終
廃城……今では“蒼月城”という立派な名前がついた城の頂近いバルコニーに出ると、この世界の月が煌々と白一色に覆われた世界を照らしていた。
あれから、レナーの旧知である魔法使いシーロンの骨折りによってこの城の主はイーラとなり、今この城にいる者たちと、この先クラインリッシュから逃れてくるさまざまな種族の受け口となることがこの城の役目となった。
春になり次第、その魔法使いシーロンが住まうオスロスへと繋がる街道も整備されるだろう。
私の持ち込んだ魔術陣はヴァルツフートに渡され、これから本格的にこの世界の魔法使いたちに解析されることとなる。そこには、レナーも含めたこの城の魔法使いたちも関わっていく予定だ。
ふと、人の気配を感じて振り向けば、そのレナーが空を見上げてそこにいた。
「──月が青いというのを想像すると、とても不思議です」
「私からすれば、白い月というもののほうがとても奇妙だ」
天高く昇る月を眺めながら、そんな言葉を交わす。
と、急にレナーが私のほうへと向いた。
「まだ、帰りたいとお思いですか?」
不意に投げられた質問に一瞬考えて、それから首を傾げる。
「……不思議と、以前よりは帰城を望まなくなっているな」
レナーはその紅い双眸でじっと私を見つめた後、「そうですか」と柔らかく笑んだ。
「実は、少しほっとしました」
「何に?」
「あなたの帰りたいという気持ちが減っていることに」
首を傾げたままじっと彼を見つめると、彼はまた月を見上げて笑みを浮かべる。
「皆、あなたが現れた時と同様、急に消えてしまうのではと怯えているのです」
「そんな……」
彼は私に視線を移すと、「もちろん、わたしもイーラもです。あなたがいなくなっては寂しいですから」と微笑み、それから……その笑みを消して正面から私を向いた。
「イーラから聞きました。あなたは、今でもご自身を罪びとだとお考えですか?」
考えるように、私は城の外……眼下に広がる森に目を向ける。
「わたしは命乞いをする同族を殺し、人々を血の海に沈め、恐ろしいほど多くの死と腐敗をまき散らしたのだ。この罪はどうしたって消せない」
淡々とそう述べる私に向かって、レナーはさらに言葉を重ねる。
「……わたしは、あなたが既に十分な報いを受けていると考えますが」
私は首を振る。十分……十分というのは、どれほどのものを指すのか。
「報いなど──」
「あなたは死してなお生者の世界に囚われ、なお義務を果たせと強いられ続けている。そういうことでしょう? それは報いではないのですか?
……それに、わたしたちもかつてのあなたのように使役され、多くの同胞を殺しました。それなら、わたしたちにもあなたのように贖罪の義務があるでしょう」
「だが、あなたがたは我々のように変容させられたわけではない。我々とは違い、帰ることができる」
「いいえ、違いませんよ」
帰るところを持つものは、ここにいません、と魔法使いは小さく呟く。
「この城が、帰るところを持たないものの新しい家になるのです。わたしたちだけでなく、あなたにとってもです」
「家……」
言葉を繰り返し、私は背後の蒼月城を振り仰いだ。新しい、“家”。思いもよらない言葉に、呆然とする。
「……あなたは、死を迎えての安らかな眠りから強引に引きずり出されたものと、自ら支配を受けることを選んだものと、どちらがより罪深いと思いますか?」
魔法使いの問いに、私は視線を戻してひとつ溜息を吐いた。
「私は、あなたに何があったかを知らない。だから、あなたの選択を責めることはできない」
「わたしもです。わたしはあなたの語るあなたの所業を知りません。あなたがどれほどそのことに苛まれているかも知りません。ですから、わたしたちの誰も、あなたを責めることなどできませんよ。
けれど、今、あなたが何をしているかを知っています。
あなたは、わたしたちに支配から救う手立てを与え、それを永遠に無きものとする手段までを齎してくれました。あなたはわたしたちの救い主です……あなたは、既に有り余るほどの施しをわたしたちに、この世界に与えています。わたしたちは誰もあなたを罪びとなどとは考えていません」
レナーの言葉に少し呆然とする。わたしの持ち込んだものなど、わたしの知るもののなかではごく些細なものでしかないのに。そもそも、わたしたちに向けられる目は、いつでも憎しみと恐怖と猜疑心に満ちたものだったというのに。
「……私は、私がそうしたいから、虐げられ捩じ伏せられたひとびとを助けただけだ」
「はい、わかっています」
ふっ、と、また魔法使いは笑みをこぼす。なぜ、彼は……彼らは私に信頼を向けてくれるのか。
「つまり、あなたがひとりでやる必要はないと言いたいのです」
「何故だ?」
「あなたは、支配の頸木からひとびとを助けることが義務であり贖罪だと仰いましたね。ならば、それはわたしたちにとっても義務であり贖罪でもあります。あなたとわたしたちは同じ境遇から放たれた、同じ者なのです。あなたが義務と罪を負っているのなら、わたしたちもそうであると思いませんか?」
いつの間にか近くまで寄っていた魔法使いは、微笑みながら私に手を差し出し、さらに続ける。
「ですから、あなたはひとりである必要はないのですよ。この城のものたちは、イーラはもちろん、他のものも皆、あなたと目的を同じにしています」
「……わたしはこの世界では異形だ」
「はい」
「おまけに、一度死んでいる。とても生き物とは呼べない」
「はい」
「私の使う技は生者の目にはおぞましく、忌まわしいものに映る」
「はい。けれど、今さら何を仰るのですか。その程度を気にするものが、ここに残っているとお思いですか?」
レナーは呆れたように肩を竦める
「わたしたちの代表であるイーラがあなたを助けると決めたのです。皆、反対するものはいませんよ。大船に乗った気持ちで構えていてください。この城の魔法使いも戦士も、この世界の平均よりもずっと使えるものたちですから」
わたしはほっと息を吐き、魔法使いの差し出した手を握った。
「……これから、よろしく頼む」
「こちらこそ、“漆黒の女神”」
私の、氷のように冷えた手をしっかりと握り返されて、自然と笑みがこぼれた。
「イーラがあなたを探しています。近いうちに王と会わねばならないのだそうですよ。そのことで少し話がしたいと」
「そうか」
「何か引っかかることでも?」
「……先ほどの“漆黒の女神”はやめてくれ。私は神ではない」
「そうですか? あなたに相応しい呼び名だと思うのですが」
ふ、と魔法使いはまた笑んで、「さあ、行きましょう」とそのまま私の手を引き、城の中へと向かった。




