第7話 職人の誇りと、ギルドとの協定
数日後。
店に届いた羊皮紙は、王都の服飾産業を牛耳る『服飾ギルド』からの呼び出し状だった。
文面には、慇懃無礼な言葉で「貴殿の活動について説明を求める」とあるが、事実上の出頭命令であり、宣戦布告だ。
「社長……これ、かなりマズいですよ。彼らを敵に回すと、布の仕入れルートを止められるかもしれません」
カオリが険しい顔で羊皮紙をテーブルに置く。
バリキャリとしての危機管理能力が、警鐘を鳴らしているようだ。
だが、俺はコーヒーを一口啜り、静かに微笑んだ。
「大丈夫です。何とかなりますよ」
「根拠はあるんですか? 相手はこの国のファッションの歴史そのものですよ」
「ええ。彼らもまた、『職人』です。気持ちは通じますよ」
俺にとってシェア争いや利益は重要ではない。
この世界の女性たちが、あの窮屈な拘束具によって、肌を傷つけ、呼吸を浅くしている現状――それを技術で解決することだ。
彼らが職人ならば、より優れた技術には敬意を払うはずだ。
「カオリさん、同行をお願いできますか? ビジネスの話は君に任せたい」
「……はい。謹んでお供いたします」
カオリは束ねた髪の毛をほどき、戦闘モードに入った。
◇
ギルド本部は、革と油の匂いが染み付いた重厚な石造りの建物だった。
通された会議室に座っていたのは、樽のように逞しい体躯と、胸元まで届く見事な白髭を蓄えたドワーフの老人――ギルド長のボルグだった。
ドワーフは種族的に手先が器用で、この国の服飾・工芸の歴史を支えてきた誇り高い民だ。
ボルグは節くれ立った太い指を組み、地響きのような低い声で俺を睨みつけた。
「単刀直入に言おう。ソウイチロウ殿と言ったな。貴様の店……『トリップ・トラップ』のせいで、我々の注文が激減している。これは伝統ある我々服飾ギルドを侮辱する行為と等しい」
威圧的な空気。
俺は努めて冷静に振舞った。
机の上に置かれた、彼らが作った最高級のコルセット。
その刺繍の細かさと、革のなめし具合。これは一級品だ。
「侮辱など滅相もございません、ギルド長。この素晴らしい刺繍。そして、百年保つと言われる縫製技術。貴殿らの技術は、素晴らしいものです。私には真似できません。住み分けはできると思いますよ」
「ふん……。口のうまい若造だ。ならば、服飾ギルドの売上が減っているのはなぜだ?」
「私たちの商品が目新しいだけです。一時のことですよ。そして、申し上げた通り、我々は住み分けができるはずです。今回、ここに参ったのは、競合としてではなく、協力相手として参ったのです」
俺は席を立ち、机の上のコルセットに手を触れた。
「このボーン……鯨のヒゲを使っていますね? 強度は申し分ありませんが、硬すぎます。これでは、女性の柔らかな肉体を傷つけてしまう」
俺は懐から「ミスリル・スパイダーの糸」を編み込んだワイヤーフレームを取り出した。
「触ってみてください」
ボルグが怪訝そうにそれを受け取る。
指で押し、曲げ、そして離す。
フレームはしなやかに曲がり、瞬時に元の形に戻った。
「なっ……なんだこれは? ミスリル・スパイダーの糸か。いや、しかしこの弾力と復元力は……」
「さすがは服飾ギルドの長。触っただけで素材やその特性を見抜くとは脱帽です。お察しの通り、これを使えば、女性の身体を締め付けることなく、理想のラインを維持できます。これを、貴殿らに提供いたします」
「……なに?」
「我が社が加工済の『ワイヤーフレーム』を卸します。貴殿らは、その上に、その素晴らしい『装飾技術』を施したコルセットドレスを作ってくださればいい」
俺の提案に、ボルグは絶句し、手元のフレームを見つめた。
職人としての本能が、この技術の革新性を理解してしまったのだ。
だが、まだ迷っている。
伝統をそう簡単に変えていいのか、という葛藤が見える。
ここで、カオリが動いた。
彼女は音もなくボルグの側に歩み寄ると、その厚く固い手に、そっと自分の細い手を重ねた。
「ボルグ様」
甘く、しかし凛とした芯のある声。
カオリは営業用の「聖母の微笑み」を浮かべながら、真っ直ぐにボルグの瞳を見つめた。
「社長の言う通り、私たちは歴史あるギルドの皆様を『下から支える』存在になりたいのです。表舞台の主役は、あくまでボルグ様たち職人ギルド。私たちは、その引き立て役にすぎません」
「む……し、しかしだな……」
ドワーフの頑固な防壁が、わずかに揺らぐ。
そこに俺が決定打を打ち込んだ。
「これから我がトリップ・トラップは商品の価格を三倍に引き上げます」
「さ、三倍だと!?そんな値段で売れるわけが……」
「我が社の商品は、王族や貴族に絞った『高級ブランド』として展開します。庶民には手の届かない、高嶺の花です。……ですが、それだけでは世界は変わりません」
カオリが顔をさらに近づけ、上目遣いでボルグを見つめる。
今度は聖母の笑みではない。
男を狂わせる「魔性の女」の顔だ。
「そこで、ギルドの皆様にお力をお借りしたいのです。最新のワイヤー技術を組み込んだ『快適な普及版』を、ギルドの流通網で国中に届けていただきたい。……これは、ギルドにしかできない大事業ですわ」
カオリがボルグの強張った肩にそっと手を置き、耳元で吐息混じりに囁いた。
「ね? 悪いお話ではないでしょう? 私……ボルグ様のような頼りがいのある殿方と、仲良くお仕事がしたいですわ」
「う、うむ……! あ、貴女のような美しい女性にそこまで言われては……断れるはずがなかろう!」
ボルグの顔がみるみる赤くなる。
頑固一徹な職人も、百戦錬磨の元広告代理店OLの手にかかれば、赤子のようなものだ。
彼は完全に骨抜きにされていた。
「……わかった。認めよう。ソウイチロウ殿。その技術、我々に貸してくれ。協力関係を築こうではないか」
「ありがとうございます。光栄です」
俺たちがガッチリと握手を交わすと、カオリが背後で「チョロい」と言わんばかりに小さくVサインをした。
◇
こうして、服飾ギルドとの対立は、「技術提携」という形で解消された。
それどころか、ギルドの広範な流通網を使えるようになったことで、『トリップ・トラップ』の名は国境を越えて広まり始めることになる。
俺としては、より多くの女性が快適なランジェリーを身に着けてくれるなら、それで満足だ。
そんなある日。
店に、一通の親書が届いた。それは羊皮紙ではなく、重厚な革張りの封筒に入っており、氷のような冷気を纏っていた。
差出人の名を見たカオリが、青ざめた顔で俺を呼んだ。
「しゃ、社長……。今度はもっとヤバいところから手紙が来ました」
「おや、今度はどこのギルドですか?」
「ギルドじゃありません……国です。北の軍事帝国ヴォルガ。……その頂点に立つ『氷の女帝』ヒルダ様からです」
軍事帝国ヴォルガ。
ロズタリアとは長年、冷戦状態にある軍事大国だ。
その女帝からの親書。
内容はシンプルだった。
『噂は聞いている。余のために、至高の軍装を作れ。拒否すれば――我が軍が貴国へ進軍する』
「……ランジェリーの注文で、国家存亡の危機なんですが」
カオリが頭を抱える。だが、俺の胸に宿ったのは恐怖ではなかった。
(軍装……平和な日本では生まれない発想だな。激しい動きに耐え、泥にまみれてもなお女性の尊厳を守る、究極の機能美。……面白い)
平和なドレスとは違う、戦場で命を懸ける女性を守るための「戦闘用ランジェリー」。
職人としての新たなフロンティアに、俺の指先が歓喜に震えていた。




