8 尸蟲の術 (1)
数日かけて大圏谷を抜け、彼らは、圏谷と大雪原の境となる山岳地帯に分け入った。
曲くねった山道で、リーユエンは呼吸を乱し、咳の発作で騎獣の手綱を握ることも辛そうだった。ダルディンが、心配して近寄ろうとしても「大丈夫です。咳が出るだけです」と、一人で騎獣を続けた。
ところが、山の頂近くの尾根筋を進んでいたとき、突如矢が飛来し、リーユエンの騎獣の臀部に刺さった。
騎獣は悲鳴をあげ、後ろ脚を蹴り上げリーユエンを振り落とすや、そのまま暴走し、崖を滑落していった。
「リーユエン様っ」
山道を投げ出され、滑落しかけたリーユエンを、ヨークが飛び出し影となって支えて、山道へ引き戻した。
「ヨーク、ありがとう」
「私の騎獣へ乗ってください。手綱は私が持ちますから」
ヨークに助けられ、リーユエンは騎獣に跨った。
「ヨークは乗らなくていいのか」
リーユエンの問いに、ヨークはあたりを見回しながら、
「また、矢を射かけてくるかもしれませんから、私は徒歩で手綱を引きながら、警戒します」と、答えた。
(リーユエン様は、はっきりおっしゃらないが、かなり深い内傷を生じている。歩かせたりしたら、体力がつきて動けなくなるだろう。これ以上、体力を消耗させないようにしなくては、それにしてもまだ追ってくるなんて、しつこい連中だ。一体どこまで追いかけてくるつもりなのだろう)
谷を一つ隔てた、向かい側の山の尾根から、彼らの様子を監視しているレムジンは、配下へ命令した。
「今日の真夜中に、残り二頭の騎獣を始末してこい。奴らが徒歩でしか移動できないようにして、さらに弱らせろ」
「始末するのは騎獣だけでよろしいのですか」
「ああ、それでいい。リーユエンの様子を見ただろう。騎獣が使えなくなり、徒歩で移動すれば、奴の体力はすぐに尽きて、動けなくなる。その時を狙って生け取りにし、人質にしてしまえば、他の連中も、俺たちに従うしかなくなる」
その夜、レムジンの指令は実行された。夜陰に紛れ、彼らは毒の吹き矢で騎獣二頭を絶命させた。
翌日から、リーユエンたちは、徒歩で移動し始めた。
ところが、レムジンの予想に反して、リーユエン一人、何か騎獣に乗っているのが見えた。
「なんだ、まだ予備の騎獣がいたのか」
レムジンは、遠眼鏡の倍率を最大に上げた。
その目に映ったのは、真っ白な毛並みが雲のように波打って動き、顔には三つの金眸眼のある見たこともない猛獣の姿だった。
その姿を見たレムジンは、恐ろしい姿にゾッとしながらも、口元にはニヤリと笑みを浮かべた。
「ほう、リーユエンは魔獣付きだと聞いていたが、確かに立派な魔獣だな。
だが、魔獣を呼び出した以上、対価を支払わなきゃならない。リーユエンは弱る一方だな。あとは、乾陽大公の奴の動きを封じればいい」
レムジンは、この山を越え氷雪の大地に入り次第、祖父大公の指示通り尸蟲を羽化させ、一気に片付けてしまおうと決心した。
三日後、彼ら山岳地帯を抜け、氷雪に覆われた高原地帯へ出た。
「うわあ、すごいっ、全部氷と雪ばかりだわ」
アスラに跨がるリーユエンは周囲を見回した。
「四方八方、見通しが良過ぎて危険な場所だね。これでは、私たちの場所は丸わかりで、狙ってください状態だよ」
ダルディンは、ミレイナへ確認した。
「ここを東へ進めば、東海へ出るのか?」
「そうよ、ここから先へ進むと、砂漠地帯があるの。その先、高地を降っていくと、東海の沿岸部へ出るわ、とても気候の良いところよ。あと、もう少しだから、頑張って、砂漠地帯の途中くらいで、私の方から蜃市の両親に連絡を取ることができるわ。そうすれば、迎えに来てもらえるから、あと、もう少しだから、頑張りましょう」
ミレイナは明るい声で皆を励ました。
「私の神通力がもっと強ければ、ここからでも連絡がつくのだけれど、私の力は弱いから、もう少し距離が近くないと、蜃市まで届かないわ。両親は、私がまだウマシンタ川にいると思っているでしょうから、私の方から連絡を取らないと動いてくれないから」
ダルディンは、ミレイナへ微笑んだ。
「私たちをここまで道案内してくれた君には、感謝している。この先何か起こったら、君は、我々に構わず、砂漠地帯まで進み、蜃市へ戻って、ご両親を安心させてあげなさい」
ミレイナは、ハッとしてダルディンを見上げた。
「乾陽大公、そんな不吉な事を言わないで、あなたも、リーユエンも、ヨークも、みんな一緒に蜃市へ行くのよ。当然でしょ。あともう少しだから、元気出して」
「そうだな、その通りだ、ありがとう」
ダルディンは、リーユエンを早く楽にしてやりたい一心だった。彼女が隠そうとしても、もう顔色の悪さも、足取りが覚束無くなっているのも、見て明らかだった。それでもリーユエンはアスラの背に乗り、氷雪に覆われた滑りやすい大地を用心深く進む三人の後に従い、進み続けた。
レムジンは衣を裏返し、白い衣へ変え、樹氷林の中に身を潜め、彼らを監視していた。
(そろそろ尸蟲を羽化させる頃合いだな)
レムジンは、副頭領の一人へ伝えた。
「俺はこれから呪言を唱え、尸蟲を羽化させる。そいつが現れたら、奴らを襲わせる。
おまえたちは、二手に分かれ、混乱に乗じて乾陽大公とリーユエンを捕縛しろ。他の奴は邪魔だから、殺せ」
レムジンは樹氷の木陰に入り、結跏趺坐した。
「ヴィッタミル、ヴィッタミル、オンキリキリ、シィチョン、
ヴィッタミル、ヴィッタミル、オンキリキリ、シィチョン、
ヴィッタミル、ヴィッタミル、オンキリキリ、シィチョン」
彼は、呪言を、羽音が唸るような低い呟きで三回唱えた。
そろそろ野営を始めようと、皆が準備にかかり始めたとき、ヨークに突然異変が現れた。
ダルディンが最初に気がつき、声をかけた。
「ヨーク、どうしたんだ?」
「あ、ああっ!」
ヨークの体が、突然硬直した。目をむき出し、喉をかきむしり、身を捩らせた。
「大丈夫か?」
異変に気がついたリーユエンとミレイナもやってきた。
ヨークの目は飛び出し、今にも落ちそうになっていたが、それでも声を振り絞り皆へ警告した。
「早く逃げて、ここから離れて・・・もう、抑えが効かない。私の体の中から、何かが出てくる。早く逃げて」
悲痛な声で叫んだ。
その直後、体から骨の折れる音が響いた。大きく開いた口から絶叫が出るはずが、声はなく、突然頭頂から、胴にかけて真っ二つに裂けた。
「ヨークッ」
リーユエンが叫んで、近づこうとするのをダルディンが腕に抱え込んで止めた。
ヨークの真っ二つに裂けた体から、棘に覆われた巨大な二対の触手、緑色の金属質な光沢のある甲羅に覆われた胴体、そこから持ち上がった首の上には、黒い複眼と鋭く巨大な顎が現れ、カチカチと音を立てて顎が開閉した。
リーユエンは、全て手遅れなのだと気がついた。
「あれは、尸蟲の術だ。もっとも忌み嫌われる、死体に寄生させた蟲を使役する邪術だ。それを生きた凡人に寄生させたのか・・・」
ヨークを指差すその指は、細かく震えていた。




