第11話 女郎蜘蛛の誘惑と、純白のウェディング
聖教会が『イノセント・ホワイト』を認めたことによる影響は、予想以上に大きかった。
単なる流行ではなく、王都の女性たちの美意識そのものが一段階引き上げられたのだ。肌を露出せずとも、内側から姿勢を正し、見えない部分に気を遣うことこそが「高貴な美」である――そんな意識が、貴族から庶民へと浸透し始めていた。
ある日、俺は教会のソフィアへ商品のメンテナンス(という名のマッサージ)に訪れた際、大聖堂で行われていた「結婚式」を遠目に眺める機会があった。
だが、それは俺の知る結婚式とは程遠いものだった。
薄暗い祭壇の前で、普段着より少し上等なローブを着た男女が、神官の前で誓約書にサインをする。
最後に聖水をかけられ、淡々と終了する。
そこに「人生の晴れ舞台」という高揚感は微塵もなかった。
店に戻った俺は、淹れてもらったコーヒーを一口啜り、何気ない調子で切り出した。
「……カオリさん。次は『ブライダル』という市場を開拓する、というのはどうでしょうか」
「ブライダル? 結婚式のことですか?」
カオリが書類から顔を上げる。
「ええ。先ほど教会の式を見てきましたが、あまりに事務的でした。一生に一度の契約の儀にしては、装いも演出も寂しすぎます」
俺はテーブルに、簡単なデッサンを広げた。
それは、純白のレースとシルクをふんだんに使った、ボリュームのある「ウェディング・ドレス」。そして、その下に着用する、ボディラインを極限まで美しく見せるための「ブライダル・インナー」だ。
「この世界にはまだ、花嫁が主役になるための『特別な衣装』が存在しません。 もし、このドレスとインナーをセットで提案できれば……それは新たな文化まで生むことになると思いませんか?」
「……なるほど。確かに、今の美意識が高まった王都の女性なら、この『主役感』には飛びつくかもしれません」
カオリの目が、商売人の色に変わる。
だが、すぐに眉を寄せた。
「でも社長。衣装だけ豪華でも、地味な儀式の中じゃ浮いちゃいますよ。それこそ、式全体の雰囲気作りから変えないと」
「おっしゃる通りです。ですから、協力者を探しましょう」
俺は指を折って数えた。
「まず、空間を彩る『花』。これはリリさんに頼めばいい。次に、薄暗い聖堂を幻想的に照らす『光』。これは……錬金術ギルドに、色の変わるキャンドルや発光液の開発を依頼できるでしょう」
「あと、料理も必要ですね。式の後の食事が堅いパンとスープじゃ興醒めです」
「ええ。腕は確かだが、今の仕事に満足していないような料理人がいるといいのですが…」
「そういえば、以前、庶民が多い食堂で食事をした時、あまりに美味しかったので料理人の顔が見たくて厨房から出てきてもらったのですが、その殿方と話をした時に、『客が求めているのは質より量だ』って腐っていました。彼、ジャンさんなら、もしかしたらこの話に乗ってくるかもしれません」
「いいですね。彼らを巻き込んで、新しい文化ごと商品を売り込みましょう」
構想は固まった。
だが、肝心の商品――「至高のドレス」を作るためには、現在の素材では不十分だ。
俺が求めるのは、ガラスのような透明感と、鋼のような強度を併せ持つ、幻の絹糸。
俺はその答えを持っていた。
以前、服飾ギルドの資料室を使わせてもらっていた時に資料に載っていた素材だ。
「ユウさん、チサさん。少し遠出をしますよ」
「え、どこへですか?」
「『迷わずの森』です。そこに住む主から、少しばかり糸を分けていただこうと思いましてね」
俺が涼しい顔で告げると、二人の顔が引きつった。
そこは、熟練の冒険者すら忌避する、凶悪な魔物の巣窟だったからだ。
鬱蒼と茂る『迷わずの森』。
太陽の光すら届かないその場所は、湿気と、魔物が張り巡らせた粘着質な糸に支配されていた。
「うげぇ……マジ最悪。泥でブーツ汚れるし、なんかネバネバするし……」
「……社長、足を取られそうです。手をつないでいただけませんか?」
文句を垂れるチサと、理由をつけて俺の手を握ろうとするユウ。
俺たちは慎重に森の奥へと進んでいた。
狙いは森の主、アラクネ・クイーン。
だが、その眷属たちが仕掛けた罠が厄介だ。
ビチャッ、という湿った音が響いた。
「きゃっ!?」
「くっ……!」
上空から降り注いだ粘液状の糸が、チサとユウを捕らえた。
それは生き物のように収縮し、二人の手足を拘束し、衣服にへばりつく。
「これは『捕縛粘糸』ですね。動けば動くほど食い込み、獲物を弱らせる性質があります」
「解説してないで助けてくださいよぉ!なんかこれ、服の中にまで入ってきて……んっ!?」
「……社長、動けません」
俺は冷静に二人に近づいた。
この糸は刃物では切れない。
特定の「ツボ」を押して魔力を散らすか、特殊な溶剤で溶かすしかない。
あいにく溶剤はない。
ならば、手で解くしかない。
「動かないでください。私が直接、除去します」
俺はまず、チサの背後に回った。
粘糸は彼女の太ももから腰、そして胸元へと絡みついている。
「し、社長? 手つきが……っ!」
「糸の結節点を探しているだけです。……ここですね」
俺の指が、チサの太ももの内側――きわどいラインを這う。
俺の指先が、糸の魔力供給点をピンポイントで揉みほぐす。
「あ、んっ……! そこ、弱いの……っ!」
「我慢してください。ここを解かないと、血流が止まりますよ」
俺はさらに、胸元に食い込んだ糸に指を潜り込ませた。
柔らかい感触と、糸の硬質な感触。
その境界を指先でなぞり、弾く。
「こ、怖いのに……社長の指が気持ちよくて……頭がおかしくなりそう……っ!」
チサが力なく俺に寄りかかる。
糸はパラパラと解け落ちたが、彼女の顔は熟した果実のように赤く、目は潤んでいた。
次はユウだ。
彼女の場合、背中から脇にかけて拘束されている。
「……社長。お願いします。入念に」
俺は彼女を抱きすくめるような体勢で、背中の糸に指を這わせた。
敏感な脇の下、そしてブラジャーのホック付近。
俺の指が動くたび、普段は無表情なユウが、小さく背中を震わせ、甘い吐息を漏らす。
「ん……社長の指……熱い……」
「リラックスしてください。……よし、取れました」
二人の拘束を解き終えた頃には、森の湿気も相まって、妙に艶めかしい空気が流れていた。
野外、そして魔物の森という非日常感が、彼女たちの理性を少しだけ溶かしているようだ。
「社長……まだ、少しベタベタします。……拭いてくれませんか?」
「ちょ、ユウちゃん抜け駆け禁止! ウチも!」
二人が俺に迫ろうとした、その時だった。
ズズズズ……ッ!
地響きと共に、巨大な影が頭上から降りてきた。八本の長い脚が岩肌を掴み、その重圧だけで周囲の空気がひりついた。
現れたのは、上半身は目を剥くほど艶麗な女性、下半身は禍々しくも巨大な蜘蛛の姿をした森の主――アラクネ・クイーンだ。
彼女は鋭い前脚を鎌のように振り上げ、鈴を鳴らすような、しかし怒りに震える声で告げた。
「愚かな人間共……。我が糸の罠に掛かりながら、あさましくも肌を寄せ合うか。この森を侵した罪、その命で購うが良い」
その声には、深い知性と、それ以上に耐え難い「苦痛」が混じっていた。
チサとユウが身構える中、俺は彼女の言葉を真っ向から受け止め、一歩前に出た。
「……なるほど。美しい声だ。ですが、その声の震え……貴女、相当な痛みを隠していますね?」
「……何だと? 死にゆく者の世迷言か」
アラクネの複眼が、不快げに細められる。
俺は臆することなく、彼女の異形の下半身――特に不自然に膨張し、熱を持っている排出口の周辺を指差した。
「強がっても無駄です。その身体の歪み……溜まりに溜まった『糸』が、内側から貴女の神経を焼き、循環を止めている。それは怒りではない。悲鳴ですよ、レディ」
「貴様……なぜ、それを……ッ!?」
彼女の余裕が崩れた。
この病は、高品質な糸を生成できるアラクネの王族のみが陥る「栄光の呪い」。
俺は両手を広げ、彼女の懐へと歩み寄る。
「私には見えます。貴女ほどの完成された造形が、手入れ不足という一点において崩壊しようとしている。……職人として、これほど不快な光景はありません」
「寄るな……! 我が急所に触れる者は、誰であろうと――」
「黙って私に委ねなさい。その『呪い』、私の指先が解いて差し上げます」
俺の瞳に宿る、逃げ場のない「職人の狂気」に押されたのか。
アラクネは一瞬、攻撃の手を止めた。
その隙を逃さず、俺は彼女の巨大な腹部に、温めた両手をピタリと添えた。
「ギ、ギィ……ッ!? な、何を……温かい、指が……」
「ここですね……。ああ、酷い。これでは満足に歩くことすら辛かったはずだ」
俺は全身の体重を指先に集中させ、鋼鉄の甲殻を透過して、内部の凝り固まった分泌腺に直接アクセスした。
「あ、ぁぁ……っ♡ そこ、は……我の……っ。やめ……離せ……ッ」
「いいえ、離しません。……さあ、受け入れなさい。貴女の身体が、これほどまでに『解放』を求めているのだから」
ゴリッ、と深部の塊を指先で粉砕した瞬間、アラクネの身体が大きく跳ねた。
殺意に満ちていた声は、次第に甘い旋律を帯びた喘ぎへと変わっていく。
「ア……ッ、あぁぁ! 熱い……何かが、突き抜けて……! 我の……我の理性が、溶けて……っ♡」
「そうです。詰まっていたものが流れていく感覚……。さあ、全てを出し切りなさい!」
「アアアアアンッ!!♡」
絶叫と共に、彼女の身が大きくのけぞる。
次の瞬間、堰を切ったように、真珠の輝きを持つ純白の糸が溢れ出した。
ダイヤモンドのように硬質で、月光のように透き通る究極の素材。
出し切ったアラクネは、恍惚とした表情で地面にへたり込み、荒い息を吐いていた。
彼女は潤んだ瞳で俺を見上げると、先ほどの威厳はどこへやら、一人の恋する乙女のような声音で囁いた。
「……信じられぬ。この我を、指先一つでこれほどまでに……。貴様、一体、何者だ?」
「ただの下着職人ですよ。……さて、この素晴らしい糸、ブライダルのために少しばかり頂戴しても?」
「ふふ……。好きなだけ持っていくが良い。……その代わり、また必ず来い。我が身体が……また『滞って』しまったら、その時は……」
彼女は長い前脚で自らの頬を隠し、熱っぽい視線を俺に絡ませた。
どうやら、森の女王は俺の「技術」の虜になってしまったようだ。
「……社長。魔物までタラし込むなんて、もう人間じゃないっすね」
「この光景、誰にも言えないわ……」
ドン引きするチサとユウ。
だが、目的は達成された。俺たちはアラクネ・クイーンが吐き出した最高級の糸を回収し、意気揚々と王都へ帰還した。
◇
新素材を手に入れた俺たちは、直ちに制作に取り掛かった。
そして数週間後。
王都の大聖堂には、噂を聞きつけた多くの貴族が集まっていた。
俺たちが仕掛ける、異世界初の「ブライダル・ショー」の幕開けだ。
パイプオルガンの荘厳な音色が響く中、扉が開く。
「……おおっ!」
参列者たちが一斉にどよめいた。
そこに現れたのは、これまでの「ローブ」という常識を覆す、純白のドレスを纏ったモデルたちだった。
アラクネの糸で織り上げられた生地は、空気のように軽く、ふわりと広がる。
その下には、計算し尽くされたブライダル・インナーが着用され、女性たちのくびれを極限まで美しく見せていた。
背中が大胆に開いたドレスでありながら、バストは決して下がることなく、むしろ重力から解放されたかのように上向きに保たれている。
これぞ、特殊なボーン配置によるインナーの魔術だ。
手には、リリが用意した色鮮やかなブーケ。
祭壇の周りには、錬金術ギルドが開発した、七色に輝くキャンドルが幻想的な光を放っている。
それはただの火ではなく、花嫁の感情に合わせて色を変える魔法の火だ。
そして式の最後には、あの「腐っていた料理人」が腕を振るった、高さ1メートルにも及ぶ巨大なウェディング・ケーキが登場し、会場のボルテージは最高潮に達した。
「俺の料理を、これほど輝かせてくれる舞台があるなんて!」
ケーキや料理を作った料理人のジャンが涙を我慢しながら驚嘆している。
「なんて美しい……」
「私も、あんな式を挙げたい!」
「あのドレスを着れるなら、もう一度結婚してもいいわ!」
貴族の令嬢たちが、熱狂的な眼差しを送る。
地味な契約の儀式が、女性たちが夢見る「最高の晴れ舞台」へと変わった瞬間だった。
ショーの成功を見届けた俺は、会場の隅でカオリと共にグラスを傾けた。
「大成功ですね、社長。すでに予約が殺到しています。……ドレスも、インナーも、そして『式そのもの』のプロデュース依頼も」
「ええ。これでまた一つ、この世界の女性たちに『夢』を提供できましたね」
だが、この成功がまた新たな――そして少し特殊な客を呼び寄せることになる。
魔王討伐の旅を続ける、あの「勇者一行」の耳にも、この噂が届いていたのだ。




