救世主は天使様、と言う名の暴君について。
「……はー……」
大丈夫。飛行術だけならそれほど魔力は使わない。
ここにくるまで大分、魔力は削ったけど……。 あと少しくらいなら大丈夫。頑張れ、私。
世紀の大魔法使いになる予定なんでしょう。
それなのに、こんなことでへばるだなんて、それこそあり得ない。
だから大丈夫、大丈夫だ。
「……っ、私は、強いんだから……」
「え……?」
呟くように告げた私をルスエルが見上げる。そんな彼に向かって防護魔法をかけた。
「ルスエル様、雨除けの魔法をかけておきます。しっかり掴まって、絶対に手を離さないでくださいね」
「は、はい……っ」
ぎゅっとしがみつくその身体を抱き締めるようにして箒を握り直すと、枯れ木の中で微かに揺らめいていた火が消えた。
飛び上がって、外に出る。すると雨風に強く煽られそうになったけれど、私は歯を食いしばって、さらに高度を上げた。
ぽたぽたと血が滴っていく。それに気づかないふりをしながら、私は真っすぐと城を目指して飛び続けた。
「っる、るーな、せんせい……っ」
ルスエルが私の顔色に気づいて、涙を滲ませている。
「っ、きにしないで、私にしがみついてるだけでいいですから」
急げ、とにかく。
城まで行くことができれば……。
暫く飛んでいくと、近い場所に城の離れが見えた。
ソルフィナのいる場所だ。
急いでその窓の近くのベランダまで降り立って、「ソルフィナ様! いらっしゃいますか!」とガラスを叩いた。
「何、うるっさいな……! って、あれ、ウニ先生? と、ルス!?」
急ぐようにしてがらっと開いた窓。
ソルフィナの金色の髪が見えた時、私はほっとした気分になった。
「なんだよ、二人してびしょ濡……」
「ソルフィナ様、すみません。時間がないので、手短に話しますが、ルスエル様の身体が冷え切って衰弱しています。医務室に連れて行って、出来るだけ身体を温めるようにお伝えください。私も用事を済ませたら、すぐに向かいますので……」
「は……? どういう……」
「お願いします。では、ルスエル様。また後ほど」
「っ、る、るーな! ま、まって、行かないで!」
伸ばされたルスエルの手を掴まず、私は箒に乗り直した。
「すみません、必ず後ほど、あなたの元へ向かいますから」
「っだ、だめだ! に、兄さま! るーなを止め……っ」
「え……?」
ソルフィナが首を傾げたと同時に、私は飛び上がった。
ぽたぽた、と血が落ちる。
「え、血……? ルス、怪我をしてるのか!?」
「ち、違う! けがは、先生が!」
は、と目を見開くソルフィナがこちらを見上げている。
ルスエルと一緒に医務室に行ってもよかったけれど、私は結局のところ治療してもらえないだろう。所詮、身分のない魔法師だ。
その上、怪我をした王太子を連れて戻ったとされれば、恐らく何かしらの処罰を免れないだろう。
ならば、ルスエルをあの場に連れて来た犯人を捕まえるのが先だ。
そいつを突き出せさえすれば、疑われることもきっとない。
それに河川の様子も気になる。ガルバスに一人でやると啖呵を切ったのだから、
ライリーにもきっと迷惑をかけているだろう。
私のせいで、これ以上、誰も大変な思いをしてほしくない。
大丈夫。北部鉱山の時ほどの出血はしていないし、このまま傷を焼いて止血すれば……。
枝を引き抜いて、すぐに手のひらからバチバチと火花を散らしながら脇腹に押し付ける。
じくじくと血が燃えていく匂いがする。雨のせいで、時間がかかりそうだ。
「っく……っ」
蹲るようにして、箒の柄を強く握る。
叫びたくなるほど痛い、痛いけど、死ぬよりマシだ。我慢しないと……。
と思った瞬間に、風に煽られて箒から振り落とされる。
ああ、最悪。やっぱり止血くらいは地上ですべきだっただろうか……。
でも、時間がない。いつまでもガルムヴォルが残っているとは思えない。
それに、堤防が次々と爆発した理由も気になる。
まだ証拠が残っている内に、河川へ戻りたい、のに。
いま一度箒を手元で生成し直そうとすれば、それが上手くいかなくて、「うそ……っ」と力なく声が零れた。
ずっと魔力調整が上手くいっていなかったせいで、体内に一時的な魔力が残っていない。言ってしまえばガス欠だ。
終わった。今度こそ。
この高さから地上に落ちたら、間違いなく死んでしまうだろう。
でも、ルスエルを無事に運んだあとで、よかったかもしれない。
そもそも、私がおかしな改変をしてしまっていたから、みんなが危険な目に晒されているんだとしたら、きっと悪役の早期退場も悪く……。
ない、かも。
そう思って目を閉じた瞬間、背中を柔らかな何かが包み込んだ。
え、と思って、閉じた瞼を開いた瞬間、曇天の下、眩しいほどの白い影が視界に映り込んで、誰かに抱きかかえられていることに気が付いた。
まさかもう死んだ? と思いながら「天使、さま?」と口にすれば。
その影が、私を見下ろしこう告げた。
「……この俺が天使とは」
余裕のある低音。声音からは、絶対的な自信と傲慢さが透けている。
……ああ、待って。よくよく考えたら、悪役の元に天使なんて現れるわけじゃないじゃない。
悪魔、もしくは。それに準ずる――。
「初めて言われたが、まあ、悪くない響きだ」
何か、だ。
「特にお前から言われるとな」
ああ、この声。
幾度となくこの声に馬鹿にされてきたから、わかる。
これは、
天使でもなく、悪魔でもなく――。
「しかし、こんなに血を垂れ流しながら空から降ってくるなんて、さてはお前。早死にしたいんだろ」
「な、んで……」
「全く、余計な仕事を増やしやがって」
目の前が、雨で霞んでよく見えない。
だけど、わかる。この声の主はーー。
「後で事情はたっぷり聞くからな、ルーナ・オルドリッジ」




