解毒剤だ。飲め、少しは楽になるはずだ」と、飲まそうとした。
けれど、リーユエンは目を瞑り、顔を背けた。
レムジンは、そんな反応は予想の内なので、落ち着いた口調で言い聞かせた。
「拒否するのは勝手だが、おまえが言う事を聞く気がないのなら、俺たちは、乾陽大公のあとを追い続けるぞ。本来なら、あいつも生け捕りにするよう命令されているんだ。
だが、おまえが言う事を聞いて、震陽大公の元へ行くのなら、あいつを見逃してやってもいい。どうする?」
リーユエンの目が開き、紫眸がレムジンを見上げた。
「本当に、乾陽大公を見逃してくれるの?」
力無くささやくリーユエンへ、レムジンは答えた。
「ああ、言うことを聞くのなら、あいつの後はもう追わない」
そう言うと、レムジンは、解毒薬を、リーユエンの口元へ近づけた。
彼女は、大人しく解毒薬を飲み干した。
飲んだのを確認したレムジンは、自分の左中指に嵌めていた指輪を外し、彼女へ見せた。
「これを見ろ、震家の刻印だ。すまないが、これを、おまえの体にある玄武紋の上に焼き付ける。いいな」
リーユエンはその指輪をじっと見ると、無言で頷いた。
その時、尸蟲を仕留め、ボロボロ状態のアスラが駆け寄ってきた。
「我の主を害するのはやめろ」
アスラは、レムジンへ牙を剥き出し、威嚇した。
しかしリーユエンは、「アスラ、消えろっ」と命じた。
アスラは、面覆の中へ吸い込まれ姿を消した。
レムジンは、一瞬ヒヤリとしたが、魔物が姿を消したことに満足して頷いた。
「魔獣を俺たちにけしかける真似は、もうするなよ」
と、言いながら、リーユエンの襟元を肌け、玄武紋の上から刻印を押し当てた。
肉の焼ける匂いがし、リーユエンは苦痛に顔を歪めた。
指輪が離れると、玄武紋の上に震家の家紋が焼きつけられていた。
「さあ、これで、おまえは震陽大公の所有になった。祖父様の法力は、ここまで届かないが、ウマシンタ川まで戻れば、おまえを、法力でがっちり保護してくれるだろう」
レムジンは、薄ら笑いを浮かべて囁いた。




