第9話 聖教会の弾圧と、聖女の純白
「支店どころか、ヴォルガに建設中の工場の稼働準備も順調ね。ヒルダ陛下が手配してくれた現地の縫製職人たちも、ユウの技術指導に必死についてきているわ」
カオリが手帳を弾きながら満足げに言う。
今回の遠征は、単なる販売ではない。
ヴォルガという地に「製造の拠点」を置くことで、我が社は国際的な生産体制を手に入れたのだ。
「いやー、今回はマジで死ぬかと思ったけど、結果オーライっすね! これでボーナス確定!」
「チサ、浮かれるのは早いわよ。でも……確かに、これで当面の資金繰りは安泰ね」
馬車の中でチサとカオリが盛り上がっている。
俺は揺れる車窓から王都の街並みを眺め、静かに安堵していた。ヴォルガという巨大な市場を開拓できたことは、会社にとって大きな一歩だ。
ついでに両国の冷戦が終わったようだが、それはあくまで副産物に過ぎない。
俺たちは勝利の余韻に浸りながら、王城の敷地内にある店舗兼工房『トリップ・トラップ』へと戻ってきた。
しかし――。
店の前には、異様な人だかりができていた。
客の行列ではない。
白い法衣を纏い、金色の刺繍が入った旗を掲げる集団が、店の入り口を封鎖しているのだ。
「おや、これは……」
俺が呟くと同時に、店の中からミサキが血相を変えて飛び出してきた。
「しゃ、社長! 大変です!」
「落ち着いてください、ミサキさん。店を囲んでいるあの方々は?」
「せ、聖教会です! 聖教会の王都支部の方々が急に来られて、店を閉めろと……!」
「……悔しいけど、下手に王家が介入すると『王権vs神権』の戦争になりかねないわね」
聖教会。
この世界で最も信仰されている宗教組織であり、王家ですら無視できない権力を持つ組織だ。
俺が馬車を降りて歩み寄ると、集団の中から一人の女性が進み出てきた。
口元は聖母のように微笑んでいるが、その瞳の奥には、汚物を見るような冷徹な光が宿っていた。
豪奢な法衣を身にまとった彼女は、俺の前で聖印を切ると、鈴を転がすような美しい声で言った。
「貴方様がこの店の主、ソウイチロウ様でしょうか?」
「はい、左様でございます。私が代表ですが……これは一体、何事でしょうか?」
「お初にお目にかかります。わたくし、聖教会・王都支部の司教補佐を務めております、ソフィアと申します」
彼女は慈愛に満ちた(ように見える)微笑みを浮かべたが、その視線はソウイチロウの足元から頭の先までを、不浄なものを鑑定するかのように舐め回した。
「……あら、素敵な装い。ですが、その下に隠された『淫らな布』を思うと、この清らかな空気が淀んで見えますわ。神は仰いました。『美しさとは心の清らかさであり、肉体を飾ることは魂の堕落である』と。……神の愛と秩序を守るため、こちらの店舗の営業を『恒久的』に停止させていただく運びとなりました」
彼女はまるで「今日の天気」を告げるかのような気軽さで、破滅的な通告をしてきた。
「営業停止、ですか。我々は法に触れるようなことは何一つしておりませんが」
「我々の決定は法律よりも強制力がありますの」
ソフィアは、手に持っていた細い杖で、打ち付けられた『封鎖』の看板を優雅に指し示した。
「貴方様の商品は、あまりにも『破廉恥』でございます。身体のラインをあさましく強調し、肌を透けさせるなど……まるで娼婦の衣装のよう。清らかなるロズタリアの女性に、そのような恥知らずな格好を推奨するなど、神への冒涜に他なりませんわ」
「……なるほど。つまり、貴方様の主観で卑猥だと判断された、ということでしょうか?」
「ふふ、主観ではございません。『教義』ですわ。女性は慎み深く、肌を隠し、清廉であるべき。それが神の教えです。貴方様のような、女性の『性』を商売道具にするような殿方には、少々難しいお話かもしれませんけれど」
ソフィアは口元に手を当て、あくまで上品に、しかし明確な侮蔑を込めて俺を見下した。
理屈ではない。
生理的な嫌悪感と、狂信的な倫理観による弾圧。
これは、ヒルダの時とはまた違う、非常に厄介な壁が立ちはだかったようだ。
「……承知いたしました。一度、引き下がらせていただきます」
俺は深く一礼し、憤る社員たちを目線で制した。
ここで感情的に言い返しても、火に油を注ぐだけだ。
宗教的な狂信を相手にする際、論理は通用しない。
「あら、意外と素直でいらっしゃいますのね。では、早急に店内の『汚らわしい布切れ』を処分なさいませ。神の怒りが静まるよう、祈りを捧げることですわ」
ソフィアは勝ち誇ったように微笑むと、白い法衣を翻し、信徒たちを引き連れて去っていった。
嵐のような退去劇。残されたのは、封鎖された店舗と、呆然とする社員たちだけだった。
「しゃ、社長! いいんですか!? あんな言われ方して!」
チサが悔しそうに地団駄を踏む。
カオリも目を曇らせ、低い声で言った。
「……相手は聖教会。まともに喧嘩を売れば、今度は『異端』扱いされて国を追放されるかもしれません。セシリア様の権力でも、教義そのものを覆すのは難しいでしょうね……」
「ええ。正面突破は悪手です。ですが……抜け道はありますよ」
俺は封鎖された扉を見上げ、小さく、不敵に微笑んだ。
「ご安心を。すでに『解』は見えています。場所を変えましょう。作戦を説明します」
◇
我々は王城の離れにある、スタッフ用の休憩室に集まっていた。
重苦しい空気が漂う中、俺は説明を始めた。
「彼女の主張はこうです。『女性は慎み深く、肌を隠し、清廉であるべき』。つまり、我々の商品が『肌を露出させ、性的な魅力を強調している』から卑猥だと判断された」
「実際、盛れますからねぇ……。そこが売りなんですけど」
チサが頬杖をつく。
確かに、これまでの「ロイヤル・サファイア」や「戦乙女の抱擁」は、女性のボディラインを美しく強調するものだった。
それが教会にとっては刺激が強すぎたのだ。
「ならば、彼らの教義を利用しましょう。『慎み深く、清廉に見える』ランジェリーを作ればいいのです」
「……そんな下着、できるんですか?」
ユウが首をかしげる。俺は頷いた。
「できますよ。美しさとは、何も露出や曲線美だけではありません。『聖性』を感じさせる美しさ……。見る者が邪な気を起こすどころか、思わず跪きたくなるような、神聖な美。それをランジェリーで表現するのです」
俺は部屋の中にいる社員たちを見渡した。
派手なギャルのチサではない。
妖艶な雰囲気のカオリでも、職人気質のユウでもない。
俺の視線は、部屋の隅で心配そうに紅茶を淹れていた、一人の女性で止まった。
「ミサキさん」
「は、はい? お茶のおかわりですか?」
秘書のミサキ。
黒髪をきっちりとまとめ、眼鏡をかけ、常に冷静で真面目。
露出の少ないスーツを隙なく着こなす彼女。
だが、俺は知っている。
その堅いガードの下に、誰よりも純粋で、乙女チックな憧れを秘めていることを。
かつて社員旅行で、彼女が純白のウェディングドレスに見惚れていた横顔を俺は覚えている。
「ミサキさん。今回の主役モデルは、貴女です」
俺は彼女の前に歩み寄り、眼鏡越しにその瞳を見つめた。
(……彼女の眼鏡は、あまりに有能すぎる自分を隠すための『封印』だ。この眼鏡を外したとき、彼女がどれほど神聖な輝きを放つか……。聖教会の連中は、腰を抜かすことになるだろうな)
「……へ?」
ミサキが間の抜けた声を上げ、ティーポットを取り落としそうになる。
「む、無理です! 私なんて、地味ですし、チサちゃんみたいに華もないですし……!」
「大丈夫です。貴女のその『禁欲的な雰囲気』こそが、今回の武器になるのです」
俺は彼女の前に歩み寄り、眼鏡越しにその瞳を見つめた。
「貴女は美しい。ただ、その美しさが『静謐』なだけです。教会が求める『清廉潔白』を体現しつつ、女性としての究極の美を両立させる……。これは貴女にしかできない大役です」
「し、社長……」
ミサキの頬が朱に染まる。俺はチサの方を向いた。
「チサさん、今からデザインのイメージを伝えますよ」
「っ! …ちょっ、まっ!! …って了解っす! 『聖なる美』ってやつですね? 任せてください!」
チサが目を輝かせ、素早く鉛筆を走らせる準備をする。
俺は指示を出した。
「素材は最高級の『シルク・コットン』の白を使います。レースは控えめに、しかし細部は緻密に。肌の露出は極限まで抑えつつ、姿勢と所作で美しさを見せるデザインにします」
「……なるほど。『見せない色気』、いえ『聖なる美』ですね。型紙の構成、頭に浮かびました」
ユウも職人の顔になり、チサのラフ画を覗き込む。
カオリも状況を理解し、不敵な笑みを浮かべた。
「なるほどね。教会の鼻を明かすには、教会以上に『聖なるもの』を作ればいいってわけね。それなら、プレゼンの場所は教会本部がいいわ。『教会の教えを忠実に守った新作ができましたので、奉納に参りました』……ってね」
方針は決まった。
ターゲットは聖教会。
武器は、新作ランジェリー『イノセント・ホワイト』。
そして切り札は、眼鏡を外した「聖女」ミサキだ。
「さあ、制作開始です。神に仕える者たちに、本当の『清らかさ』を教えて差し上げましょう」




