第2話 女王陛下の憂鬱と、革命のランジェリー
馬車に揺られること数時間。
窓の外に、巨大な城壁に囲まれた王都「ルミナステラ」の威容が見えてきた。
活気ある市場を抜け、その奥にそびえ立つ白亜の巨城――ロズタリア王城。
王城の門をくぐり、使用人や衛兵たちが最敬礼で迎える中、同乗していた社員たち――ミサキ、カオリ、チサ、ユウの四人は、あまりのスケールに完全に絶句していた。
「しゃ、社長……。ここ、テーマパークのお城より大きいです……」
「落ち着きなさい、チサさん。我々は女王陛下の客人です。堂々としていればいいんです」
通された離宮の客間で、俺たちはセシリアとの約束通り、来ていた衣類を献上することになった。
代わりに俺にあてがわれたのは、紺色のフロックコート風の衣装。
ボタンや装飾が多いが、王宮に出入りしても恥ずかしくない最上級の仕立てだ。
そして、隣室から戻ってきた女性社員たちの姿を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「ど、どうですかね……社長。なんか、コスプレみたいで落ち着かないんですけど……」
ミサキがふわりと広がるスカートの裾をつまんで、はにかむように言う。
中世風のドレスを身にまとった彼女たちは、現代のオフィス街にいた時とはまた違う、物語の姫君のような輝きを放っていた。
(……最高だ。我が社の社員ながら、眼福すぎる)
俺の内なる煩悩が喝采を叫ぶが、表面上は紳士の仮面を崩さない。
「よく似合っていますよ。この国の貴婦人たちも裸足で逃げ出す美しさです」
「もう、社長ったら。お世辞が上手なんだから」
カオリが艶然と笑う。
◇
シャンデリアが輝くダイニングルーム。
豪奢な料理とワインを前に、ドレスアップした女王セシリアが俺たちを迎えた。
だが、俺の目は誤魔化せない。
彼女が優雅に微笑むたびに、ドレスの下で硬い革のコルセットがギチリと軋む不快な音を立てている。
(……やはり、無理をしている。呼吸が浅く、食事も喉を通っていないようだ。この国の美学は、女性に「窒息」という名の犠牲を強いているな)
セシリアは、時折、誰にも気づかれぬよう密かに小さく身じろぎをし、締め付けによる鈍痛に耐えていた。
玉座のような椅子に腰掛けた彼女は、馬車の中とは違う、統治者としての覇気を纏っている。
「あら……! 期待以上ですわね。貴方たちは、我が国の貴族よりもずっと洗練されていて、華がありますわ」
上機嫌な彼女は、ワイングラスを傾けながら単刀直入に切り出した。
「さて……『異世界』から来たというお話。実を言うと、このロズタリア王国には古くから『迷い人』の伝説がありますの。時折、別の世界から優れた知識や道具を持った人間が現れる……と」
なるほど、比較的すんなり受け入れられたのはそういう理由があったのか。
「で……ソウイチロウ様。貴方たちは元の世界ではどのようなお仕事を? ただの商人や旅人ではない雰囲気……。特に貴方からは、多くの人間を束ねてきた者の『格』を感じますわ」
試すような、しかし期待に満ちた鋭い瞳。
軍事技術か、あるいは未知の魔法か。
彼女が期待しているのはその類だろう。
俺はナプキンで口元を拭い、背筋を伸ばして答えた。
「女性用の肌着を作っておりました。 『トリップ・トラップ』という会社…、商会のようなものですかね。 私が代表で彼女たちはそれぞれの部門のスペシャリストたちです」
その瞬間。
カチャン、と乾いた音が響いた。
セシリアが、手に持っていた銀のフォークを皿の上に落としたのだ。
「……は、肌着……?」
彼女の表情が凍りつく。
明らかに「期待外れ」という色がありありと浮かんでいた。
無理もない。
この世界において肌着とは、単なる「汗止めの布」や「防寒用のズボン下」。
人に見せるものでもなければ、美を語るものでもない。
国家の益を語る場で出す話題ではないと思われたのだ。
「一国の女王たる私に、たかが肌着の話を? もっと……軍事に転用できる魔道具や、国富を増やす錬金術の話ではなく?」
失望を隠そうともしない、氷のような冷たい言葉。
場の空気が凍りつき、ミサキたちが不安げに俺を見る。
しかし、セシリアはふと、目の前に座る四人女性社員たちの美しいプロポーションに目を向け――ハッとした表情で俺を見直した。
「……待って。 先ほどの貴女たちの、あの奇妙な衣服……。体のラインが驚くほど美しく強調されていましたわね。 特に胸の形や、腰のくびれの位置が、コルセットで締め上げた不自然なものではなく、まるで『最初からそうである』かのように自然で、かつ重力に逆らっていた……。 まさか……貴方たちの世界の『肌着』には、女性の体を美しく造形する機能があるとでも?」
ここぞとばかりに、カオリが立ち上がり、優雅に一回転してみせる。
身体にフィットしたドレスの上からでも分かる、高いバスト位置、くびれたウエスト、そして丸みを帯びたヒップライン。
そして自信たっぷりに微笑みながら口を開く。
「ご明察です、セシリア様。 我が社の製品は、単なる布ではございません。これを『ランジェリー』、あるいは『ファンデーション(補整下着)』と呼びます。女性の体を最も美しく見せ、かつ、締め付けによる苦痛から解放する……。いわば『美の革命』を起こす技術の結晶なのです」
さらに、チサが身を乗り出し、自分の胸元を手のひらで示しながら力説する。
「そーゆーこと! こっちの世界のコルセットって、息できないし超痛そうじゃん? ウチの社長が作るブラジャー……あ、肌着なら、寄せて上げて谷間くっきり、なのに走れちゃうんだから! マジ神だよ?」
「マ……ジ……? カミ……? あなた、時折不思議な言葉を使いますわね。ですが……その自信、本物のようですわ」
セシリアが当惑しながらも興味を示すと、隣で無口だったユウが、すでに手元で魔法のような速さで銀の指貫と裁断鋏のチェックを終えていた。
「……いつでも、裁てます。社長の設計通りに」
その視線は、すでにセシリアのドレスの構造を解体する「職人の眼」になっていた。
畳みかけるようにミサキが落ち着いたトーンで追撃する。
「素材に関しても、シルクのような肌触りと、伸縮性を兼ね備えた特殊な繊維を用いております。 我が社の商品は、機能性だけでなく、レースや刺繍をあしらった『見えないおしゃれ』としても、多くの女性に支持されていたんですよ。立ち仕事でも疲れませんし、肩も凝らないんです」
「……っ!?」
セシリアは頬を紅潮させ、身を乗り出して声を上げる。
「『美の革命』……! 『苦痛からの解放』……! なんて甘美な響きでしょう。実は私、このガチガチのコルセットが大嫌いなのです。でも、着けないとドレスが美しく着こなせない……。ねぇ、その『ランジェリー』とやら、実物を見せてちょうだい!」
「もちろんです。ただ、彼女たちが身に着けているものをお見せすることはできるのですが、我々の作る肌着…ランジェリーと呼ばせてください。ランジェリーは、身に着ける人に合わせてひとつひとつ調整して作っています。素材さえあれば、女王陛下に相応しい至高のオーダーメイドをお作りしましょう」
「……私に、ピッタリの……『ランジェリー』……」
彼女はその言葉を口の中で転がすように呟き、うっとりと目を細めた。
「オーダーメイド」という響き、そして「私にピッタリ」という特別感は、貴族の令嬢である彼女の自尊心をこれ以上ないほど満たしたようだ。
「素晴らしいわ! その提案、乗りましてよ! 素材なら、この城に最高級のものが揃っています。『天蚕のシルク』に、『妖精蜘蛛のレース』……。市場には出回らない逸品ばかりよ。さあ、食事は後にして、すぐに衣装部屋へ行きましょう!」
セシリアは興奮気味に立ち上がると、メイドたちに指示を飛ばし、我々を広大な「衣裳部屋」へと案内した。
そこには、プロの職人が使うような足踏みミシン(魔導式かもしれない)や、色とりどりの布地、裁縫道具が完備されている。
広い作業大の上に、ミサキやカオリが手際よく、持参していた自分たちのブラジャーやショーツを広げ、構造を説明する。
「セシリア様、ご覧ください。このカップの下に入っている『ワイヤー』が胸を支え、この伸縮性のある『ストラップ』が重みを分散させるのです。従来のコルセットのように腹部を圧迫することなく、バストトップの位置を高く保つことができます」
カオリの説明を聞きながら、セシリアはブラジャーを手に取り、まじまじと観察する。
「信じられない……。こんなに軽くて、薄い布切れなのに……? この金属の輪と、複雑な裁断……。これは間違いなく、革命よ」
彼女は震える手でそれを置くと、俺に向き直った。
その瞳は、新しいドレスを前にした少女のように輝いている。
「さあ、証明して見せてちょうだい。私の体で、貴方の言う『最高のランジェリー』を作れるということを。……採寸は、ここでしますの?」
「採寸は、フィッターである私の役目です。恐れながらセシリア様。数値を測るだけでは、究極の一着は作れません。肌の質感、肉の柔らかさ、骨格のライン……それらを指先で直接確かめる『触診』が必要です。貴女の肌がどの程度の締め付けなら許容できるか、どの素材が最も肌に馴染むか。それを知るためです」
もっともらしい職人としての理屈を並べ、真剣な眼差しでセシリアに向き合う。
「……触診……。な、なるほど。最高の品を作るためには、素材を深く理解する必要がある、ということですわね。……よろしいですわ。貴方のその『職人の目』を信じましょう。さあ、好きなように確かめてちょうだい」
セシリアは少し緊張した面持ちで、しかし期待に潤んだ瞳で頷き、無防備な上半身をさらけ出した。
ドレスの紐が解かれ、豪奢な布地が床へと滑り落ちる。
露わになったのは、コルセットで締め付けた痕が痛々しくも白く残る、薄絹のような肌着一枚の姿だ。
メジャーをミサキに預け、温めた両手をセシリアの白磁のような肌へと伸ばす。
(……やはり。骨格は完璧だが、長年のコルセットによる圧迫で肋骨が不自然に内側へ押し込まれている。肺活量も落ちているはずだ。これでは、彼女の本来の輝きは半分も出ていない……。許しがたい。私が設計すべきは、内臓の自由すら守る一枚だ)
手のひらで包み込むように優しく、しかし確かな圧をかけて弾力を確かめていく。
「んっ……! あ……」
セシリアがビクッと体を震わせ、頬を一気に赤く染める。
その濃密な光景に、背後から社員たちの鋭い視線が刺さった。
「社長……。今、わずかに手のひらの感触を楽しみませんでしたか? それは本当に『職人の動き』ですか?」
ミサキが顔を真っ赤にしながら、ペンを折らんばかりの勢いでメモを取る。
その後ろでは、ユウが瞳に濁った光を宿しながらボソリと呟いた。
「……いいな。私も、社長に……解されたい」
「そ、そこまで丁寧に触られるなんて……。でも、不思議と嫌ではありませんわ。貴方の手、とても温かい……」
俺は動じることなく、アンダーバストの肋骨の形、そして背中へと手を回し、贅肉の付き具合をチェックしていく。
指先が肌に沈み込む感触。柔らかすぎず、張りがあり、まさに極上の素材だ。
「カップには少し伸縮性を持たせたほうがいい。この弾力なら、ワイヤーはソフトなものを使い、自然な丸みを強調する設計にしましょう」
そのあまりに濃密で、かつ専門的な「触診」の光景に、周りの社員たちは息を呑む。
気のせいか、殺気も感じる。
ミサキが顔を真っ赤にしながらも、必死にメモを取る。
「しゃ、社長……職人魂は素晴らしいですが、少し刺激が強すぎます……! ええと、『肌質:極上のシルクタッチ』『弾力:高反発』……き、記録しました!」
背後にいるユウはギリギリと歯ぎしりのような音を立てている。
一通りの触診と採寸を終え、手を離すと、セシリアはどこか熱っぽい吐息を漏らし、とろんとした目で俺を見上げた。
「……す、すごかったですわ……。まるで、体中の神経が貴方の指先を求めているような……。これが、異世界の『技術』なのですわね……」
彼女は完全に俺の虜――もとい、俺の技術に心酔したようだ。
「さあ、素材は全て揃っています。この屋敷の職人たちも自由に使って構いません。 ……私を生まれ変わらせる『魔法の肌着』、完成させてくださいますわよね?」
「では……始めましょう。チサさん、デザイン案の構成を。ユウさん、採寸データから型紙の作成に入ってください。カオリさんとミサキさんは、王宮にある素材の選別と、ミシン……魔導ミシンでしたか、その動作確認をお願いします」
俺の号令に、四人の精鋭たちが一斉に動き出す。
異世界の最高級素材を、現代日本の最高の技術で調理する。
作業台に向かう俺の脳裏には、すでに完成図が見えていた。
セシリア王女が、今までの自分を「不自由」だと笑い飛ばすほどの、究極の「ブラジャー」が――。
異世界に、初めての「快楽」が舞い降りようとしていた。




