第3話 女王の解放と、三つの傑作
「縫製室」は、職人である俺にとっては宝の山だった。
壁一面に並ぶ色とりどりの布地、魔導石を動力源とした足踏みミシン、そして使い込まれた裁断道具たち。
だが、何より俺の目を引いたのは、テーブルに無造作に置かれた「素材」たちだ。
「……これは『天蚕』でしょうか? いや、それよりも遥かに繊維が細く、強靭ですね」
「それは『ミスリル・スパイダー』の糸ですわ。剣を通さないほど頑丈ですが、伸縮性がなく、肌触りも硬いため、専ら防具の裏地に使われるものです」
セシリアが不思議そうに解説する。
確かに硬い。
だが、指先でねじり、特定の角度で圧力をかけると、驚くべき反発力を生むことが分かった。
「これは、金属のワイヤーの代わりに、バストを支える『土台』として使えそうですね」
従来の金属ワイヤーは洗浄に弱く、変形しやすいのが難点だった。
だが、この糸を芯材として編み込めば、「絶対に型崩れせず、かつ身体の動きに追従する最強のフレーム」ができる。
「よし、制作を開始します。皆さん、配置についてください」
俺の号令と共に、四人の女性社員が一斉に動いた。現代のノウハウと、異世界の素材、そして俺の職人技を融合させる。
「ユウさん、このミスリル糸の裁断を頼みます。普通のハサミでは刃こぼれする硬さだ」
「……お任せを。社長のためなら、ドラゴンの鱗だって切り裂いてみせます」
パタンナーのユウが、普段の大人しさからは想像できない鋭い眼光で、城から借りたミスリル製の裁ちばさみを構える。
彼女の集中力は「ゾーン」に入ると人間離れする。
シュン、シュン……ッ!
目にも止まらぬ速さで、鋼鉄の糸が豆腐のように切り裂かれ、寸分の狂いもない「パーツ」へと変わっていく。
ソウイチロウの脳内にある設計図を、ユウの指先が現実へと「具現化」していく。
その阿吽の呼吸は、まさにプロ同士の共鳴だった。
「チサさん、レースの柄合わせをお願いします。この『妖精蜘蛛のレース』は熱に弱いようです。体温で馴染む性質を利用して、ドレープを作ってください」
「了解っす社長! てかこのレース、マジでキラキラしてて鬼カワなんですけど! テンション上がるわー!」
チサがギャル特有の軽いノリで、しかし天才的な色彩感覚で布地を組み合わせていく。
カオリは工程管理とミサキのサポートに回り、アトリエは熱気に包まれた。
俺自身も、袖をまくり上げて作業に没頭する。
指先が熱い。
セシリアの肌の感触――弾力、温もり、骨格の歪み――それら全てが手に残っている。
その記憶を頼りに、数ミリの誤差も許さず、布に針を通していく。
◇
窓の外が白み始めた頃。作業台の上には、それぞれ異なる輝きを放つ三着のランジェリーが並べられていた。
一着目は、「ロイヤル・サファイア」。
深い青は女王の威厳を。
ミスリル糸のフレームが、彼女を「苦痛」から救い、凜とした「強さ」を与える。
二着目は、「スノー・プリンセス」。
純白のフリルは少女の夢を。
身に着けた瞬間、重圧から解き放たれ、柔らかな雲に包まれるような「安らぎ」を与える。
そして三着目は――「ミッドナイト・テンプテーション(真夜中の誘惑)」。
肌を隠すための布ではなく、肌の白さを際立たせるための「黒」。
透けるレースの向こう側に、未知の自分を予感させる、最も「危険」で「官能的」な一着。
「……信じられない。これが、たった一晩で……?」
完成品を前に、セシリアは言葉を失っていた。
震える指先が、青いシルクに触れ、白いフリルを撫で、そして黒いレースの上で止まる。
「どれも、見たことがないほど美しい……。青は誇り高く、白は夢のように可愛く、そして黒は……」
「セシリア様。どれがお気に召しましたか?」
俺が問いかけると、彼女は潤んだ瞳で俺を見上げ、首を振った。
「選べませんわ。……これら全てが、私のための……?」
「ええ。どれも貴女の一部です。その日の気分や、会う相手に合わせて、貴女自身を選び取ってください」
セシリアは三着を愛おしそうに抱きしめると、熱い吐息を漏らした。
「ソウイチロウ様。……貴方という人は、本当に……。私の身体だけでなく、心まで見透かして……。もう、我慢できませんわ」
彼女の視線が、俺を射抜く。
「最初の『試着』は、やはり制作者である貴方に見ていただきたいの。フィッティングルームへ……来てくださいますわよね?」
部屋の隅にある衝立の奥を指差す。
その瞬間、背後から社員たちの突き刺さるような視線を感じた。
特にユウのハサミの音が「シャキン」と鳴ったのは気のせいだろうか。
だが、フィッターとして、最後の確認をする義務がある。
「もちろんです」
俺は紳士の顔で頷き、セシリアと共に衝立の奥へと消えた。
◇
外界と遮断された狭い空間。
そこには、俺とセシリア、そして立ち込める甘い香水と熱気だけがあった。
彼女は躊躇なくドレスを脱ぎ捨て、シュミーズ一枚の姿になる。
「まずは……この『ロイヤル・サファイア』からお願いしたいの」
俺は震える手を押さえ、プロとして冷静にブラジャーのホックを背中で留め、ストラップを調整した。
ミスリル糸のフレームが、彼女の肋骨に優しく、しかし強固にフィットする。
「……あっ……!」
鏡に映った自分を見て、セシリアは小さな悲鳴を上げた。
バストトップの位置が劇的に上がり、姿勢が矯正され、堂々たる女王のシルエットが完成している。
それなのに、呼吸は驚くほど楽なのだ。
「まあ……! ウエストのくびれがこんなにはっきりと……。それに、胸の位置が高くなったせいで、首筋が長く、顔周りがすっきりと見えますわ!何より苦しくない……全然苦しくないのに、背筋がスッと伸びる……。それに、胸の形が……なんて美しいの……」
彼女は自分の胸元に手を当て、陶酔したように頬を染めた。
「ねえ、ソウイチロウ様」
彼女が振り返る。
その手には、透け感のある黒いランジェリー「ミッドナイト・テンプテーション」が握られていた。
「この黒い方も……試してみたいのですけれど。これ、どうやって着けるのかしら? 紐が幾重にも交差していて、どこに足を通せばいいのか分かりませんの……手伝っていただけます?」
それは明らかな誘惑だった。
上目遣いで、白い肌を晒し、俺に迫ってくる。一国の女王を手に入れる――それは男としての本能を強烈に刺激する。
だが、ここで理性を失うのは得策ではない。
「……ええ、お手伝い致しましょう。ですが陛下」
俺は彼女の肩に触れようとした手を、寸前で止め、あくまで「着付け」の手つきで黒のレースを体に合わせた。
「職人にとって最高の『報酬』とは、自分の最高傑作を、貴女のような美しい方に完璧に着こなしていただくこと。それ以上に勝るものはありません」
「……意地悪な方。焦らされるのは……嫌いではありませんけれど」
彼女は不満げに、しかしどこか嬉しそうに唇を尖らせた。
(……危ないところだった。だが、ここで流されてはただの男だ。私はフィッター。彼女を最高に美しく装わせることが、何よりの優先事項だ)
ソウイチロウは内心の荒れを微塵も見せず、最後にフロントのレースを指先で整えた。
その無私の情熱こそが、セシリアにとって最大の「毒」となっていた。
◇
数分後。
衝立から出てきたセシリアの姿に、待機していた社員たちからも感嘆の声が漏れた。
ドレスの下に着用しているため、ランジェリーそのものは見えない。
だが、その立ち姿、自信に満ちた表情、そして内側から滲み出るような色香は、先ほどまでの疲れた少女とは別人だった。
「皆様、感謝します。この素晴らしい技術に、最大の賛辞を」
セシリアは玉座に戻るかのように椅子に座り、俺たちに向き直った。
「貴方たちに、この王都ルミナステラにおいて、店舗を構え、商売をすることを許可します。資金も、素材も、必要なだけ提供しましょう。その代わり……この『ランジェリー』、まずは王都の貴族たちの間で流行らせてちょうだい」
「ありがたき幸せ。ご期待に添えるよう尽力いたします」
「……ところで、貴方たちのギルド(社名)。『トリップ・トラップ(Trip Trap)』と言いましたわよね?」
セシリアは扇で口元を隠し、悪戯っぽく微笑んだ。
「リズミカルで、一度聞いたら耳に残る、不思議な響きですわ。『旅(Trip)』と……『罠(Trap)』。『異世界からの旅人が仕掛けた、美の罠』……。このランジェリーを身に着けた女性は、意中の男性を必ず虜にする……そんな意味が込められているのかしら?」
もともとは「旅行用(Trip)」の商品と「補整用(Trap=捕まえる)」の商品を扱うという意味だったのだが、この世界ではその解釈の方が通りがいいだろう。
「ご明察です。一度身に着ければ、もう二度と離れられない……そんな魔法のような商品を届けていきたいと考えております」
「ふふ、気に入りましたわ。その『罠』、国中に仕掛けてみなさい」
こうして、俺たちはロズタリア王国での商売のお墨付きを得た。
数日後、セシリアの厚意により、王城の敷地内にある使われていなかったゲストハウスを、俺たちの「工房兼店舗」として使えることになった。
だが、問題は山積みだ。
いくら女王が認めたとはいえ、一般の人々にとって「ランジェリー」は未知の概念。
ただ店を開いて商品を並べるだけでは、誰も「下着」にお金を払おうとはしないだろう。
「社長、どうやって広めます? ビラ配りでもします?」
新店舗の掃除をしながら、カオリが尋ねてくる。俺はほうきを手に、不敵に笑った。
「いや、言葉での説明は野暮というもの。本物の『美』は、目撃させるだけで世界を変える」
俺の脳裏には、すでにステージのライトアップと、驚愕に染まる民衆の顔が浮かんでいた。
「異世界初の『ランジェリー・ファッションショー』。……伝説の幕を上げましょう」




