四話.進む理由
「ほう。君たちは迷子になって、この場所に辿り着いたんじゃな。…何処に行く予定なのじゃ?」
その場が落ち着いた頃、桜花と紅葉の事情を聞いたエルフの言葉だ。
「うーん。決めてないけど、冒険したいな! とりあえずこの木のてっぺんまで登ってみたい!」
「はい。この場所が何なのか、くれはたちは何も分からないんですけど…。とにかく上を目指してみようと」
「さっすがくーちゃん! そういうことだよ!」
桜花に続く紅葉の言葉に、桜花は紅葉を抱き寄せる。
エルフの少女は小さく笑い、そして顎に手を当てる。
「冒険か。それは――いいな。心が、踊る」
「だよね! えへへ」
「そうじゃな。……うむ。それに、この樹はきっと多くの冒険となるじゃろう。――何より、頂上からの景色はまさに、絶景じゃ」
「絶景…!冒険…! それ、すっごくワクワクするね!」
「うん。くれはも楽しみ!」
顔を見合わせる、桜花と紅葉。
明るい空気が満ちるも、エルフの少女が「じゃが」と空気を止めた。
「危険な道のりになるかもしれんぞ。ボクですら、この星樹の上層は、現在観測できなくなっておる。それでも、行くか?」
桜花は紅葉に視線を向け、そしてゆっくりと頷き合う。紅葉の琥珀色の瞳が、エルフを見た。
「うん。行くよ! 冒険だもん。分からないから、ワクワクするんだよ!」
にこやかに言い放った桜花と、そして隣に立つ紅葉。
エルフは眩しいものを見るように、彼女たちを見つめる。
一言、「良し」と溢して少しだけ真剣な表情になった。
「さて、ボクのことは…ネムとでも呼んでくれ」
「ねむ?分かったよ!かわいい名前だね!」
「そうじゃろうそうじゃろう!大切な友からもらった名前じゃからな」
名前を褒められて大きく微笑むネム。にこやかなまま、二人へ話しかける。
「うむ。…クレハも、ボクのことはネムと呼んでくれ」
「は、はい。ネムさん」
紅葉の返答に、「うむ」と頷くと、笑顔になるネム。
「ぬっふふ、君たちの冒険にボクも同行しようと思っての。と言っても、霊体だから、オーカたちには触れられず、付いていくだけじゃが。良いかの?」
「うん!もっちろん! よろしくね、ネム!」
桜花は再び距離を詰めて、両手でネムの手を握ろうとするも、再びその手は空を切った。
△▼△▼△▼△▼△
星樹の迷宮を、桜花たちは歩む。
淡く光る洞の道。並ぶ桜花と紅葉の後ろを、ネムが浮いている。
「わあ! くーちゃん!綺麗な木の実があるよ!…ネム、これは食べれるの?」
桜花が見つけたのは、赤い小粒の果実。木壁から生える蔦に、いくつも実っている。
ネムは目を閉じ、指を立てた。
「うむ、食用可能じゃ。じゃが――」
「いただきます……ふぎゃっ! ひゅっぱいー!」
しかしネムの言葉は途中で止まる。
食用可能と聞いた桜花が、即座に口に運んでいたからだ。
「おねえちゃん! 大丈夫?」
「ベロがひびれう…」
目をつぶり、舌を出す桜花。頬に手を当て、はふはふと息を漏らす。
笑うネムが、果実に指先を向けた。
「それもまた経験じゃ、な。…これは、モルモの実での。熟すまでは痛いほどに酸っぱいのじゃ。――ほれ。そこの紫色になった実を食べてみよ」
「…こっち?」
ネムが指した果実をもぎ取り、口の前に運ぶ。
恐る恐る、かじる桜花。――瞬間、桜花の表情が弾けた。
「あっまい!おいしい! これは、イチゴみたいだけどもっと甘いね」
頬っぺたに両手を添えて、満面の笑みだ。
ごくりと、唾を飲む紅葉。
「ほら、くーちゃんも」
もう一つ、もぎ取ったモルモの実を紅葉に差し出す。
桜花の手のひらの上の果実を、紅葉は慎重に、口に入れた。
「…おいしい。これが、イチゴの味…」
ゆっくりと味わう紅葉を見て、にんまりと微笑む桜花。
「ね! おいしいでしょ!いくつか持っていこう」
モルモの実をもぎ取り、肩にかけたポーチにしまっていく。
「うむ、気に入ったようじゃな。――そのポーチは見た目以上に詰め込めるようになっておるからの。ただし、重さは中身の分だけ増えるから注意じゃぞ」
「うん! ありがとう!このポーチもとっても素敵だね」
ポンポンと、モルモの実が入ったポーチを叩く桜花。
ふと、カップ状の花が咲いた草に目を移した。
「ネム、これはなに? 綺麗な青い花」
「おお! それはコダマソウじゃ。これは面白いぞ。オーカ、この花弁になにか話しかけてみろ」
「こだまそう?」
首を傾げて、花に顔を近づける桜花。
そのまま、言葉を投げかけた。
「こんにちは!私は桜花! 冒険がとっても楽しい!」
「――うむ。では根元からちぎって、茎に息を吹き込んでみるのじゃ」
「うん。こうかな?」
桜花は手に取ったコダマソウの茎を、口に当てる。
紅葉が静かに見守るなか、息を吹いた。
『こんにちは!私は桜花! 冒険がとっても楽しい!』
コダマソウから発せられる、桜花の声。
桜花と紅葉の瞳が、キラキラと輝く。
「なにこれすっごい!」
「おねえちゃんだ!」
それぞれの反応に満足げなネム。
何度かコダマソウを吹くも、声は変わらず発せられた。
それから桜花はゴソゴソと、コダマソウをポーチにしまう。
「む」
その時、ザリ――と、何かの音がした。
ネムが、口元に指を当て、静かにというジェスチャーをする。
真似て、紅葉にも同じジェスチャーをする桜花。
「――魔性のお出ましのようじゃ。オーカ、クレハ、いけるか?」
「…うん。大丈夫」
コクリと頷き、桜花はポーチから取り出した小剣を、握り締めた。
ビクリと小さく跳ねる紅葉。
曲がる樹の通路の先から、現れたのは一匹の小豚鬼。片手には棍棒を持っている。
桜花たちに気づいて、慎重に近づいてきた。
「グゴッ」
「あれは、ゴブタンじゃ。魔性の中では弱いほうだが、知能は高めじゃの」
ゆっくりと距離を詰める子豚鬼――ゴブタン。
皺くちゃなその顔が、歪む。
桜花の指先はかすかに、震えていた。はやる鼓動が、耳に響く。
ふと、隣を見ると、四肢が震えている紅葉。
桜花は小さく息を吐くと、ふっと微笑んだ。
「くーちゃん、大丈夫だよ。見てて」
「…おねえちゃん」
小剣を握り直す桜花の指先の震えは、止まっていた。
まるで歩き出すかのように、踏み出す。
「いくよっ」
接近する桜花に、ゴブタンが棍棒を振り下ろす。
柔らかに、斜め前方に跳躍する。その髪の一房にも当たらない。
「てやっ」
「ゴギャッ!」
切り付けられたゴブタンの顔が、更に歪んだ。
乱暴に振り乱す棍棒を、躱し続ける桜花。躱す度に、ゴブタンを切り付ける。
桜色のツインテールが、舞う。
「やっ! やっ!…やあ!」
数度の剣閃を受けて、ゴブタンは地に沈んだ。
桜花はそのまま小剣を構えてゴブタンを見るが、起き上がることは、ない。
大きく息を吐き、ぺたんと樹の通路に座り込んだ。転がる、小剣。
「おねえちゃーー!」
「んにっ」
紅葉が、桜花の懐に飛び込んできた。
その小さな身体を、ぎゅっと抱きとめる。
「オーカ」
胸元に紅葉を抱きしめたままの桜花に、ネムが寄ってきた。
ニヤリ、と笑みをこぼす。
「よくやったの。動きは未熟じゃが、節々から才気を感じる」
「ほんと? えへへー」
「おねえちゃん、すごい!…それに、ありがとう」
「うむ」と、口元を緩めるネム。それから、緩めた口元を引き締めた。
「じゃがの…星樹のこの先は、ゴブタンよりも強力な魔性が多く棲む。…進んだことを、後悔することもあるかもしれん。――それでも、オーカは進むのか?」
ネムのセピア色の瞳が、わずかに光る。一歩近づき、桜花たちの正面に立った。
桜花は一拍だけ、キョトンとした表情。にこりと笑った。
「うん。進むよ。だって、行かないほうが後悔すると思う」
「ふむ。…うむ。その心意気、ボクは好ましく感じるな。――じゃが、クレハはどうする?」
桜花の腕の中に納まっていた紅葉が、小さく息を飲んだ。
ネムが、厳かな表情のまま、続ける。
「見たところ、その子は身体相応のマナしか持っていないようじゃ。…連れて行くのは、危険かもしれん。下層のここで、待っていてもらった方が安全ではあるぞ」
ゴクリと、紅葉は唾を飲みこむ。
腕の中に視線を落とす桜花。軽く頭を撫でてから、ネムに視線を戻した。
「…そう、かもしれない。それでも、私は……くーちゃんはどうしたい?」
紅葉は一度だけ目を閉じてから、ぴょんと飛び降り、地面に立つ。
樹の地面は、滑らかで紅葉の四肢を受け止めた。
「くれはは、行きたい。おねえちゃんと一緒にいたい」
「――うん」
ネムから桜花に目線を戻し、二人は静かに笑う。
「それなら、私はくーちゃんを連れていくよ。だって、その方が楽しそうなんだもん」
桜花も立ち上がり、ネムを見る。
ネムは、表情を変えずに二人を見ていた。
「それに、お互いに助け合えばいいんだよ。…そうしたいんだ」
桜花は最後に紅葉を流し見て、頷きあった。
そこまで聞いたネムは、ふっと口角を上げる。
光っていた瞳も元に戻り、ネムは空中にふわりと浮いた。
「うむ。きっと、オーカとクレハは良いコンビとなるな。――それに」
胸元に手を当て、言葉を続ける。
声の抑揚が、柔らかくなった。
「心は、生きる上で重要な器官じゃ。心が望むのなら、それは進む理由と言っても良い。……すまんの。意地悪なことを聞いて」
「ううん。ネムは、私たちを心配してくれたんでしょ? ありがとう」
「あの、ありがとう、ございます。くれはも、頑張ります!」
ぺこりと礼をする桜花と、それに倣う紅葉。
顔を上げた桜花は、「あれ?」と呟いた。
「ねえ、ネム。ここ、少し暗くなってきたよ」
「…わ、ほんとだ。さっきより暗い気がする」
きょろきょろと、辺りを見渡す二人。
明るかった樹の通路は、ほんのりと青白くなっていた。
「うむ。星樹の外では日暮れのようじゃ。夜になると、更に暗くなるぞ」
「そうなの?…それじゃあ、今日はここまでだね。お休みしよう!」
元気に休息を宣言した桜花。
ネムは安全な場所として、少し入り組んだ場所へ案内した。
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星樹の通路の、枝分かれしたうちの一本。その突き当りの空間。
そこには、淡く光る、青い花々が咲いている。
そして奥には、壁から湧き出る水が溜まった泉があった。
「わあ――きれい」
「すごい、ね」
足を踏み入れた桜花と紅葉からは、漏れ出るような声。
「うむ。星樹とは、世界のマナの均衡を保つ存在なのじゃ。…じゃから、そこの泉にはマナが混ざっておる。浸かるとマナが回復するし、そのまま入れるぞ。――何より、この泉は温かい」
「温泉だあ!!」
湯気が、泉から立ち昇っている。桜花は両手を上げて、歓声を上げた。
ソワソワと、泉に近づく桜花は水面に手を当てる。
「あったかい! 温泉だよ!くーちゃん、温泉だよ!」
「きゃー!」
桜花は大きく振り返って紅葉を抱き上げ、くるくると回りはじめた。
なされるがまま、紅葉は一緒に回る。
「喜んでくれたようで嬉しいの。…そうじゃ。エルフはの、お湯に浸かる前に、身体を清める習慣があるのじゃ。――清めの魔法、3C魔法を知りたいか?」
「さんしーまほう? 魔法!教えて!」
「魔法…くれはにも使えるかな」
ネムの前まで駆け寄って、片手を上げる桜花。紅葉は抱かれたままだ。
ネムは指を立てて、再度口を開いた。
「まあ、問題ないぞ。――魔法とは、マナがあれば誰でも再現可能な術式じゃ。……では、早速じゃが、指先にマナを集めて、ボクの指の動きをなぞってみてくれ」
二人は、ネムの指の軌跡をなぞる。
何度か繰り返して、そして。
「できた! わあ…体がしゅわしゅわ。ほら、くーちゃんも!」
桜花の身体を、いくつもの泡のようなものが包む。少しして、桜花の魔法が紅葉の身体も泡で包んだ。
少し経って、泡はゆっくりと消えていった。
「うむ。それが、3Cのうちの一つ。汚れや異物を分解する『クリア』の魔法じゃ。――気持ち良かろう?」
「うん。とっても!」
「くれははできないよぅ。マナが見えなくて…ごめんね、おねえちゃん」
自らの前足に、視線を落とす紅葉。
その頭をひと撫でし、桜花は笑いかけた。
「くーちゃん、大丈夫だよ! あとで一緒に練習しようね」
「おねえちゃん…うん!」
それから二人は、樹の凹凸によって作られた、湯舟に入った。
「ふわあ…。あったまるうぅ」
肩までお湯に浸かった桜花が身体を伸ばし、力の抜けきった声を吐いた。
泉の少し浅いところには、紅葉が顔を出す。
「おんせん、あったかい」
「温泉…気持ちいいね、くーちゃん!」
「…うん、気持ちいい!」
目を閉じて、ゆっくりと身体を休める。
桜花たちの側に咲く花が、柔らかな灯りとなっていた。
「ふわ…ぽっかぽかだあ」
「くぉん…」
湯舟から上がった桜花と紅葉は、樹の空間に寝転がっている。
紅葉の瞳は既に、半開きだ。
「…でも、ネムは入れないの、勿体ないね。私たちだけ入っちゃった」
「むふふ。君たちが癒されたのなら、ボクにとっては一緒に入ったのとそう変わらんよ」
桜花たちの傍で、宙に浮いたまま足を組むネム。
「そっか――えへへ」
「――うむ。…明日からもきっと、冒険が待ち受けているじゃろう。ここに魔性は来れないから、今日は、ゆっくり休むと良い」
「うん、そうする――」
ゆるやかに、桜花は瞳を閉じる。
星樹のなかで、三人は穏やかな夜を迎えた。




