第32話 千年の石化と、薄絹の下の柔肌
神殿のテラスを後にした俺たちは、エレアノール女王の案内で、神殿の最奥へと足を踏み入れていた。
そこは、樹齢数千年はあろうかという巨大な神木の空洞をそのまま活かした、彼女の私室だった。
外の木漏れ日とは打って変わり、淡い翡翠色の燐光を放つコケ植物が室内を仄暗く照らし、外界から完全に遮断された静謐な空気が漂っている。
「……男子をこの私室に招き入れたのは、建国以来初めてのことですわ」
天蓋付きのベッドの前に立ち、エレアノールが振り返った。
そのサファイアの瞳には、緊張と、星の予知に対する狂おしいほどの期待が揺らめいている。
背後には、付き添いとしてミサキ、チサ、カオリ、ユウの四人も控えている。
ミサキは愛用の手帳を胸元で構えてペンを走らせる準備をし、チサは「いよいよエルフ女王の脱衣……!」とゴクリと唾を呑み、カオリは優雅に腕を組んで見守り、ユウは手元で魔導裁縫具の刃先をカチリと鳴らした。
「恐れ入ります、エレアノール陛下。……ですが、ご安心を。本日はまず、貴女のお身体の痛みの原因を正確に見極め、採寸と触診をさせていただきます。至高の一着を仕立てるための、最も重要な工程です」
「ええ……。星の導き、そして貴方のその真摯な瞳を信じます」
エレアノールは覚悟を決めたように小さく頷くと、肩のブローチを外した。
薄緑の古代風ローブが、かすかな衣擦れの音と共に床へと滑り落ちる。
露わになったその肢体に、チサが小さく「うわ……」と息を呑んだ。
(……やはり、私の見立て通りだ)
推定アンダー65、トップ78。
無駄な贅肉を極限まで削ぎ落とした、月光のように透き通る白い肌。
だが、そのデリケートな胸元には、幅の狭い麻布の帯が何重にもきつく巻き付けられていた。
長寿種エルフが重んじる「スレンダー至上主義」――平坦で華奢な胸こそが高貴であるという古い美意識に縛られ、わずかな膨らみすらも力任せに押し潰してきた痕跡だ。
「失礼します」
俺は彼女の背後に回り、固く結ばれた麻布の結び目を解いていく。
最後の布地がハラリと解け落ちた瞬間、圧迫されていた素肌が冷気に晒されるように小さく震えた。
(……これは、酷い)
俺は温めた両手を、彼女の華奢な肩へとそっと置いた。
指先から伝わってきたのは、生きている人間の弾力ではなかった。
大理石だ。
あるいは、何千年もの年月を経て冷え固まった化石。
肩甲骨の周り、首筋、そして脊柱起立筋に至るまで、筋肉の繊維が完全に凝固し、カチカチに硬直している。
「……エレアノール陛下。貴女は二千年間、神託を受けるために、この姿勢で祈り続けてこられたのですね」
「……ええ。それが女王としての、我が民を守るための務めでしたから。ですが……ここ数百年は、首を回すことすら激痛が走り、深く息を吸い込むことすら叶わなくなっていました……」
「呼吸筋も、肋骨も、すべてが凍りついています。……これでは、魂が生きながらにして石の檻に閉じ込められているようなものだ。まずは凝り固まったお身体を解きほぐし、本来の骨格を取り戻しましょう」
俺は手のひら全体に体重を乗せ、彼女の冷え切った項から肩甲骨の内側へと、深く、じんわりと圧をかけていく。
「ひゃぅっ!?」
エレアノールの口から、千年間誰も聞いたことのないような、甘く甲高い悲鳴が漏れた。
「な、何を……っ! 温かい……いえ、熱い何かが、骨の奥まで突き抜けて……っ!?」
「力を抜いてください。石化した筋膜を剥がし、血流の道を拓いているだけです。……息を吐いて」
俺の親指が、凝り固まった僧帽筋の最深部を捉え、円を描くように解きほぐす。
ゴリッ、と音を立てて長年の老廃物が砕け散る感覚。
魔法でもスキルでもない。
何千人もの身体を診てきた職人としての解剖学的アプローチが、二千年間眠っていた彼女の毛細血管を一気に目覚めさせていく。
「あ、ぁぁ……っ♡ 熱い……! 身体の内側が、火をつけられたみたいに……っ!」
「そうです。身体が、生きることを思い出している証拠ですよ」
俺はさらに、彼女の脇の下、そして胸の底面へと指先を滑らせた。
押し潰され、背中や脇へと逃げていたわずかな脂肪を、手のひら全体で包み込むようにして前へと集めていく。
「あぁんっ……! そ、そこは……っ! エルフの乙女にとって、触れてはならぬ……あ、ダメ……っ♡ 頭が、白くなっちゃう……っ!」
エレアノールは華奢な両手でベッドの天蓋の柱にすがりつき、白銀の髪を乱しながらガクガクと膝を震わせた。
あの神聖で犯しがたい女王の面影はどこへやら、上気した頬と潤んだ瞳で、ただ快楽と解放の熱に身を悶えさせている。
「ミサキさん、寸法と骨格データの記録を。アンダー64.5、トップ78.2。バージスラインのカーブは緩やか、胸骨の角度は浅めです」
「は、はいっ! ……記録いたしましたわ!」
ミサキが顔を真っ赤にしながら、猛烈な勢いで手帳に数値を書き留める。
一通りの触診とマッサージを終え、俺がそっと手を離すと、エレアノールはベッドの上にへたり込み、熱い吐息を漏らしながらとろんとした瞳で俺を見上げた。
「……信じられませんわ……。指先ひとつで、こんなにも身体が軽くなるなんて……。でも、ソウイチロウ殿……私のための肌着は……?」
「申し訳ございません、エレアノール陛下。貴女のお身体は、二千年の歴史そのものです。その場しのぎの既製品でお茶を濁すような真似は、職人として許されません。……貴女のその完璧なスレンダーボディを寸分の狂いもなく包み込む至高の一着を仕立てるため、一晩、お時間をいただけますか?」
俺が真摯な眼差しで告げると、エレアノールはサファイアの瞳を潤ませ、深く頷いた。
「……わかりました。貴方のその誠実な職人魂に、私のすべてを委ねましょう。神殿の客間をお貸しします。我が里の素材も、道具も、すべて自由にお使いください」
◇
その夜、神殿の一角に用意された客室は、熱気あふれる工房へと変貌していた。
エレアノールから提供された、貴重な【霊樹の天蚕糸】の原反。
月光のように青白く発光するその極上の生きた繊維を前に、俺たちの集中力は極限に達していた。
「……吸い付くような手触り。魔力の流れに、布自身が呼吸を合わせている」
ユウが【魔導機工師】としての感覚を研ぎ澄まし、ミスリル製の裁ちばさみを構える。
昼間の触診で得たエレアノールの骨格と筋肉のデータは、すでに俺の頭の中で立体的なパターンとして完成していた。
「ユウさん、金属ワイヤーは一切使いません。彼女の繊細な肋骨に金属は不要です。霊樹の繊維の編み目を胸の下部だけ三重に高密度化させ、面で支えるシームレス構造にします」
「……了解。型紙のライン、脳内に同期完了。……裁断します」
シュン、シュン……ッ!
静寂の中、ユウのハサミが神秘の布地を豆腐のように滑らかに切り裂いていく。
チサが魔導染料の壺を前に、エレアノールの白銀の髪に最も映える淡いミントグリーンのニュアンスカラーを調色し、カオリが全体の工程管理とミサキの記録を照合する。
俺自身も針を手に取り、数ミリの誤差も許さぬ手縫いでパーツを繋ぎ合わせていった。
妥協のないモノづくり。
夜が白み始める頃、作業台の上には、羽毛のように軽く、柔らかな輝きを放つ一枚のノンワイヤー・シームレスインナーが完成していた。
◇
そして翌朝。
再び訪れた女王の私室で、俺たちは仕立て上がったばかりの一着をエレアノールへと差し出した。
「お待たせいたしました、エレアノール陛下。これが、貴女のためだけに編み上げた世界で唯一のランジェリーです」
「まあ……! なんて軽やかで、美しい色……」
エレアノールは震える手でそれを受け取り、衝立の奥で身に纏った。
そして――。
スッ……。
衝立の向こうから、息を呑むような微かな吐息が聞こえた。
霊樹の天蚕糸が、彼女の体温と魔力に完全に共鳴し、吸い付くように身体と一体化したのだ。
スゥゥゥゥ……ッ……。
ゆっくりと衝立から姿を現したエレアノールは、深く、深く、肺の底まで新鮮な空気を吸い込んでいた。
「息が……吸える……? 痛くない……! 何も着けていないみたいに軽いのに、胸が、あるべき場所で優しく包まれている……!」
「鏡をご覧ください、エレアノール陛下」
俺が姿見を前に促すと、彼女はおずおずと視線を上げた。
そこに映っていたのは、無理な締め付けで青白くなっていた神話の彫像ではない。
血色が戻り、桜色に染まった肌。
すっきりと伸びた首筋と、凛とした気品ある姿勢。
そして、過剰に強調されることなく、自然で美しい丸みを描いて上向きに整えられた、若々しいバストのラインだった。
「これが……私……? 醜くなどない……。こんなにも、自然で……誇らしい姿になれるなんて……っ」
エレアノールのサファイアの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、インナーの胸元を濡らした。
二千年間、女王という重圧と古い美意識に縛られてきた彼女が、真の意味で「一人の女性」として解放された瞬間だった。
「……ソウイチロウ殿」
エレアノールは涙を拭い、潤んだ瞳で俺を見上げると、その細い指先で俺の手を両手でぎゅっと包み込んできた。
先ほどまでの威厳ある女王の声ではない。
恋を知った乙女のような、甘く震える声だった。
「貴方は……私の救い主です。身体だけでなく、私の魂まで救ってくださった……。このインナー、脱ぎたくありません。……そして、私の身体の調律、これからも貴方に委ねさせていただけますね?」
「光栄です、エレアノール陛下。職人として、いつでもお呼び出しに応じましょう」
俺が優雅に微笑むと、背後でミサキが「……また一人、社長の虜が」と手帳にペンを走らせ、チサが「社長の人たらしスキル、マジでカンストしてんだけど」と呆れたように笑った。
◇
施術を終え、すっかり身も心もほぐれたエレアノールは、約束を果たすべく、俺たちを神殿に隣接する巨大な巨木の洞へと案内した。
「さあ、こちらへ。我が里が数千年の歴史の中で紡いできた英知の集積地――『霊樹の大書庫』です」
エレアノールが先導して足を踏み入れたその場所は、息を呑むほど壮大な大図書館だった。
何本もの大樹の幹をくり抜いて作られた吹き抜けの回廊に、見渡す限りの本棚が天に向かって整然と並んでいる。
だが、その本棚はどれも、うっすらと神秘的な青白い光の膜を纏っていた。
「……綺麗な光。本棚自体が、微弱な魔力を帯びているのですか?」
ミサキが眼鏡の位置を直し、知的な瞳を輝かせて尋ねる。
エレアノールは誇らしげに頷いた。
「ええ。我らエルフは何千年もの時を生きますが、記録を記す紙や羊皮紙は儚いもの。ただ保管しているだけでは、数百年で風化し、失われてしまいます。そのため、この書庫の本棚にはすべて、霊樹の魔力を循環させた『時間停滞の結界』が施されているのです」
棚の中に収められている間、書物は外界の空気や時間の流れから完全に隔絶され、劣化が止まる。
数千年前の羊皮紙も、まるで昨日綴られたかのような状態で保存されるのだという。
「そして……星の予知が告げた、貴方がたが求める記録もここにございます」
エレアノールが回廊の最奥、ひときわ厳重に魔導結界が張られた専用の書棚の前に立ち、優雅に手をかざした。
光の膜がサッと晴れ、棚の中から恭しく取り出されたのは――。
一冊の、見慣れた大学ノート。
そして、その背表紙に差された一本の黒いボールペンだった。
時間停滞の魔力によって守られていたおかげで、二千年の歳月が流れた今なお、ノートのパルプ紙は白さを保ち、表紙の罫線すら掠れていない。
そこには、見慣れた日本語で、少し雑な走り書きがはっきりと記されていた。
『――時空跳躍実験と帰還ログ(兼・バイトリーダーの愚痴)』
「……これ、だ」
チサが息を呑み、カオリが目を見張る。
二千年前にこの里を訪れ、ハンバーガーの製法を伝え、そして元の世界への帰還を試みたという、あの青年の手記。
「彼が旅立つ際、当時の長老たちが『異界の友が遺した尊き記録』として、この棚へ大切に収めたと伝えられています。……どうぞ、お読みください」
エレアノールから手渡されたノート。
手に取った瞬間、微かに香った紙とインクの匂いは、紛れもなく俺たちがいた「あの世界」のものだった。
元の世界へ帰るための、そして時間軸の謎を解き明かすための鍵が、いま俺たちの目の前で開かれようとしていた――。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!
一晩かけた丁寧な仕立てにより、二千年の石化から真に解放された女王エレアノール!
職人としての説得力と極上のフィッティングをお届けいたしました。
そして大樹図書館の時間停滞本棚から姿を現した、先人の残した『大学ノート』。
表紙に刻まれた「バイトリーダー」の文字に、元の世界への帰還の道筋はどう描かれているのか!?
「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
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