第23話 特製眼鏡ストラップと、名門女学院の密命
北の軍事大国ヴォルガに打ち立てられた『アイゼンガルド第一工場』。
黒革のボンテージに身を包んだ若き現場監督フリーダによる、愛のムチと罵声の支配――通称『健全なる奴隷工場』システムは、女帝ヒルダ陛下の絶賛を浴び、その後も一切のトラブルなく爆発的な稼働を続けていた。
恐怖と快楽のハイブリッドによって覚醒した現地の筋骨隆々な職人たちは、もはや「フリーダ様に罵られたい」という一心で、通常の三倍を超えるスピードで魔導ミシンを回し続けている。
男尊女卑の激しかった軍需物資統括ギルド『黒鉄の顎』の長ガストンも、孫娘のドSな才能となめし革の新たな可能性に涙を流して感涙し、今やトリップ・トラップ社の最高顧問として、現場への熱血指導に励んでいるという。
かくして、ヴォルガ帝国軍全女性士官への軍用インナー『戦乙女の抱擁』の配備は、当初の予想を遥かに上回るペースで完了しつつあった。
◇
「――というわけで社長。こちらが、今回のヴォルガ帝国遠征における最終収支報告書になりますわ」
ロズタリア王都へと戻る特注の高級馬車の中。
向かいの座席に腰掛けるカオリが、分厚い羊皮紙の帳簿を「パチン」と小気味よい音を立てて指先で弾いた。
タイトなスーツジャケットの胸元をわずかに緩め、艶やかな髪をかき上げるその表情は、百戦錬磨のキャリアウーマンとしての自信と、抑えきれない笑みに満ちちている。
「帝国軍需予算からの一括前払金、およびヒルダ陛下からの特別報奨金……。さらに、ガストン様の工房と共同開発したレザー製品の先行ロイヤリティを含めまして――純利益は、我が社の設立以来の最高額を更新いたしました」
カオリが差し出してきた羊皮紙の末尾。
そこに記された桁外れの数字を見た瞬間、紳士の仮面を被った俺の頬も、思わず引き攣りそうになった。
白金貨と大金貨がびっしりと並んだその額は、ロズタリア王都の一等地に豪邸が十軒以上建ち並ぶほどだ。
「……素晴らしい成果ですね、カオリさん。これで当面の素材仕入れと新製品開発の予算は、文字通り天井知らずというわけですか」
「ええ、まさに! アラクネの最高級シルクも、ミスリル鉱石も、スライムゲルも、欲しい素材は世界中から好きなだけ買い占められますわ。……ふふっ、これだから優秀な社長とお仕事をするのはやめられませんこと」
カオリは妖艶に目を細め、上体を乗り出して俺の耳元へと顔を寄せた。
馬車の揺れに合わせて、彼女の豊かな胸元がふわりと揺れ、大人の香水の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
(……ふむ。莫大な富を得ても驕らず、即座に次の投資先を計算するこの手腕。さすがは元大手広告代理店の敏腕プランナーだ。そして何より、利益の確定に興奮して上気した彼女のデコルテの血色感……職人として、実に健康で美しい張りだと賞賛せざるを得ないな)
経営者としての満足感を噛み締めながら、俺は静かにコーヒーカップを傾けた。
「皆さんの尽力のおかげですよ。……ですが、我々の本質はあくまで下着メーカー。どれほど金が唸ろうとも、すべては世界中の女性たちを窮屈な呪縛から『解放』するために使わねばなりませんね」
「ええ、もちろんですわ。……社長のそのブレない職人魂、心から尊敬しております」
カオリがうっとりと潤んだ瞳で俺を見つめ直した、その時だった。
「……っ、うぅ……」
カオリとの景気のいいやり取りの陰で、隣の座席に縮こまっていたミサキが、分厚い業務手帳で顔をすっぽりと隠しながら、消え入りそうな呻き声を漏らした。
アイゼンガルド工場の作業場で眼鏡を飛ばし、リミッターが解除されたあの瞬間――【絶対平穏の聖域】を発動して作業員たちをゴミ虫呼ばわりした記憶が、鮮明に脳裏へ蘇っているのだろう。
手帳の隙間から覗く耳たぶは、これ以上ないほど真っ赤に熟れきっている。
「社長……先日の私の大暴走、どうか……どうかお忘れください……。あの時の私は、その……世界の歪みを正そうとする魔力に当てられて、少々錯乱していただけでして……」
「忘れる必要などありませんよ、ミサキさん」
俺は優しく微笑み、内ポケットから小さな細工箱を取り出して、彼女の膝元へと差し出した。
「え……?」
「アイゼンガルドの工房で、ユウさんに頼んで少し加工してもらったのです。ミスリル・スパイダーの極細糸と、微小な魔導水晶を編み込んだ『特製眼鏡ストラップ』ですよ」
箱を開けると、月光のように繊細な銀の鎖が、上品な輝きを放っていた。
「眼鏡のテンプルに装着しておけば、不意の衝撃でも顔から落ちることはありません。……眼鏡を外した際の貴女の圧倒的な気高さも実に魅力的でしたが、あの全能感に身を委ね続けるのは、精神的にも負担が大きいはず。秘書としての貴女の穏やかな日常を守るためにも、使っていただけますか?」
「しゃ、社長……っ」
ミサキは手帳を下ろし、潤んだ瞳で銀のストラップを見つめた。
震える手でそれを受け取り、自身の眼鏡へと取り付けると、胸元を押さえて熱い吐息を漏らす。
「ありがとうございます……! 一生、大切にいたしますわ。この眼鏡とストラップがある限り、私はどこまでも社長にお仕えいたします……っ」
知的な秘書の殻が完全に溶け落ち、潤んだ瞳で純度百パーセントの好意を向けてくる。
そんな甘酸っぱい空気が馬車内に満ちた、まさにその時だった。
「――ちょぉぉっと待ったぁぁぁ!!」
バンッ、と座席のクッションを叩いて立ち上がったのはチサだった。
おへそを出したいつものキャミソール姿で、頬をリスのようにパンパンに膨らませ、俺とミサキの間に強引に割り込んでくる。
「何その激甘な空気! ミサキちゃんばっかり社長にプレゼント貰って、イチャイチャしてズルいんだけど! あたしなんてヴォルガで凍え死にそうになっただけなんだけど!?」
「チサさん、座りなさい。馬車が揺れて危険ですわ」
「危険なのはミサキちゃんの抜け駆けっぷりだし! てかさー、ヴォルガじゃユウちゃんもミシン直して社長に頭ポンポンされてたし! ウチとカオリさんだけ完全に蚊帳の外じゃん!」
チサが不満たらたらに唇を尖らせると、ユウが胸元で愛用のハサミを抱きしめたまま、小さく「……ポンポン、された。……あったかかった」と無表情のまま誇らしげに呟き、さらにチサの火に油を注ぐ。
「ほら見ろ! マウント取ってきた! カオリさんもなんか言ってやってよ!」
チサに話を振られたカオリは、やれやれと肩をすくめつつも、脚を組み替えて妖艶な笑みを浮かべた。
スリットから覗く滑らかなストッキングの脚線美が、馬車内の視線を奪う。
「ふふ、チサの言う通りですわね。ユウは『魔導機工師』、ミサキは『調律師』と、二人とも立派なジョブを手に入れて大活躍……。それに引き換え、私とチサはまだ正式な適性診断すらお預けのまま。……社長? そろそろ私たち二人にも、特別な『ご褒美』や手取り足取りのケアをいただかないと、へそを曲げてしまいますわよ?」
上目遣いでじっと見つめてくるカオリの蠱惑的な瞳と、すがりつくように腕を引いてくるチサの柔らかな胸の感触。
反対側では、眼鏡を直したミサキが「抜け駆けは許しません」と手帳を構え、ユウがじっとハサミを鳴らしている。
(……やれやれ。社員全員のモチベーションと美意識が極めて高いのは経営者として喜ばしい限りだが、この密室空間での熱気は、少々心臓に毒だな)
俺の心の中の「おっさん」が嬉し涙を流しながら平伏する中、馬車が速度を落とし、ロズタリア王都ルミナステラの白亜の巨城が車窓いっぱいに広がった。
「お二人へのフォローも、決して忘れてはいませんよ。……ですが、まずはセシリア陛下への凱旋報告が先決です。ロズタリア本国での体制を整え次第、お二人の適性についてもじっくりと向き合いましょう」
「……『じっくり』、ですね? 約束ですからね、社長♡」
カオリが艶然と微笑み、チサが「言った言わないはナシっすよ!」と指を突きつける。
こうして一行を乗せた馬車は、熱狂冷めやらぬままロズタリア王城の門をくぐっていった。
◇
白亜の巨塔が青空を突き刺すようにそびえ立つ、ロズタリア王城。
謁見の間へ通された俺たちを出迎えたのは、玉座に深く腰掛けたロズタリア王国の若き君主――セシリア・エステル・ロズタリアだった。
金糸の刺繍が施された豪奢なドレスを纏い、頭上には翡翠のティアラが輝いている。
だが、その座り姿は以前のような「息苦しさに耐える少女」のものではない。
ドレスの下に身に着けた『ロイヤル・サファイア』が彼女の姿勢を完璧に支え、バストトップの位置を高く保っているおかげで、一挙手一投足に凛とした女王の威厳と優雅さが宿っていた。
「ごきげんよう、ソウイチロウ。……そして、トリップ・トラップの皆さん。無事の帰還を心から歓迎しますわ」
翡翠色の瞳を細め、セシリアが柔らかな笑みを浮かべる。
俺は一歩前へ進み出て、胸に手を当てて優雅に一礼した。
「お久しぶりにございます、セシリア陛下。アイゼンガルド工場における全工程の立ち上げ、およびヴォルガ帝国軍への正式配備の契約締結――無事に完了いたしました」
「ええ、ヒルダからの親書で既に報告は受けていますわ。……ふふっ、あの冷徹を絵に描いたような『氷の女帝』が、手紙の中で貴方たちの技術をこれでもかと絶賛していたのよ? 『我が軍の士官たちは、もはや貴国のインナーなしでは剣を握れぬ身体となった』……ですって」
セシリアは悪戯っぽく口元を扇で隠し、鈴を転がすような声で笑った。
「長年、我が国を脅かしてきた北の軍事大国を手玉に取り、刃を交えるどころか、下着一枚で骨抜きにしてしまうなんて……。相変わらず、貴方は恐ろしい殿方ですわね」
「恐縮です。ですが、手玉に取ったなどと滅相もございません。私はただ、過酷な軍務に身を置く女性士官たちの『苦痛』を取り除き、本来あるべき美しい姿へ調律しただけにすぎませんよ」
「その『ただの仕事』が、両国の冷戦を完全に終わらせ、我が国に莫大な経済的利益をもたらしているのですけれどね」
セシリアは満足げに頷くと、玉座からすんなりと立ち上がり、従者たちを下がらせて俺の前へと歩み寄ってきた。
歩くたびに微かに香る、上品な白薔薇の香水。
彼女は周囲の目を気にすることなく、俺の至近距離で立ち止まり、上目遣いでじっと見つめてくる。
「……ところで、ソウイチロウ。北の地で、よその女帝や無骨な職人娘たちの身体ばかり見ていたのでしょう? おかげで私は、貴方の『定期メンテナンス』をずっとお預けにされて、肩も腰もすっかり凝ってしまいましたわ」
「おや……それは申し訳ないことをいたしました。陛下のお身体を損ねては、職人として万死に値します」
「ふふ、口が上手いですこと。……後でたっぷりと、その指先で解きほぐしていただきますからね?」
女王としての威厳の裏に覗く、一人の可憐な女性としての甘えた眼差し。
その艶やかな視線を受け止めながら、俺の心の中の「おっさん」は(一国の女王にここまで信頼されるとは、職人冥利に尽きるな……)と深く合掌するのだった。
一息ついて、セシリアは居住まいを正し、少しだけ真剣な表情を浮かべて俺に向き直った。
「さて……ソウイチロウ。極寒の地から戻ったばかりの貴方に、息をつく暇も与えず申し訳ないのだけれど……。実は、貴方にどうしても力を貸してほしい『厄介な案件』があるのです」
「……厄介な案件、でございますか?」
「ええ。我が国の未来を担う乙女たちが集う場所――『王立ルミナス貴族女学院』についてのお話ですわ」
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます!
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今後とも『トリップ・トラップ』の活躍をよろしくお願いいたします!




