王太子殿下の本音について。
瞼を開けられないまま、川の中で、身体が物凄い勢いで流れていく。
激流にのまれながら、身体に大木や石やいろんな硬い物がぶつかる。脇腹に何かが刺さった気もする。
それでもルスエルの身体を離さないように、私は光の帯を鞭のように水中で動かすと、適当に地上に向かって飛ばした。
すると何かに帯がぐるぐると引っかかったので、そのまま腕に力を入れて、水面に向かって水を蹴った。
瞬間、ざばっと水から身体が出る。腕の中にいるルスエルを離さないように、渾身の力を込めた。
これだからやっぱり筋トレは必要なんだ。
クッションのような透明の玉をいくつか作って、それに身体を弾ませるとそのまま川沿いに身体を飛ばす。
しまった、また魔力の扱いが……!
身体が思ったよりも勢いをつけて飛んでしまう。
「っ、ぅぐっ……っ!」
背中ごと木にぶつかって、背骨にひびが入ったような音がした。身体が地面に擦れていく。皮膚が裂けていく感覚がしたけれど、そんなのどうでもよかった。
急いで腕の中にいるルスエルを確認しようと身体を起こす。
「っ、ルスエル……!?」
気を失っているのか、真っ青なまま目を閉じている。
「ルスエル? ルスエル! 聞こえる!?」
肩を叩いて、意識を確認する。それでもびくともしない。
落ち着け、落ち着け落ち着け、主人公なんだから、死ぬなんてことない。
そうだよ。大丈夫、大丈夫だよ。
そう思うのに、手が震え出す。それもこれも、あの妙な声のせいだ。
「ルスエル、ねえ、起きて? 目を覚まして……ほら! もう、大丈夫、川の中じゃないから!」
しん、としている。胸も、口元もピクリとしない。
青ざめていく顔。冷たくなっていく指先。
……川に落ちてから、何分が経った?
「っ、ああ、もう!」
私がヒロインだったら、治癒能力を使えるのに。
私が悪役なんかじゃなかったら、運命なんて変えようとしなかったのに。
ルスエルたちの行く末を、これほど捻じれさせることは、
なかったかもしれないのに。
「っ、わたしのせいだ……」
唇を噛み締める。いや、だめだ。
悲観している場合じゃない。
魔法が使えないなら、まともに処置すればいい。ただそれだけの話だ。
今一度、ルスエルの呼吸を確認して、気道を確保する。
胸の中央を手のひらの付け根で圧迫する。
お願い、お願いだから、目を覚まして、と願いながら続けていく。
鼻をつまみ、その口を覆って、空気を送る。
「っ」
それを何度か繰り返している内に、ルスエルの眉がぴくっと動いた。
「っ、げほっ、げほっ……!」
「っ、ルスエル!? 聞こえる!?」
「る、な、せんせ……っ?」
声が聞こえた瞬間、その肩を抱き締めると「あ、の……」と困惑した声が聞こえた。
「っ、よかった……ルスエル……」
「……せ、んせ……?」
顔を合わせると、「な、んで」と不安な目でこちらを見ていた。
「なんでじゃないですよ! もう、心臓が止まると思ったんですから……っ」
「ご、ごめんなさ……っ」
「反省してるなら、もう謝らないでください!」
びくっとしたルスエルが瞼を伏せる。ああ、攻めるつもりも、驚かせるつもりもなかったのに。
謝ろうとしたら、ルスエルが「はい……」と小さな声で頷いた。
その消え入りそうな返事を聞いて、ぐっと、唇を噛み締める。
そうして肩を軽く抱き締め、「心配したんですから……っ」と告げれば、ルスエルは戸惑うように「ご、ごめん、なさ……」と言いかけたあと。
「あ、ありがとうございます、ルーナ……せんせい」
私の身体を抱き締め返しながら、そう言い直していた。
一気に安堵する。ああ、よかった、よかった、助かったんだ……。
涙が出そうになったので、首を振るようにしてルスエルから離れる。そして「すみません、取り乱してしまって……」と私は言葉を続けた。
「ところで、ルスエル様はどうしてあんな危険な場所にいたんですか」
「え、そ、れは……」
口籠るルスエルに「怒りませんから、何をしていたか教えてくれませんか……?」と付け足す。すると、ルスエルはおずおずと続けた。
「げ、月灯花を、みせてくれるって、いわれて……」
「月灯花? どうして……」
訊ね返すと、ルスエルはさらに申し訳ない顔をして「そ、の」と。
「お兄様に……お見せ、したくて……」
「ソルフィナ……様に?」
この兄弟は……いや、兄弟だから、考えることが似ているのかもしれないけれど。
「……はあ」
最悪だ、と思い、溜め息を吐いた瞬間ルスエルが「っ、ご、ごめ……」と謝罪しようとしたので、私は「あ、違います」とすぐに首を振った。
「謝らないでください。むしろ……」
気づけなかった。ソルフィナがあれほど見せたがっていたなら、ルスエルが見たがっていたと簡単にわかるはずなのに。どうして思いつきもしなかったのだろう。
「すみません。私が先に、お伝えしてればよかったです」
不思議そうにするルスエルに、私は言葉を続けた。
「詳しくは言えませんが、ルスエル様は今年、月灯花をソルフィナ様と見られるはずです」
「え……」
「だから、危険な真似をしようとしないで、ルスエル様は待っているだけでいいんですよ」
「……それは、嫌だ」
涙交じりに伝える。
「待ってるだけは、もう……」
「……」
「いつも、兄様だけが……苦しい思いをしてるから」
悔しそうに告げる。そうして、彼は「兄様は……」と続けた。
「俺よりも優秀で、俺よりも……なんでも、できるのに……」
鼻をすすり、悲し気な声が聞こえる。
「なのに、いつも……いつも、おれよりっ、後回しにされて……! っ、兄様の努力が何も、なにも、なかったことにされる」
気づいていないわけがない。なんなら、目の当たりにしてきたはずだ。血筋の重さも、自身とソルフィナが、周囲にとって対等な存在ではないことを。
世間では存在を消された本物の王太子。
対して自分は、王室に作られし理想の王太子だ。
ルスエルにとって、我慢しがたいことだっただろう。
目の前で、正当な評価もされず、存在を消されていく兄がいるということは。
残酷な話だが、現在ルスエルが王位継承権第一位に相応しいかどうかを、見定められているところだ。そのため、ソルフィナは、いわば補欠候補として生かされている。
ルスエルが頭角を現せば現すほど、ソルフィナの存在が消されていく。
その内、影武者にでも使って、殺害すら考える。この物語に置いての王室はそのようなものだ。
現段階で目立った虐待がないだけマシだが、その内、ソルフィナは本格的に命の危機に瀕する。そして、それを助けるのがヒロインで、心を閉ざしていたソルフィナは次第に彼女に惹かれていくのだ。
所詮、ヒロインと心を通わせる設定に過ぎないのに、こうして渦中に置かれると胸糞すぎる。
「だから、兄様は、おれのことが、本当は嫌いなんだ……」
「え……?」
「だって、そうだろ? 俺さえいなければ、兄様が、あんな惨めな思いをすることもなかった……おれさえいなければ! 兄さまは、皆に認められる……っ!」
どんな気持ちで、そんなことを言うのだろう。
苦しい思いや葛藤があったことはわかる。だけど……。
「だって、おれは、あとから生まれたのに、ただ、血筋がいいってだけで……っ」
「……ルスエル様」
震えている肩にそっと手を置く。その目が、ゆっくりと私を見上げた。
「もういいです。自身を傷つける言葉はやめてください。周囲がそう思っていようが思っていまいが、あなたの心を、あなた自身が傷つけてどうするんですか」
「……だ、だけどっ」
「悲しくて、苦しいなら、わざわざ言葉にしなくたっていいんです」
まだ子どもなのに。自分の気持ちを殺して、他人を優先する。
ルスエルも、ソルフィナも、ユルも。
大人びなくっていい。
大人になれば、嫌でも大人にならなければならない時がある。
苦しくても、悲しくても、大人だからと言って、心を奮い立たせないといけない時が必ずくる。
だけどそれは今じゃない。そんなことをする必要はまだない。
「主人公だからって……」
水に濡れた、ルスエルの額を手に平で撫でる。
「王族だからってなんですか」
そうして、頬に指を移動させると、ルスエルはくすぐったそうな顔をした。
「いいですか、ルスエル様。自分の心は、自分で大切にしてあげないと」
「……」
「他の人よりも何よりも、あなた自身が、あなたを労わってあげないと」
「じゃないと」と、その目元を優しく拭ってあげる。
「こうやって泣いてしまいますよ」
「っ」




