第27話 指導主任の坐骨神経痛と、カオリの悪魔的掌握
――バァァァンッ!!
静寂を破り、蝶番が軋むほどの勢いで保健室の扉が蹴破られた。
夕暮れの薄暗い廊下を背負い、鬼のような形相で立ち塞がっていたのは、生活指導主任のガートルードだった。
分厚い丸眼鏡の奥の目を吊り上げ、手にした教鞭を震わせている。
「そこまでですわ、不届き者どもッ! 放課後の保健室に鍵もかけず、生徒を誑かして密会とは……な、何を――っ!?」
ガートルードの怒鳴り声が、突如として喉の奥で引き攣った。
彼女の視界に飛び込んできたのは、ベッドの上で白ウールローブを脱ぎ捨て、薄絹のシュミーズ一枚で上気した頬を染めるセレスティーナの姿だった。
解き放たれた豊かなバストの弾力、赤く染まったデコルテ、そして熱い吐息を漏らしながら私の白衣にすがりつく生徒会長――。
「セ、セレスティーナ様……!? な、何という破廉恥な……っ! 当学院の誇り高き生徒会長が、伝統のローブを脱ぎ捨て、肌を晒すなど……ッ!」
「ひっ……!」
セレスティーナが小さく悲鳴を上げ、恥辱に震えて身を縮こまらせた。
ガートルードは激昂し、教鞭を振り上げてベッドへと詰め寄ってくる。
「貴女ほどの至宝が、このような平民上がりの臨時職員に毒されるとは! 即座に服を着なさい! そしてカオリ先生、貴女は即刻解雇――」
「――静かになさい」
私はセレスティーナの前に音もなく立ち塞がり、氷のように冷ややかな声で遮った。
タイトスカートから伸びる脚を一歩踏み出し、ガートルードを見据える。
「ここは私の管轄する医務室です。病み上がりの生徒に対し、怒声を浴びせるなど教育者として言語道断。……少し頭を冷やしてはいかが、ガートルード先生?」
「なっ……! 平民の分際で、この私に説教をする気ですか!? 理事長に報告し、貴女もあの編入生も、今すぐこの学院から叩き出して――」
喚き散らすガートルード。
その瞬間、私の身体の奥底で、何かが静かに『カチリ』と音を立てて噛み合った。
(……え? 何ですの、これは……?)
不思議な感覚だった。
怒鳴り声を上げる彼女の姿が、まるでスローモーションのように見え始める。
眉間の微かな痙攣、右腰を庇うように僅かに傾いた重心、そして喉元まで詰まった重いローブの下で、長年抑圧され続けてきた『焦燥』と『嫉妬』と『渇き』――。
これまで培ってきた人間観察の経験が、突如として、全身を駆け巡る未知の『熱』と同調し始めたのだ。
胸の奥から、深く澄み渡った【青い熱感】のようなものが滾々と湧き上がる。
それは外へと吹き荒れるのではなく、私自身の内側で渦を巻き、思考の回転速度を極限まで加速させていく感覚だった。
(……頭が冴え渡りますわ。相手が何を恐れ、何を望み、どこを突けば心を許すのか……手に取るように『視える』……そんな気がします)
ギルドでの適性診断すらまだ受けていない私には、この力の実態も、どんな名前の魔術なのかも分からない。
けれど、数々の修羅場をくぐり抜けてきた私の本能が、この『直感の研ぎ澄まされ方』を、最高の武器として使いこなす方法を瞬時に導き出していた。
「ふふ……」
私は妖艶に目を細め、ゆっくりと髪をかき上げた。
指先を滑らせ、白衣の胸元を僅かに緩める。
大人の香水の甘い香りと、無意識に漏れ出た濃密な気配が、保健室の空気を静かに支配していく。
「ガートルード先生。……貴女、本当にお可哀想な方ですわね」
「な、何だと……?」
私の放つ圧倒的な空気感に圧されたのか、ガートルードが一歩後ずさった。
私は逃げ場を塞ぐように、優雅な足取りで彼女の至近距離へと間合いを詰める。
「三十年以上、伝統という名の檻に自らを縛り付け、清廉潔白を演じてこられたのでしょう? ……けれどそのお身体、もう限界なのではありませんか?」
「な、何を根拠のない出鱈目を――」
「出鱈目かしら?」
私はそっと手を伸ばし、ガートルードの右肩――そして腰の付け根のツボを、指先でピンポイントに突いた。
「ひゃぅっ!?」
鋭い刺激に、厳格な指導主任の口から情けない悲鳴が漏れる。
「サイズの合わない硬いコルセットで骨盤を圧迫し続けたせいで、慢性的な座骨神経痛と血行不良を起こしている。……夜、ベッドに入っても腰の激痛で一睡もできない日々が、もう何年も続いているはずですわ」
「な……ぜ……」
「さらに、首元まで覆うウールの熱気による肌荒れと、更年期特有の冷え。……誰にも弱音を吐けず、若い生徒たちの瑞々しさに嫉妬しながら、厳罰を与えることでしか己の尊厳を保てない……。違いますこと?」
ガートルードの顔から血の気が引いていく。
私は彼女の耳元へと唇を寄せ、吐息混じりに甘く囁いた。
「私は貴女を責めているのではありませんのよ。……むしろ、これほど過酷な痛みに耐えながら学院を守ってこられた貴女の献身を、心からお労わりしたいのですわ」
「わ、私を……?」
「ええ。伝統を守ることと、貴女自身が苦痛に喘ぐことは別問題です。……セレスティーナ様を罰する前に、まずは貴女ご自身のその痛みを、私の手で解き放ってみませんか?」
私の指先が、ガートルードのこめかみから項へと優しく滑り落ちる。
研ぎ澄まされた私の言葉と手の温もりが、彼女の頑なな警戒心をトロトロに溶かし、隠されていた『誰かに助けてほしい』という本音を抉り出していく。
「あ……ぁ……っ」
ガートルードの教鞭が、力なく床へと転がり落ちた。
厳格だった女性教師の瞳が、救いを求める少女のように潤んでいく。
「……明日の放課後、人目を忍んでここへいらっしゃい。貴女専用の特別な補整インナーと、至福のマッサージをご用意してお待ちしておりますわ。……このお話、理事長には秘密の『私たちだけの約束』にいたしましょう?」
「は、はい……っ。参ります……必ず……っ」
ガートルードは真っ赤になった顔を手で覆い、逃げるように保健室を後にした。
完全なる論破、そして手玉への掌握。
「す、すごい……。あのガートルード先生が……」
ベッドの上で一部始終を見ていたセレスティーナが、感嘆と畏怖の入り混じった眼差しで私を見上げていた。
私は彼女に向き直り、極上の笑みを浮かべて頭を優しく撫でてあげた。
「ふふ、怖がらせてごめんなさいね。もう大丈夫よ、セレスティーナ様」
「カオリ先生……私、決めましたわ」
セレスティーナは私の手をぎゅっと握りしめ、強い決意を込めて瞳を輝かせた。
「私、貴女たちを信じます。あのチサが着ていた新しい制服と、貴女の言う新しい下着……。我がシルフィード公爵家の名にかけて、生徒会主導で全校生徒への導入を後押しいたしますわ!」
「まあ……! 心強いお言葉、感謝いたしますわ」
生徒たちのリアルな悩み、筆頭令嬢の完全な後ろ盾、そして保守派教員の急所。
すべてが完璧に揃った。
(……それにしても、さっきのあの不思議な感覚は何だったのかしら。まるで、相手の心の奥底にある欲望が、波紋のように私の頭へ流れ込んできたような……)
自分の手のひらを見つめ、小さく首を傾げる。
ミサキやユウが言っていた『ジョブ』や『適性』というものに、私も少しだけ近づいたのかもしれない。
王都へ戻ったら、今度こそギルドへ行って診断してもらわなくては。
◇
その夜、私は保健室のデスクから、王都本店で待つソウイチロウ社長へ向けて、暗号化された通信魔導書を開いた。
昼間にチサが集めたデザイン要望、そして私が集めた数百名分の採寸データと心理カルテを、余すところなく送信する。
『――社長。現場のデータと乙女たちの本音、そして学院の急所はすべて掌握いたしましたわ。……さあ、世界を変える至高の「スクール・インナー」と「新制服」、仕立てていただきましょうか』
ペンを置いた私の口元には、百戦錬磨のプランナーとしての、そして自分の中に芽生えた新たな力への期待を込めた、不敵な笑みが浮かんでいた。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!
「続きが気になる!」「面白かった!」と思っていただけましたら、
すぐ下の【いいね!】ボタンや、★で応援していただけますと、執筆の大きな励みになります!
また、【ブックマーク登録】をしていただけますと、次話の更新通知が届くようになります。
今後とも『トリップ・トラップ』の活躍をよろしくお願いいたします!




