第8話 氷の女帝と、戦乙女のインナー
北の軍事帝国ヴォルガからの脅迫状とも取れる注文書。
事態の重大さを鑑み、俺たちはまず、ロズタリア王城へと向かい、セシリアに謁見を求めた。
市民から聞こえる情報である程度、情勢は耳にしているが、実際、取引をした場合、どういう問題が発生するか確認したかったからだ。
「……なるほど。あの『氷の女帝』ヒルダからか。想像の通り、我が国と帝国ヴォルガは仲が良いとはとてもいいがたい」
玉座に座るセシリアは、不敵な笑みを浮かべた。
「陛下。もし、我々がヒルダ様との取引に応じた場合、想定されるリスクはございますか?」
「我が国の民たちはよく思わない者もいるだろう。戦争で家族を失った国民も少なくない。それだけならいいが、取引が終わった後、ヒルダが貴殿らを素直に帰してくれるかも疑問だ」
やはり、こればかりは断った方がいいか…。
そう思った矢先、セシリアが続けて言った。
「……だが、断ればそれを口実に攻撃を仕掛けてくることもありえる。どちらに転んでもリスクは生じるということだ。貴殿らの思う通りにすればいい。今は、冷戦状態。ヒルダもこちらから攻撃される理由は作りたくないだろう」
さすがは一国の女王。
しっかりと情勢を把握し、冷静な判断をしてくれた。
「ロズタリア代表として、『文化レベルの高さ』を見せつけてやりなさい」
「承知いたしました。ご期待に添えるよう、最高の仕事をしてまいります」
お墨付きは得た。
俺たちは旅装を整え、極寒の北の大地へと向かった。
◇
国境付近の前線基地。吹き荒れる吹雪の中、俺と、護衛兼アシスタントのユウ、そして交渉役のカオリの三人は、巨大な天幕へと通された。
出迎えたのは、殺気立った兵士たち。
そして天幕の最奥、氷で作られたかのような玉座に座る一人の女性だった。
ヴォルガ帝国女帝、ヒルダ・フォン・ヴォルガ。
銀色の長髪に、氷河のように冷徹な蒼い瞳。
軍服の上からでも分かる鍛え上げられた肢体。
まさに「氷の女帝」の名にふさわしい威圧感だ。
「貴様がソウイチロウか。……ふん、職人というよりは、ただの優男に見えるが」
「お初にお目にかかります、ヒルダ陛下。改めて本日お呼び出しいただいたご用件をお伺いできますでしょうか? ランジェリーのご注文でございますか?」
俺が恭しく礼をすると、ヒルダは鼻を鳴らした。
「勘違いするな。余が求めているのは、ロズタリアの貴族女が着るようなヒラヒラした布切れではない。戦場において、余の動きを阻害せず、かつ余の身体を守る『最強の鎧の下地』だ。最近、胸の圧迫が剣技のキレを鈍らせている……。貴様の店の噂が真実なら、これを解決できるはずだな?」
「もちろんです。必ずや陛下のご期待に添うものを作り上げましょう」
「ならば、さっそく取り掛かれ。失敗すれば――分かっているな?」
周囲の近衛兵がジャキンと剣を抜く。
だが、俺は動じずに一歩前に出た。
「お待ちください、陛下。制作に入る前に、条件の確認をさせていただきます」
「条件だと? 今から命乞いか?」
「いいえ。対価の話です」
俺は背後のカオリに目配せをし、彼女から一枚の書類を受け取った。
「我が社の商品は、ロズタリア王室および服飾ギルドとの提携により、現在価格が高騰しております。今回のオーダーメイド、ましてや一国の皇帝陛下専用の特別仕様となれば……従来の十倍の価格を頂戴いたします」
天幕内がざわめく。敵国の商人風情が、皇帝に対してふっかけるなど前代未聞だ。 だが、俺は譲らない。職人としてのプライドだ。安売りは、技術への冒涜に等しい。
「……十倍だと? 足元を見るなよ」
「至高の品には、至高の対価が必要です。それとも一国の女王ともあろうお方が、一商人に値引き交渉ですか?」
一瞬、空気が凍りついた。
兵士たちが今にも剣を振り下ろそうとする中、俺は涼しい顔で立ち尽くす。
(……ここで引いては、最高の素材(生地)を引き出せない。彼女の誇りに、私の誇りをぶつける必要がある)
ヒルダは激昂するかと思いきや、低く、愉悦に満ちた笑い声を漏らした。
「ハッ! 面白い。ロズタリアにこれほど骨のある男がいたとはな」
「商談成立ですね。では――人払いを。これより採寸をいたします」
◇
天幕には、俺とヒルダ、そしてユウの三人だけになった。
ヒルダが軍服を脱ぎ捨て、さらしを解いていく。
露わになったその肢体に、俺は息を呑んだ。
鍛え抜かれた腹筋、傷一つない白磁の肌。そして、さらしによって無惨に押し潰され、赤い鬱血の跡が残る豊かなバスト。
(……なんと残酷な)
彼女は戦うために、女性としての身体を捨てている。
「失礼します」
俺は彼女の背後に回り、赤く腫れたさらしの跡にそっと触れた。
冷たい。
血行が悪すぎる。
「これでは、剣を振るうたびに激痛が走るはずです。よく今まで耐えてこられましたね」
「……余は皇帝だ。痛みになど屈しない」
「その強さは尊敬に値します。ですが……戦士である前に一人の女性です」
俺には顔は見えなかったが、ヒルダの耳が赤みを帯びていたことを見逃さなかった。
俺は指先に熱を込め、肩甲骨から脇にかけてのリンパを流すようにマッサージを始めた。
凝り固まった筋肉が、俺の指の下で悲鳴を上げ、やがて解けていく。
「くっ……んぅ……! 貴様、何を……っ」
「メンテナンスです。最強の剣も、手入れをしなければ錆びつくのと同じです」
俺は、彼女が「女」であることを否定せず、かといって「戦士」であることも否定しないよう、慎重に、しかし大胆に指を滑らせる。
押し潰されていた胸を解放し、正しい位置へと誘導する。
「……熱い。貴様の手は、魔法でも使っているのか?」
「いいえ、ただの手です。ですが、貴女の身体が『楽になりたい』と叫んでいる声には応えられます」
ヒルダの荒い息遣いが落ち着き、強張っていた表情が和らいだ頃、俺はユウに合図を送った。
彼女はすでに、俺の意図を汲んで素材を準備していた。
使うのは、先日ボルグ氏に見せつけた「ミスリル・スパイダーの糸」。
そして、衝撃吸収性に優れた「魔獣の革」を極限まで薄くなめしたものだ。
「ユウさん、設計変更です。ワイヤーを排除した『面の圧力構造』で行きます」
「……了解です。素材の引張強度に合わせて、バッククロスを補強。陛下の肩甲骨の動きを計算済みです」
ユウが針を走らせる音だけが、静かな天幕に響く。
その指先の動きは、もはや魔術の領域だった。
軍事機密に匹敵する「最強のインナー」が、瞬く間に形を成していく。
◇
完成したのは、黒を基調とし、真紅のラインが走るスポーティーかつ攻撃的なデザインのランジェリー。
名付けて『戦乙女の抱擁』。
いわゆる現代の「高性能スポーツブラ」を、異世界素材で超強化した逸品だ。
「……これが、下着だと? まるで防具ではないか」
ヒルダは怪訝そうにそれを手に取り、身に着けた。
その瞬間。
彼女は目を見開き、その場で軽くジャンプし、シャドーボクシングのように拳を突き出した。
「!!」
揺れない。
痛くない。
それでいて、呼吸は驚くほど深く吸える。
鏡に映る姿は、さらしで潰した男装ではなく、女性らしい曲線を保ちながらも、鋼のような強さを感じさせる美しい戦士の姿だった。
「軽い……! 身体が、羽のようだ……!」
ヒルダは鏡に映る自分を、食い入るように見つめた。
さらしで無理やり潰されていた時とは違う、凜々しく、そして眩いほどに「女性としての力強さ」に溢れた自分の姿。
「……これが、私……? 忌々しい苦痛から解放されることが、これほど心地よいとはな」
彼女が俺に向けた視線には、先ほどの殺意は微塵もなかった。
ただ一人の男に「本当の自分」を見出されたことへの、狂おしいほどの信頼が宿っていた。
「気に入った。この『戦乙女の抱擁』、帝国軍の女性士官全員に配備する。金はいくらでも払おう」
「ありがとうございます。……ですが陛下、一つ大きな問題がございます」
俺が真剣な表情を向けると、ヒルダは不審げに眉を寄せた。
「問題? 金が足りぬとでも言うのか?」
「いいえ。この『戦乙女の抱擁』は極めて複雑な裁断と縫製を必要とします。現在のようにユウが一人で手縫いしていては、全軍に届くまでに数十年かかってしまうでしょう」
「……それでは意味がない。何か策はあるのか?」
俺は待っていましたとばかりに、カオリが準備していた「拠点開発計画書」を提示した。
「ええ。このヴォルガ帝国の地に、我が社の『製造拠点(工場)』を建造させてください。ロズタリアから職人を呼び寄せ、こちらの現地の方々も雇用し、高度な工程管理と分業体制――つまり『生産ライン』を構築します。これならば、数ヶ月以内に全軍への配備が可能です」
「ほう……。我が国にその『技術の心臓部』を置くというのか。面白い」
ヒルダは口角を上げ、不敵に笑った。
「許可しよう。場所も人足も、必要なだけ使え。……ソウイチロウ、貴様は単なる下着職人ではないな。一国の産業を塗り替える『革命家』だ」
「ありがとうございます」
俺が微笑むと、ヒルダ陛下は上機嫌に頷いた。
「ソウイチロウよ。我がヴォルガ帝国に仕えぬか? ロズタリアより高待遇で受け入れさせてもらうぞ」
「大変ありがたいお言葉ですが、セシリア陛下には命を救っていただいた恩義がございます。どうかご理解をいただきたい。もしヒルダ陛下がお許しいただけるのであれば、このヴォルガ帝国に支店を出させていただけないでしょうか?」
「断る理由はない。これでロズタリアへの進軍は中止だな。私の御用達のお店の本店がある国に攻撃できるわけがない」
こうして俺たちはヴォルガ帝国という巨大なマーケットを開拓し、さらに冷戦を終わらせるという偉業を成し遂げた。
俺たちは勝利の凱旋のごとく、ロズタリアへの帰路についた。
だが、俺たちの名声が高まれば高まるほど、今度は「神」に仕える者たちの視線を集めることになるのを、俺はまだ知らなかった。




