第31話 予知の銀髪女王と、二千年前のもてなし
ロズタリア王都を発ち、東の海原を切り裂く特注の魔導快速船に揺られること数日。
紺碧の大海原の果て、常春の海域に浮かぶ孤島「扶桑」の全貌が、朝靄の向こうから姿を現した。
島全体を覆うのは、雲を突くほどに巨大な原生林。
そして、その上空にはオーロラのように揺らめく幾重もの光の幕――侵入者の五感を狂わせ、永久に森を彷徨わせるという古代の『幻惑結界』が張り巡らされていた。
「うっわー……マジで結界張ってんじゃん。てかあの霧、絶対方向感覚狂わせてくるヤツでしょ」
甲板で双眼鏡を覗くチサが、キャミソールの裾を海風になびかせながら眉をひそめる。
ミサキも手帳を開き、セシリア陛下から預かった琥珀色のメダルを握りしめながら警戒を強めていた。
「セシリア陛下の仰る通りですわね。エルフは極めて排他的な種族。このメダルを掲げても、矢の雨で歓迎される可能性が高いと覚悟しておくべきでしょう」
「……いつでも、迎撃の布陣は整えられますわ。私の【契約執行官】の力で、相手の敵意の根源を交渉のテーブルへ引きずり出してみせます」
カオリが不敵に微笑み、ユウが無言で愛用のミスリルバサミの刃を指先で弾く。
社員たちの士気は万全だ。
船が天然の入り江へと接岸し、俺たちは白亜の砂浜へと降り立った。
(……何千年もの時を生きるエルフの美女たち。長年蓄積されたであろう骨格の歪みや、手入れ不足の悲鳴……。待っていなさい、今すぐにこの手で解放して差し上げますよ)
紳士の仮面の下で、俺の内の「職人魂」が静かに熱く滾る。
だが――原生林の入り口に足を踏み入れた、まさにその瞬間だった。
ファサァッ……!
木々の隙間を抜ける風と共に、空間そのものが水面のように波打ち、視界を遮っていた濃密な霧が、まるでモーセの海割りのように左右へと綺麗に分かれたのだ。
森の奥へと続く、美しく苔生した石畳の道が、一本の矢のようにまっすぐ伸びている。
「……え? 結界が、開いた……?」
チサが目を丸くする。
その道の両脇から、音もなく現れたのは、透き通るような白い肌と尖った耳を持つ十数名のエルフの衛兵たちだった。
全員が腰まで届く金糸の髪をなびかせた、絵画から抜け出してきたような美貌の持ち主だ。
手には精巧な白木の弓を構えているが、矢は番えられていない。
先頭に立つ凛とした女性隊長が、俺の前まで歩み出ると、恭しく右手を胸に当てて深く頭を下げた。
「――西の果てより来たりし、美を紡ぐ神の手の持ち主……ソウイチロウ殿ですね。女王エレアノール様が、神殿にてお待ちです」
「……は? ちょ、ちょっと待って! 門前払いされるって話じゃなかったの!?」
チサが素っ頓狂な声を上げ、ミサキも眼鏡を押し上げながら驚愕を隠せない。
「セシリア陛下からお預かりした盟約のメダルを、まだ提示すらしていないのですが……なぜ、私たちの名をご存じなのですか?」
ミサキの問いに、エルフの隊長は静かに微笑んだ。
「我が里の女王エレアノール様は、星々の運行から因果を読み解く【星読みの予知眼】の持ち主。……『本日、西の海より四人の巫女を連れた衣の魔術師が訪れる。丁重にお迎えせよ』と、数日前より神託が下されていたのです」
「……予知、ですか」
俺は静かに頷いた。
どうやら、話が早くて助かる。
俺たちは隊長の手引きに従い、巨木が立ち並ぶ神秘的な森の参道を進んでいった。
◇
森の最奥に鎮座していたのは、生きている大樹そのものをくり抜いて造られた、息を呑むほど壮大なエルフの神殿だった。
陽光が葉の隙間から木漏れ日となって降り注ぎ、空気中には高密度の魔力粒子が蛍のように舞っている。
神殿の最奥、白銀の玉座に腰掛けていたのは、一人の女性だった。
腰まで流れる、月光をそのまま紡いだかのような純白の銀髪。
深く澄み渡ったサファイアの瞳。
そして、何千年という気の遠くなるような時を生きてきた者だけが纏う、圧倒的な神聖さと静けさ。
エルフの女王――エレアノールその人である。
(……なんという美しさだ。だが……)
俺の「職人の眼」は、彼女が優雅に纏う薄緑の古代風ローブの下へと瞬時に突き刺さる。
(……推定アンダー65、トップ78。骨格ウェーブ。無駄な贅肉が一切ない、芸術的なまでに完成されたスレンダーボディだ。……だが、酷い。あまりにも酷すぎる! 何百年……いや、千年以上も同じ姿勢で祈りを捧げ続けてきたせいで、胸椎と仙骨のラインが完全に石化している! 呼吸は浅く、肺の半分も使えていない! 美しいが、身体が『窒息』の悲鳴を上げているぞ……!)
職人としての使命感に指先が熱くなる中、女王エレアノールが静かに唇を開いた。
鈴の音のように清らかで、しかし心の奥底に直接響くような美声だ。
「……ようこそ、異郷の旅人たちよ。私はこの里を統べる者、エレアノール。星々の導き通り、貴方がたがこの地へ辿り着いたことを心より歓迎いたします」
「お初にお目にかかります、エレアノール女王陛下。ロズタリアより参りました、『トリップ・トラップ』代表のソウイチロウと申します。……温かいお出迎えに、心より感謝申し上げます」
俺が優雅に英国紳士の礼を執ると、女王はサファイアの瞳を微かに細め、柔らかな笑みを浮かべた。
「礼には及びません。……星の神託はこう告げていました。『西より訪れし職人の指先、古き呪縛を解き、我が民を次なる調和へと導かん』と。……貴方がたが何を求め、この森を訪れたのか、私には見えておりますよ」
「話が早くて助かります。我が社が求めているのは、貴国に伝わる神木から紡がれる奇跡の繊維――【霊樹の天蚕糸】です」
「ええ、分かっております。……ですが、商談の前に。はるばる海を越えて我が里を訪れてくださった貴方がたに、まずは旅の疲れを癒やす食事を召し上がっていただかなくては。我が里に代々伝わる、伝統の歓迎料理を用意させました。こちらへどうぞ」
女王の促しで、俺たちは神殿に隣接したテラスの円卓へと案内された。
エルフの伝統料理。
木の実や山菜、果実をあしらった精進料理のような質素なものだろう――。
そう身構えていた俺たちの前に、エルフの給仕たちが銀のトレイを運んできた。
ふわりと漂ってきたのは、香ばしく焼けた肉の匂いと、油の匂い。
「……え?」
トレイの蓋が開けられた瞬間、チサが目を丸くして息を呑んだ。
テーブルの上に並べられたのは――。
ゴマが振られたふっくらとした丸いパン。
その間には、こんがりと焼き上げられた挽肉のパティ、とろりと溶けた黄色いチーズ、輪切りのトマトと刻んだレタスが美しく挟まれている。
銀皿の脇には、細切りにしてカリッと黄金色に揚げられた芋が添えられ、陶器のコップには、シュワシュワと泡を立てる褐色の炭酸飲料が注がれていた。
どこからどう見ても、現代日本のハンバーガーセットそのものだった。
「……嘘でしょ?」
チサがプルプルと震えながら、小声で呟く。
ミサキも手帳を取り落としそうになりながら、眼鏡を押し上げた。
カオリも目を瞬かせ、呆然と目の前の皿を見つめている。
そんな俺たちの動揺を余所に、女王エレアノールは上品に微笑み、胸元に手を当てて解説を始めた。
「口に合いますでしょうか。この『丸パンの肉挟み』は、およそ二千年ほど昔、我が里に迷い込んだ異界の旅人から教わった伝統食なのです。手軽で栄養があり、何より美味であると、我が里では長きにわたり大切に受け継がれてきた家庭の味でしてね。付け合わせの塩味の揚げ芋も、当里の定番なのです」
エルフたちは誰一人としてそれを神聖視している様子はなく、ごく自然に、親しみ深い「里の伝統的な軽食」として扱っていた。
チサが恐る恐るハンバーガーを両手で持ち上げ、一口かじる。
「……っ! う、美味い……! 肉汁ジューシーだし、ソースもケチャップとマヨネーズ混ぜたオーロラソースっぽいし……完全にあのハンバーガーの味じゃん……!」
「本当ですわ……。パンの焼き加減も完璧で、揚げ芋の塩加減も絶妙です……」
カオリもポテトをつまみ、信じられないといった様子で呟く。
俺もバーガーを一口味わった。
間違いない。完全に現代のあの味だ。
俺はナプキンで口元を拭い、静かにエレアノールへと問いかけた。
「……エレアノール陛下。その、二千年前にこの料理を伝えたという旅人について、もう少し詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
エレアノールはサファイアの瞳を細め、遠い過去に想いを馳せるように語り始めた。
「二千年前、私がまだほんの少女だった頃のことです。その旅人は、突然この森の結界の内側に迷い込んできました。黒髪の若い男性で……自身の身分を尋ねたところ、不思議な響きの言葉で名乗ったのです」
エレアノールは記憶をなぞるように、その単語を一つひとつ丁寧に紡いだ。
「『トウキョウ』という街の『ヘイセイ』という時代から来た……『フリーター』である、と」
「……ぶふっ!?」
炭酸飲料を飲んでいたチサが派手に吹き出しそうになり、カオリがすかさずハンカチを差し出した。
ミサキも手帳の上でペンを止め、信じられないものを見る目で目を見張っている。
「フ、フリーター……ですの?」
「ええ。貴族でも騎士でもなく、『アルバイト』という身分で、このハンバーガーを提供する民間の食堂に勤めていた青年だと仰っていました。彼は手先が器用で、森にある食材を巧みに見立てて、この料理の作り方を私たちに一から教えてくださったのです」
なんと、二千年前にエルフの隠れ里にハンバーガーのレシピを伝えたのは、現代日本のバイト店員だったのだ。
チサが口元を押さえ、プルプルと震えながら小声で唸る。
(……マジか。異世界転移してエルフの里にハンバーガーのレシピ叩き込んだの、バイトのあんちゃんだったの……!?)
だが、俺たちの関心は別のところにあった。
俺は身を乗り出し、真剣な眼差しで核心へと切り込んだ。
「エレアノール陛下。その……『フリーター』の青年は、その後どうなったのですか? この里で生涯を終えられたのでしょうか?」
その問いに、エレアノールは少し眉を曇らせ、静かに首を横に振った。
「いいえ。彼は生涯をここで終えたわけではありません。元の世界へ帰る方法を諦めきれず、里に伝わる秘宝と、ある特定の天体配列による次元の歪みを利用して、元の世界への帰還を試みたのです」
「……帰還を、試みた?」
「はい。儀式によって空間が裂け、彼はその光の渦の中へと飛び込んでいきました。……ですが、本当に彼が無事に元の世界へ辿り着けたのかは、私たちにも定かではないのです。門が閉じてしまえば、向こう側の様子を窺い知る術はありませんでしたから」
その場の空気が、しんと静まり返った。
成功したか否かは不明。
だが、少なくとも「元の世界へ繋がる次元の裂け目を開いた」という前例が、この里に確かに存在していたのだ。
ミサキがゴクリと息を呑む。
そして俺の職人としての冷徹な思考が、即座に重大なパラドックスを捉えていた。
彼が名乗ったのは「平成の東京」。
それは、俺たちが生きていた現代日本と地続きの時代だ。
彼がこちらへ来てから儀式を行うまでの数年間を差し引いても、エルフの側ではそれが「二千年前の出来事」として記録されている。
(……転移の際に生じる、時間軸の致命的なズレ……タイムラグか!)
俺の背筋に冷たいものが走った。
こちらの世界と元の世界とでは、流れる時間の比率が根本から狂っているのか。それとも、次元の門をくぐる際に時空そのものが歪んでしまうのか。
もし帰還の手段を突き止めたとしても、この時間軸のズレを制御できなければ、何千年も過去や未来へ弾き飛ばされる恐れがある。
(……無事に帰れるかどうかすら分からない儀式に、彼は一命を賭けたのか)
謎は深く、険しい。だが、元の世界へ繋がる扉が存在したという事実は、暗闇の中に灯った確かな道標だった。
「……彼が遺した次元移動に関する研究ノートや手記は、今も我が里の宝物庫に大切に保管されておりますよ。星の予知は、貴方がたがそれを必要とすることも告げておりました」
エレアノールは穏やかに微笑み、そしてすんなりと立ち上がった。
サファイアの瞳を潤ませ、薄緑の古代風ローブの胸元にそっと細い指先を添える。
「手記の閲覧も、我が里の秘宝【霊樹の天蚕糸】の提供も、すべてお約束いたしましょう。……ですが、まずはソウイチロウ殿。……星が告げた通り、貴方のその『神の手』で、私の身体に積もりし千年の澱を、解き放ってくださいますね?」
長寿エルフの女王の、二千年間放置され続けた極上のスレンダーボディ。
時間軸の謎と帰還への手がかりを前に、まずは職人としての『本分』が、俺を逃がそうとはしなかった。
俺は紳士の仮面の下で、熱く滾る職人魂を呼び覚まし、静かに立ち上がった。
「もちろんです、エレアノール陛下。……至高のフィッティングを、お見せいたしましょう」
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!
エルフの里に伝わる伝統料理……二千年前に伝わったハンバーガーでした!
「平成」「東京のフリーター」という単語から判明した、転移における時間軸の致命的なズレ。
そして先人が試みたという、命がけの帰還の儀式――。
元の世界へ帰るための道筋が、少しずつ形を成し始めています。
そして次回、二千年分のコリが蓄積した女王エレアノールへの「神の手」による極上フィッティングが幕を開けます!
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