悪党が越えられない壁について。
「ま、魔塔主、さ……」
周囲の景色が下がっていく。いや違う、抱えられたまま空を飛んでるんだ。
「舌噛むぞ」
瞬間、雨が霧散するように弾けていく。虹が吹きかけられたように、私たちの頭上に光が見えて……。
「ライリー。お前たち」
「えっ、あっ! 魔塔主様さ……っえ、ルーナさん!?」
「無事なんですか!?」と叫んでいるライリーや他の魔法師たちの声が聞こえる。
「堤防の方はどうなった」
「それが、この先にある岩場でも、大きな爆発音が……っ!」
「お前たちでどうにかならないのか」
「どうにかなっていたら、救援要請しませんよ!」
「言うようになったな。さては、こいつに影響されたな?」
「そっ、そういう冗談を言っている場合では……っ!」
「わかってるさ。相変わらず硬いやつだな」
風を切る。その音を聞きながら、「ぅっ」と呻き声を上げれば、「我慢しろ」と告げられた。
「どうやら、この国を転覆させたい輩がいるみたいだ」
薄っすらと瞼を開いた先、その男が言う、
「お前もなんとなく気づいているんだろ、ルーナ」
「……っわ、らってる、ばあいじゃ、ないんですけど……っ」
痛い。声を、ほんの少し、出すだけで。ほんの少し、息を吸うだけで。
身体の内側が悲鳴を上げている。
服に染みた血が、ぽたぽたと滴っているのがわかる。
「久々に来た城下で、河川が氾濫して街が水没しそうな中、魔塔でも随一の魔法師たちが手一杯で、その中のひとりは死にかけてるんだ」
は、と笑う声。愉悦するような口調がどこかイカれている。
ああ、相変わらず変な男。これだから会いたくなかったのだ。
「笑わずして、どうする」
その声に合わせて、ばちっと稲妻が走ったような気がする。
その光るような青白い髪が、雨に打たれているはずなのに、風に靡くように揺れている。
私を見下ろすその素顔は、面布で隠れていて見えない。
しかし表情がわからずとも、面白がっていることがその布越しでもわかるから嫌になった。
「ライリー」
輪郭を持って聞こえたその声が、一瞬にして怒りに満ちる。
「退けろ」
曇天に閃光が走り、瞬間、ドォンッ、と耳を劈くほどの音が辺りに響き渡った。
雷が落ちたのか。魔獣の咆哮が遠くから聞こえる。
その後、ミシミシと、地面が割れるような音が聞こえたと思えば、連続して岩が落ちていく音がそこら中に響いた。
容赦なく塞がれていく、河川の流れが。
「っ……」
力が、圧倒的すぎて、言葉が出ない。
原作のルーナはこの男が邪魔だった。だから、傷を負わせて再起不能にしたのだ。
私がいくら強い悪役でも、上がいないとは言っていない。
この人とまともに渡り合うには、悪党らしく卑怯な真似をするか。
黒龍を手元に置くことが条件になってくる。
仮にルスエルたちの再教育に成功したとしても、同時にこの男にとっての『ルーナの評価』も、大した脅威にならないと思わせなくてはならない。
そう思えば、こうしてぼろぼろの姿を見せておくのは悪くないこと……。
「……ああ、そうだ。今回の祭りで使えない者がいれば、王室魔法師から外してやろうかと思っているんだが」
かも知れないと思ったけれど。
「お前はどう思う、ルーナ」
王城にいられないのは困るのでなしだ。
身体の痛みで聞こえないふりをすれば、男は「可愛げがないな」と鼻で笑った。
「……そ、んなことより、魔塔主さまっ」
う、と呻くように言葉を続けると「死ぬぞ」と慈悲もなく続ける。
「ガルムヴォルの悲鳴が、聞こえませんでしたか」
「……やはりガルムヴォルか」
僅かな瘴気だけで気づいたのか。認めたくないがさすがとしか言いようがない。
「高等魔獣がそこらを彷徨いてるとは、この世の終わりが近づいていたとしてもなかなかない光景だと思うが。まさか、どこかの阿呆が人里に引き入れたか」
「それが、何者かが、連れて、いて……」
「……見たのか」
本当はグルーヴァーが関係していると大声で言いたいところだが、証拠がない。
だから、現行犯で捕まえたかったのに……。
首を振ると、彼は気だるげに息を吐き出し、手のひらの上で光の輪を作った。
いや、輪と言うより光の粒子を集めて高速で回しているという表現が正しい。
光から高い音が鳴る。雨を切り、光の粒が霧を作って霧散しているように見えた。
「面倒だ。一気に狩るぞ」
そしてその光の輪を思いっきり、魔獣の叫び声の上がった方に飛ばすと、辺りの木々を次々となぎ倒していった。
派手に鳴る轟音。後処理のことなど考えていないのだろうか。
目を凝らし、「遠くへは、いってないと……っ」とそこまで声を上げたら。
ごほっ、と咳込み、胃から血が込み上げた。
「喋るな。俺の腕の中で死なれたら、いくらお前でも寝覚めが悪い」
轟音が響き渡る中、姿を視認したのか「あれは……」と魔塔主が呟く。
はっとしながら、私は渾身の力を込めて箒を生成した。
「あ、こら。動くなって……」
「っ、魔塔主様、すみません……!」
その腕から逃れるように、魔塔主の身体を肘でついて押した。
身体が一気に支えをなくして、地面に向かって落ちていく。
「っ、お説教は、あとで聞きます!」
「は……」
あれは今、捕まえないといけない。少しでも、この先の誰かが傷つかないで済む未来があるなら。
急いで箒に跨って、ぐんっとスピードを上げた。
ああ、悔しい。魔塔主は浮遊魔法を身一つでやってのけていた。
あれが私にもできたなら。もっと上手く、もっと器用に、このピンチをくぐり抜けていたかもしれない。
魔法はセンス、知識、魔力量、そして属性による素質によって分けられている。
認める。あの男は群を抜いている。
悪役の私にはこの世界において限界がある。
私は強い。だけどこの強さは。
「っ……」
いつか必ず、追い越されてしまう強さだ。
悔しい、悲しい、苦しい。
嫌われ者は誰だって嫌だ。
損な役目を進んでやりたいという人なんていない。
辛くて、怖くて、本当は今すぐにでも元の世界に帰りたいと願ってしまう。
私がいくら頑張っても、運命は変えられないかもしれないから。
……ああ。ソルフィナに、あれほど偉そうなことを言ったのに。これでは顔向けができない。
私が右と言えば右になる世界など、作れそうにもないと、そもそもわかっていたくせに。
主人公たちと悪役では根本が違うのだから。
「……ごほっ」
血が、口からも出続ける。
ああ、痛いな。改変の代償と言うには、払いすぎている気がしない?
このクソ世界。もういっそのこと、私を一思いに殺してくれたらいいのに。
足掻いても無駄だと。
味方など、誰もいないのだと。
猶予なんていらない。希望もいらない。
行きつく先がどうせ同じなら。
大雨の中、呻くような声が聞こえた。
黒い塊が息苦しそうに「グゥッ……!」と暴れている。
その塊に鎖を付け、それを引っ張り上げている人影が「早くしろ! くそっ!」と焦ったように声を上げている。
「……死んじゃうか、一緒に」
『黒い魔女よ、生きたいか』
あの声を思い出す。ああ、生きたかったよ。
でもね、ごめん。私ちょっと。
――同時に、私は箒を剣に変えて、身を翻して落下する。
悪役、疲れたかも。
――魔獣の身体に剣が突き刺さった瞬間、「おい、止まれ! ルーナ・オルドリッジ!」と頭上から叫ぶ声が聞こえて。
魔獣のグアアァアッ、と叫ぶ声と共に、身体が宙に飛ばされた。
「っ、馬鹿が、勝手なことをして」
身体が柔らかな球体に包まれる。
その瞬間、なぎ倒されていた木がガルムヴォルとその傍にいた人間を取り囲むように地面に突き刺さった。
「ライリー聞こえるか! そっちにルーナを落とす! 保護魔法で……ーー」
自身のピアスに触れ、あの男が叫んでいる。
身体が弓なりになって飛んでいく。天と地が逆になっている光景を目にしながら、私は段々と瞼を閉じていった。




