30 そうして事態は変化した
暦が変わっても、俺の日常は変わらない予定だった。
が。どういうわけか、妙に浮ついた心地で、けれど微かに緊張感を持ちながら。いつものように紬で一人のんびりと過ごしている。
穏やかでありながらも、確実に今までとは違う日常。店内につけっぱなしのラジオでは、軽快な音楽の他に定時のニュースが流れており、時折街を襲う怪物について話している。
俺の心持ちは変わっても、相変わらずまだ怪物に遭遇したことはないし、今日も紬に客は来ない。何ともまぁ平和なことだ。今になってみれば、目を逸らし続けた結果にすぎないのだが。
息を吐く。まぁ、うん。色々と突き付けられた結果、観念したさ。
何もかもから目を逸らし続けていた事実も、名前を付けず蓋をしようとした感情も。ちゃんと自覚した。その上で、どうしようもない自分に諦めもついた。
紬に引きこもるようになって、時間を潰すために電子書籍を読み漁っていたというのに、どれほど小説を読んでも俺の情緒というものはほとんど育っていなかったらしい。
「こんにちは、静一さん」
「いらっしゃい、七海ちゃん」
カラコロとドアベルが鳴って、俺の日常を完膚なきまで壊してくれた少女がやってくる。
その手には先日送った手袋がはめられていて、気に入ってもらえたようで何よりだ。
いつものように、何気ない話をしながらコーヒーを一緒に飲む。
穏やかで、かけがえのないもの。このままずっと続けばと願っていたもの。この後、自分の意志でもう一度それを手放すのだ。
その後どうなるかはわからない。どうなったって、もう戻れはしない。
「ねぇ七海ちゃん。少し聞いてもらえるかな」
「はい、どうかしましたか?」
「うん。この前の、返事」
俺がそう告げると、七海ちゃんは少し驚いたような顔をして。それから真剣な顔で俺を見上げた。
待たせてしまって申し訳ないと思う。これから話す内容についても。自覚できるくらいには情けない奴なので、手を引くのなら早いうちにしてくれると助かる。
下手に長引くと、余計にこじらせてしまいそうなので。
「俺は、七海を大切に思っている。失いたくないとも。でも、ご覧の通り。俺は言い訳ばっかりで大したこともできないし、どうしようもない奴なんだよ」
「静一さん」
「このまま君と変わらない平穏と日常を続けていきたいと思っているし、その気持ちが俺と七海ちゃんでは同じであるとは限らない。それでも、一緒にいてほしいと願ってしまったんだ」
ただ笑っていてほしいと、願うだけならよかった。でも触れたいと願ってしまった。
俺の言葉を聞いた七海は、少し考え込んで。そして、いつものように笑った。
「ねぇ静一さん。私、大切なのは気持ちのすり合わせだと思うの」
「気持ちの、すり合わせ?」
「うん。充分伝わってきているけど、一つだけ。一言でいいんです。一言だけ、言ってくれませんか?」
一言。そう言われて考える。俺が、七海ちゃんに告げるべき言葉とは。
目の前には優しく微笑みながらも、何かを期待するような七海ちゃんがいて。
しばらく考えて、はたと思い至る。
「好き、です?」
「はい! 私も、静一さんが大好きです!」
なんだ、これ。なんなんだこのそわそわとしたむずかゆい感覚は。
にこにこと、嬉しそうな七海ちゃんを見下ろしながら、沸き立ってくる感覚に居心地の悪さを感じる。
目に見えて変化があったわけではないのに、何かが大きく変わった。それにじんわりと、どことなく安心感がある。
おまけに、よく恋愛小説などで表現されるような世界がきらきらするような感覚が……。
待て、本当に何か光ってないか?
「は?」
自分でも間の抜けた声を上げながら視界の端で捉えた光源を振り返る。明らかに太陽光や照明の反射ではないそれに思わず目を奪われた。
キッチン横のカウンター、普段は祖父母の写真が置いてあるスペースが光っている。意味が、わからない。
「何だ、アレ」
「イノセントジュエルだワ!」
「は? え、何?」
「ちょ、チュチュ!」
待ってくれ、本当に待って。一体何が起こっている?
祖母の写真が光ったと思ったら、見覚えのあるウサギのぬいぐるみが七海ちゃんのカバンを飛び出した上に、喋り出した。
「ここにあったのネ」
「待って。待って、チュチュ。ここは静一さんもいるし、一旦パクトの中に戻って」
「はーい。でも、イノセントジュエルを回収するネ」
イノなんとか? と言っているが、全くもって、何がどうなっているんだ? え、何かのドッキリ? もしかして俺のこと担ごうとしている?
混乱している俺を他所に、ウサギのぬいぐるみがふわふわと浮かんで光の中から、ダイヤモンドのような何かを手にする。あれが、光っていたのか?
「無垢、とは違うのだけど、ここには純粋さがあった。それが利己的なものへと変わったから、イノセントジュエルは切り離されたのネ」
「待ってくれ。本当に、君は、一体?」
「わからなくてもいいワ。紬はかつて魔法少女だったノ。きっと彼女があなたを守ってくれていたのネ」
魔法少女。咄嗟に浮かぶのは、日曜朝の女の子向けアニメか変身ヒロイン物。そして、俺は見たことがないが、この街に現れる怪物を倒してくれている存在。
は? 物心つく前に亡くなった祖母が、魔法少女だった? 確かに何十年か前にもどこかで怪物が出ていたらしいが、いや。は?
全くもって理解が追いつかない。
何かしらの説明をしてくれているようだが、俺が知りたいのはなんでウサギのぬいぐるみが動いて喋っているのかとか、七海ちゃんがそのウサギを連れている理由であって。いきなり祖母が魔法少女だったと言われても理解が追いつかないんだよ。
「イノセントジュエルは万能ではないけど、きっと大丈夫ヨ」
ウサギが元気よく笑った。
だから何がどう、大丈夫なんだよ。
静一は 混乱 している!




