39 そうして彼女は
ああ、全部終わったのか。
暗い空が、急に明るくなったのを見上げてそんなことを思った。
手持無沙汰でいるのも何なので、勝手に避難所の雑務を手伝っている連中に混じって荷物を運んだり、配給を手伝ったりして過ごしていたが、それも今日で終わりらしい。
簡易テントや避難所を我先にと外へ出て、青空を見上げ歓喜の声を上げる人たちを他所に、そっといつもの公園に向けて歩き出した。
見慣れた街はところどころバイデントに襲われた形跡はあるものの、見知ったままの形を保っている。歩き慣れた住宅街、少し遠くに見える商店街のアーケード。
いつもより少しだけ時間をかけて歩き、ゆっくりとした足取りでいつもの公園にたどり着く。
会う約束なんてない。けれどここに来れば、会える気がした。
空が青い。ここ数日は暗かったので少し眩しい。いつものベンチに座って、目を閉じてしばらくぼんやりと時間を潰す。
遠くで人の声が聞こえる。皆、空が青くなって喜んでいるんだろう。この数日、昼でも空が暗い上に頻繁にバイデントが出ていたようだしな。
不意に人の気配がして目を開ける。世界を救った英雄とは思えないほど、不服そうな顔をした梨穂がいた。
「おかえり」
「ただいま、戻りました」
何があったかはわからないが、随分と煮え切らない表情をしている。まぁ。だが、何もかもが納得できる結末だったとは言い難いんだろう。
梨穂が、俺を見たまま一度目を閉じ、深呼吸をする。そして。
「今から八つ当たりをします」
「え、あ。はい」
何を言い出すかと思えば、え、本当に、何? 何とも言い難い表情のまま梨穂が、俺の手を取ってベンチから立たせる。そのまま、ぽすりと俺の胸に、額を押し付けた。
え、あの。これは、どういう反応を求められているんだ? あれか? 洋画のラストとかであるラブシーン的なやつなのか。
「わたしばっかり嫌な思いをしてる」
人のいない公園は酷く静かで、梨穂の呟きが嫌に響いた。
手首を握られたままなので動くことも許されていない。
「言いたいこともうまく言えない。言わせてもらえない。わたしばっかり。嫌だった」
感情的になるのではなく、ぶちぶちと愚痴を言い始めた梨穂を見下ろして動かしたくなる手を我慢する。
珍しい、というよりは今まで色々と溜まっていたんだろうな。本人の気質もあるんだろうが、大らかで落ち着いている印象があるし、何かと相談されたり頼まれたりすることが常日頃からあったんだろう。
梨穂は基本的には善人だし調和を重んじるタイプでもある。その上見栄っ張りなところもあって素直じゃないから、自分の意見も上手く言えない、と。
人並に不満もある普通の女子の癖に、変に取り繕うのが得意で。何とも難儀な性格だな。
しかしまぁ。他の、例えば一緒に戦った仲間じゃなく、俺にこういう一面を見せてくるのは、少しくすぐったい。
何とも言えない感覚に口元が緩んでいるのがばれたのか、じろりとにらみ上げられた。
「なんですか」
「いや、お疲れだなと思って」
「悪いですか」
「悪くはねぇよ」
拗ねているなぁ。俺の反応を面白く思わなかったのか、つんと唇を尖らして梨穂がそっぽを向く。
当人にとっては面白くもないのだろうが、その姿が妙に幼くて構いたくなる。
「手、放してくれね?」
「嫌ですけど」
「そう言わずに」
不満げにこちらを見上げながら梨穂が一瞬だけ力を入れた手を、ゆっくりと放した。騙されたな、これで俺はお前を好き勝手出来るようになったわけだ。
数分ぶりに解放された手を上げて、無遠慮に梨穂の髪をかき混ぜる。多少抵抗されたってお構いなしだ。
「なんですか!? もう! 私今機嫌悪いんです!」
「俺はお前に何もしてやれなかった」
「……それは、別に、英時君が悪いわけではないですし」
そこで言葉を選ぶから、色々押し付けられるんだよ。もうちょっと好き勝手言えばいいだろ。
どうせ今ここに居るのは、俺とお前だけなんだし。
「これからも、寄り添うぐらいしかしてやれない。それでもいいか?」
おい、なんでそこで目を見開いて驚くんだよ。
「お前が言ったんだろ。ずっと味方でいてくれって」
「なんですか、それ」
実際問題、俺個人が何かできる特別なことってなにもないんだよ。時計作りだってまだまだ修行中で、自分の倍もある背丈の怪物と戦う力も勇気もない。
だから、そんなものしか差し出せない。けれどそれを求めてくれるなら。それで梨穂が安心できるなら。
「俺なりの、責任の取り方?」
自分でかき混ぜた梨穂の髪を直してやりながら、反対の手で頬を掻く。
まぁ、うん。何もかもを押し付けたんだ。その分は、コイツの望む形で何かしらを差し出せたらとは思っているんだよ。
「私、結構我儘ですよ」
「望むところ」
「八つ当たりだってします」
「好きなだけしてこい」
名残惜しいが、柔らかい髪からそっと手を離す。
梨穂が顔を上げて、俺の目を覗き込むように見上げた。
「英時君」
返事をするより先に、握り拳を軽く胸にぶつけられる。痛くはないが、なんだよ急に。
梨穂の真意を確かめようと視線を向ければ、何やらすっかりとさっきまでの不満や愚痴はどこかに飛んで行ったような満足げな顔をしていて。
「言質、取りましたからね。後でやっぱりダメとか、無しですから!」
全く、現金な奴め。




