目に見えない悪役について。
「ちなみに私は、自分の心が疲れたら、まず仕事を放棄します。それから、周りとの連絡を一切遮断します」
「えっ……?」
「信じられないくらい部屋でだら~っと過ごしたあと、満腹になるまで好きなものを食べまくります」
困惑した顔をしたあと、ルスエルは「それは……」と。
「いつもの先生と何が違……」
「とにかく、欲と言う欲を満たしたあとは、死ぬほど寝てやるんです。睡眠というのは最強なんですよ、ルスエル様」
「よ、く……」
「嫌なことから逃れられるなら、一年、一〇年、いや一〇〇年くらい、眠ってやりますよ」
「そ、れは……」
「眠りすぎじゃ……」という至極真っ当な意見に、「さあ、ルスエル様」と私は聞かなかったふりをした。
「我慢は身体に毒なんですから、もっと強欲にいきましょう」
「強欲に……」
「ソルフィナ様と仲良くしたいならすればいいんです。子どもが大人の顔色なんて、伺わなくてもいい……と言いたいところですが、正直、ルスエル様の立場では、それが難しいかもしれません。なので私も無責任なことは言えませんけど、でも、相談はいつだって乗りますよ」
身体を起こしながらこちらを見るルスエルに「だって」と私は続けた。
「いつでも私は、あなた方の味方ですから」
こちらを見つめる青い目が揺れている。
「……ありがとう、ございます」
同時に雨脚がさらに強くなった。
そろそろ、場所を移動しないと、このままここに留まっているわけにもいかない。
それに、ライリーのことも心配だ。
誰か呼ぶように言ったけれど、ただの魔法師がガルムヴォルに出会したらただじゃ済まないだろう。
けれど、と脇腹を一度見て、私は呼吸を整えた。この場を離れたい。せめて、屋根のある場所に移動して、冷えた身体をどうにかしないと……。
「ルスエル様、場所を移動しましょう。立てますか」
「は、はい……」
脚に力を込めて、立ち上がる。するとそれを真似て立ち上がろうとしたルスエルは脚に力が入らないのか、なかなか立ち上がることができなさそうだった。
すぐに抱えるようにして手伝えば、ルスエルが「ぁ……」と申し訳なさそうな顔をして、私を見上げた。
そして少しだけ、違和感のある顔で、「せ、先生?」と首を傾げていたので、「ほら、行きますよ」と笑顔で答えた。
しばらく歩いて、やっと雨を凌げる場所まで辿り着き、「待っていてくださいね」とルスエルに一言入れて、乾いた枝を集めた。
それらに火をつけると、ルスエルの顔が少し明るくなる。
「ところで、ルスエル様。月灯花を見せてくれるって言われたと言っていましたが、それは一体、誰に言われたんですか?」
恐らく、グルーヴァー公爵に近しい人間にそそのかされたに決まっているだろうけど、人物が分かれば手っ取り早い。
ルーナがグルーヴァー公爵を利用したのも、彼らの元々あった王室への不満などが目に見えてわかりやすかったからだろうし、少しずつでも不安要素を取り除けていけたら……。
「それは……」
ルスエルはそこまで言いかけると、「うっ」と突然、頭を押さえる。
「ルスエル……?」
「い、た……っ」
はっ、と乱れた息を吐き出し蹲るルスエルに「大丈夫ですか!」とその身体に合わせてしゃがみ込んだ。
頭痛が酷いのか、頭を押さえたままルスエルは苦しんでいた。
どうして、こんなに苦しんで……。
ルスエルの目が虚ろなものになっていく。
「ルスエル……! 聞こえる!?」
「わか、らない、わからな……っ」
「ルス!」
手を取って、「もう答えなくていいですから!」と伝えると、「はあ、はあっ」と息を乱したルスエルの目に光が戻り、涙が滴った。
「あっ、る、な、せんせ……っ」
「ごめんなさい、質問を変えます。あんな危険な場所に行こうと思ったのはご自身の意思ですか」
「俺の……」
困惑している。どう答えたらいいかわからないのか、言葉が続かないようだった。
どう考えても、こんな天候に出歩くことが許されるはずがない。ましてや、ルスエルのような立場の人間が、城の外に安易に出るなど……。
「わからないなら大丈夫です。……思い出したら、また教えてください」
思い出せないことに納得がいかないのか、不可解な顔をしたままルスエルは頷いた。
ややこしいことになってきた。
もしも誰かがルスエルを操ってあの場所まで連れてきたのだとしたら……。
そしてその目的が、もしも暗殺の類だったら?
「せん、せい……?」
このタイミングでルスエルたちの退場はありえないとしても、私が本筋通り動かないせいで、その他のキャラが悪役を変わりにやっている可能性は……。
「先生、ルーナ先生!」
「っ、え……」
「汗が、すごい、です」
焦った様子のルスエルが、心配そうに私を見上げている。
「ああ、これは雨……」
ああ、まずい。力が、抜けて……。
「です、よ……」
身体が横に倒れそうになる。「先生!?」とルスエルが大声を上げた。
「どうしたん……ぁっ……!」
ルスエルの手がちょうど、私の脇腹当たりに触れた。ぬるっとした感触に気づいたのだろうか。
「ぁ、る、ルーナ先生、血が……! 脇腹に、何か、刺さって……っ」
「っ、大丈夫、気にしないでください……」
「き、気にしないなんて……っ」
真っ青な顔で首を振るルスエルが、慌てて立ち上がろうとした。
「だ、れか呼んできます! 先生はここで……っ」
「だめです……外は、風もつよいですから、お、大人しく、ここで助けを、待ちましょう」
「じゃ、じゃあ、誰が俺たちに気づくっていうんですか!」
ルスエルがいなくなったと誰かが気づけば、きっとすぐにでも捜索隊が出るはずだ。
とはいえ、パレス河川のこともある。
そちらに人員が割かれてしまえば、どんどん時間が過ぎていくだろう。
私はもちろんだけど、ルスエルだって、この状態にしておくわけにはいかない。
救護要請の花火を打ち上げたいところだけど、本当に誰かがルスエルを暗殺しようとしていたのだとしたら、安易に場所を教えるわけには……。
「っ、わかりました、ルスエル様。ちょっと濡れるかも知れませんけど、私の箒にのってください。必ずお城まで運びますから……」
「そ、そんなの、むりにきまって……っ」
「無理でもやるんですよ、っ、ほら」
手のひらから箒を取り出して、ルスエルを手招く。
じわじわと額に汗が滲んで、視界が霞む。もはや脇腹が痛いのかどうかも判断がつかない。
「で、でも……っ」
ぽた、と地面に落ちる血液を真っ青な顔で見ながら、ルスエルが肩を震わせている。
「っ、ルスエル様。何にせよ、私もここでは治療ができません……」
箒に跨り、そうして出来るだけ優しく平然と告げる。
「一刻も早く戻れば、私も救われるんです、ね? だから、お願いします」
するとルスエルは迷った末に「わ、わかりました」と頷いて、私の身体の前で箒を跨った。




