三話.目覚めの朝
「…うに。朝?」
ふかふかの柔らかい布団と、カーテンの隙間から差し込む春の陽光。
――いつもの、桜花の部屋だ。
「まだ……ねむい」
布団に包まりなおした桜花は、猫のように丸まる。
ただ穏やかに、微睡みを続けた。
布団から這い出した桜花は、大きなあくび。
軽い足取りで階段を降りて、洗面所へ。寝ぼけまなこで髪を梳く。
「昨日、なにか――長い夢を見ていたような? うーん……でも。ううん、思い出せないや」
ダイニングへと向かうと、料理をする姉の後ろ姿があった。桜花の表情が、にぱっと弾む。
「ゆき姉! おはよー!」
「おはよう。ちゃんと起きれて偉いですね、おうちゃん」
桜花の姉、明里紗雪は柔らかな表情で微笑むと、タオルで両手を拭く。
がばっと飛び込んでくる桜花を、柔らかく抱きとめた。
「えへへー。起きれた!…パパとママはもう会社に行ったの?」
胸元にある桜花の頭を、その髪を梳かすように撫でる。桜花は、にへへと満面の笑みだ。
「…うん。もう家を出ましたよ。お姉ちゃんと二人だと寂しいかな?」
「ううん! ゆき姉がいてくれるから寂しくないよ?」
姉妹は、二人並んで朝食の準備をする。
朝のキッチンに、包丁のリズムに合わせて響く桜花の鼻歌。
二人で朝食を作って、食卓に並べる。
「「いただきます」」
鼻をくすぐる、味噌の香りと焼けた魚の匂い。
ほかほかの白米に味噌汁、焼き魚、ほのかに甘い卵焼きとサラダ。
「おいしい! ゆき姉のご飯は世界一だね!」
「ふふっ。おうちゃんがおいしく食べてくれるから頑張れるんだよ」
「えへへー」
白いワンピース制服に着替えた桜花は、紗雪と並んで仏壇の前に座り、手を合わせた。
しばらくして足を崩した紗雪が柔らかな手つきで桜花の頭を撫でる。
「ゆき姉は今日もバイトなの?」
「いいえ。今日はバイトが入ってないので、早く帰りますよ。…今日は苺入りシュークリームにしましょうか」
「シュークリーム!! いちごいり!やったー! えへへー」
小柄な桜花の体が、小さな衝撃と共に紗雪に抱き着いた。
目を細め柔らかく微笑む紗雪。
パンッと互いの両手をタッチした、桜花と紗雪。
「それじゃあ、いってきます!」
「今日は…いえ……うん。いってらっしゃい、おうちゃん」
「…? うん!」
小さく首を傾げつつも、紗雪に見送られ玄関から外へ踏み出す。
明るい日差しの元、弾むような足取りで家を出た。
そして、夜。ピンク色のパジャマに着替えた桜花が、枕を両手で抱いている。
「ゆき姉、今日は一緒に寝てもいいかな」
「勿論。おうちゃんの頼みなら毎日だって大歓迎ですよ」
「ありがとう! えへへ、ゆき姉あったか~い」
布団に包まると、二人の体温でじんわりと布団が温まる。
しばらくして、桜花は静かに眠りについた。
幸せそうな寝顔ですやすやと眠る桜花を、ゆっくりと撫でる紗雪。
「んに、ゆき姉…。好きー…」
「つらいこと、忘れちゃっても良いからね。お姉ちゃんが、守るから」
暗い部屋の中。眠る桜花を、紗雪が優しく撫でる。
△▼△▼△▼△▼△
「ズーイッチョ!」
おかしな鳥の鳴き声と共に桜花が目を覚ますと、そこは木の洞の中。太ももの上では小狐の姿をした紅葉が丸まっている。
外から差し込む日差しが朝を告げていた。
「くわぁ…。おねえちゃん、おはよう!」
「――んに。くーちゃん、おはよう…」
紅葉をギュッと抱きしめると、ぼんやりと頭の覚醒を待つ桜花。
少し経ってから確かめるように、片手で自らの頬をつねった。
「いひゃい。…夢じゃないのかなあ」
「くれはも意識はハッキリしてるよ。夢、だと思う?」
桜花と紅葉は揃って小首を傾げて疑問符を浮かべる。
「分かんないね…。うーん。なんだろう、ここ」
「えっとね。くれはも、あんまりわかんなくて」
「そっかあ――うん。戻る道も分からないから…むむむ。今日は探検しよ!」
「うん! ついてくー!」
目的を決めた桜花は紅葉を肩に乗せて、すっくと立ち上がる。
するすると木から降りて、軽やかに着地した桜花。その肩から紅葉もぴょんと地面に降り立った。
地面には、両手のひらよりも大きな葉っぱや光る小石。そして、空中には空魚がまばらに泳いでいる。
二度、つま先で地面をトントンと叩き、胸元を握る。
「よし、行こっか」
「おねえちゃん、今日はどっちに向かう?」
「うーん、そだね。……昨日見つけたあの一番大きな木に行きたいな。高いところから見ると何か分かるかもしれないし!」
夜が明け、陽の光で明るくなった木々の梢の隙間からは、天を衝く弩級サイズの大樹が見えている。
そのあまりの大きさに、樹の頂上は見えない。
「あれに登るの? 登るだけでも大変そうだけど大丈夫?」
「うへへ。勿論! だってその方がワクワクするからね!」
二人は並んで、てくてくと歩く。
「おねえちゃん、そっちじゃなくてこっちだよ!…鳥さんが鳴いてる?また迷子になっちゃうよぉ」
「わわ、ごめんね紅葉。ありがとう」
大きな足跡や赤い木の実。時折、興味を惹かれたものに向かおうとする桜花に、紅葉は行く先を誘導する。
前も後ろも広がる森林に続く一人と一匹の足跡。
小声で歌ったり話しつつ歩いていると、いつの間にか、太陽は高い位置にある。
ふいに、前方からしゃがれた鳴き声が聞こえた。紅葉と顔を見合わせた桜花は、唇に人差し指の腹を当てて息をひそめる。
こっそりと木の陰から覗いてみると、そこには子豚鬼が三匹。ちょうど三匹とも後ろを向いている。
聞き取れない言語で騒いでいる三匹に、鼓動が大きくなる桜花の心臓。
「おねえちゃん、ぶたさんが三匹いるよ。どうしよう…」
「…ふっふっふ〜。お姉ちゃんに任せなさい!」
微かに震える手をきゅっと握りしめた桜花。
腰に両手を当てて胸を張る。
「大丈夫? どうするの?」
「ふへへ。昨日、くーちゃんに魔法を見せてもらったからね。私にも使えそうなんだ!」
「見ただけで!?すごい!……でもあの火って、そんなに大きくないような」
「えへへー。見ててねー?」
木の幹から半身だけ出す桜花。右手を突き出して人差し指を立てると、指先に桜色の光が灯った。
引き締まった表情の桜花の横顔。
指先で宙をなぞると、跡には残留する桜色の光。指を動かすごとに出来上がっていく、光る図形。
桜花の頭より少し大きな桜色の魔法陣が、宙に描き出された。
輝きが、強くなる。
「――いくよ! これが私の、最初の魔法。『ふぁいや』」
桜花の宣言と共に、魔法陣が、強く輝く。
子豚鬼は振り返るが、遅かった。その足元がわずかに光り、火の粉が散る。
――ボン、と。爆音が鳴った。
燃え上がる赤い火柱に、桜花たちに届く熱波。
赤くない。桜色が、燃えていた。
付近の鳥が、飛び立ち逃げる。
一転、ぽかんとした表情の紅葉。隣を見ると、桜花は足元が覚束ない様子だった。
「んぅ…ちからが、抜けた…」
「お、おねえちゃん…? なにこれ」
「…えっとね。…昨日見せてもらった火の魔法陣なんだけど、距離と勢いも強くしてみたの」
「ど、どういうこと…? 詠唱もせずに魔法出してたし…」
「あの言葉は…なんて言ってるのか分からなかったんだけど、マナっていうのかな? なんか見えたから指先にそれを集めて、魔法陣を描いてみたんだ」
桜花はひとまずの成功を喜んで、顔の前でピースサインを作る。
目の前の火柱は、紅葉が光源として放った火球とは似ても似つかぬものだ。
「えぇ…くれはにはそんなの見えないよー…こんなの出せるんだね」
「う、うん。……ちょっと、強くしすぎた、かも」
指先をそっと握る桜花。
徐々に、火の勢いが弱まっていく。
「おねえちゃん、すごいねぇ…。でも、他の動物が来ても怖いから、早くここから離れよ?」
「…うん。そうしよー」
そそくさとその場から立ち去る桜花と紅葉。未だ燻る焼け跡を迂回して、巨木を目指す。
そして、太陽が真上に差し掛かった頃。
一人と一匹の眼前には、超弩級の大樹。天空に向かうその姿は、雲の向こう。
幹は端が見えないほどの太さで、幹から生える根は低めの丘のよう。
ひたすらに高く大きい樹。
その巨大な生命力に引き寄せられるように、人と同じ大きさの蝶や、鷲よりもずっと大きな鳥が、周囲を飛び交っている。
桜花がぽつりと言葉をこぼす。
「…かみさまみたいな木だね」
「うん。大きすぎて、神聖って感じ」
その威容にが呑まれることしばし。
「――でも、着いたね!」
「そうだね…。良かったよ。またおねえちゃんの火の魔法を見ることにならなくて」
器用にジト目を作り、桜花を見つめる紅葉。桜花は視線を逸らす。
「とっ、ともかくっ! 登れるところを探そう。これだけ大きいと、上から見る景色が楽しみだね」
「もう! 仕方ないなあ、おねえちゃんは」
「えへへ。あ、でもその前に」
桜花に連れ添おうとした紅葉がきょとんとして桜花を向く。
「まずは、ちょびっとだけお昼寝しよ。……さっきからとっても眠たく、なっちゃって」
「眠たくなっちゃったの? しょうがないなあ。くれはが周りを見ているね」
「くーちゃん、ごめんね。ありがとう」
暖かな陽光の差す巨木の根元。二人は木陰に座り込み、大樹に背を預ける。
しばしの間、小さく丸まって小休止とした。
休憩を取り、休息が取れた桜花は、紅葉と木の外周を沿うように歩いていた。
根を登り、降り、巨大な樹の根本を探索する。
「よいしょっ、よっと。根っこもすっごく大きいね。登るのが大変」
「これは、ひと苦労だね。ほんとに登れるところあるのかな?」
「うーん。きっとある! 無いと登れないからね!」
自信満々に宣言した桜花に、紅葉はころころと笑う。
「えー。おねえちゃん、それは理由になってないよぉ」
「あれ? そっかあ。でも、きっと大丈夫だよ!」
そんな他愛のない話をしつつも二人は、大樹の根をえっちらおっちら超えていく。
「わあ!あそこから中に入れそう!」
いくつかの根を登りきった頃。
桜花が指差す先に、大人のヒトも優に入れるような大きさの洞。
急いで根の丘を駆け降り、近寄る。
「ほら!奥に続いてる! 樹の迷宮みたいだよ!」
「わ、ほんとに入口があった。しかも、奥も暗くなってないね。中に進んでも目は見えそう」
幹に大きく空いた穴は巨木の内部まで続いていて、誘い込むかのよう。
内部では、仄かに光る木の肌。
沸き起こる冒険の気配。桜花は、手足をそわそわと動かす。
「よし、行こうか、くーちゃん」
「うん!」
洞穴に入り込んで一歩、二歩。足の裏に伝わる大地を踏み締める感触は、でこぼこの木の肌を踏む感触へと変わる。
勾配の緩急はなだらかで、歩きやすい。
四足で歩く紅葉が足元を見つめ、そして左右をきょろきょろと観察する。
「ここ、中に入っても明るいと思ったら、壁や床が光ってるみたい」
「わあ…! 光ってて、きれいだね。――あそこ! 蛍みたいに光が飛んでる」
木肌から落ちた、光る粒子が舞っている。
それは、剥がれ落ちた微細な木くずだった。明るい通路に、ぽつりぽつりと舞う光。
足元ではころころと、ウサワタが転がっている。
光源要らずの道を歩いていると、その先に二又の通路があった。左右に分かれた道の先は、どちらも上向きに続く、同じくらいの広さの通路だ。
樹の中の通路は、カーブを描いている為、その先は見えない。
「この道、ずっと続いてそうだね。…このまま頂上に行けるかな?」
「…先が細くなっていくような感じも無いね。おねえちゃん、どっちに進む?」
「うーん。左に行ってみようか。呼ばれてる気がする」
「え…。呼ばれてるって、大丈夫なの? 危なくない?」
桜花の感覚に、問い返す紅葉。
しかし、それに反して笑顔で桜花は返す。
「うん。嫌な感じもしないから、大丈夫だよ!」
「そっかあ。それなら、大丈夫だね」
紅葉の納得を得た桜花は、左の道へ進む。
代わり映えのしない、仄かに明るい道。
道なりに、進んだ先。道の片隅に何やら白いものが見えてきた。
「わ! ほら、あの先!何かあるよ!」
「お、おねえちゃん待ってえー!」
発見したものに、駆け寄る桜花を紅葉が追う。
「んにっ…! 骨だっ」
「そ、そうだね…ヒトの骨だ」
見つけたそれは、人骨であった。
壁を背に座りこんだ体勢のまま白骨化している。服やリュック、ポーチを身に着けたままの骨。
綺麗な状態の人骨を恐る恐る観察するも、動く気配は無い。
静かに俯いた人骨に、静寂の場。
ふいに、声があふれ出た。
「ちゃお」
「んにゃあっ!」
「ふぇっ! 骨が、しゃべったぁ!!!」
なんと、声の発生源は人骨であった。反対側の壁まで後退り、壁を背にする桜花と紅葉。
彼女らの注目を一身に集めた人骨。その骨は動くことは無い。
だが、その胸元から、にゅっと顔が生えた。
「ぬっふっふ! すまんすまん。驚かせてしまったのじゃ。ボクってお茶目」
人骨の胸元から出てきた顔は、ミントグリーンの色のセミロングヘアーをした少女。
そのままにゅるにゅると身体も生やして全身が現れる。
白と紫色が素地の、ローブを纏った少女。桜花よりも頭一つ分だけ高い身長。
そんな彼女の身体で特徴的なのは、半透明な総身と尖った長耳だった。
「わあああああ!! エルフだあああー!!!」
瞬間。尖った長耳を目にした桜花の瞳がキラキラと輝いた。
片手に握っていた小剣を地面に落としたが、気に留めることもなく詰め寄る。
「エルフさん! こんにちは!かわいい!! あれ?でも透けてる? エルフさんって妖精さんだから避けてるんだね!」
「お、おねえちゃん! そんないきなり!」
エルフを見つけ真っすぐに近づいた桜花は、鼻息荒く両手を突き出す。
「ちょっとだけ! ちょっとだけお耳触らせてー!」
「ぬふふ、良いぞ。触れるのならじゃが」
「やった!!ありがとう! あ、あれれ?」
エルフの少女からの許しを得た途端に、即座に長耳を触ろうとする。
だが、桜花の手はその身体を通り抜けてしまった。
空中で手のひらを握って開いてと繰り返すが、触ることが出来ない。
「通り抜けちゃう…。なんでぇぇ…」
「それはボクが霊体だからじゃな。ボク、死人なのじゃ」
「おねえちゃんー! 霊体だって!怖くないの!?」
しょぼんと下がった桜花の頭と、その頭を撫でる素振りをするエルフ。
その横で、紅葉はあたふたとしている。
少しして、顔を上げた桜花が再び口を開く。
「霊体? 幽霊さんなの?」
「うむ。そうなのじゃ! ボクはこの星樹の迷宮で、命を落としたのじゃよ」
ほんの少し宙に浮いたまま、胸を張って頷くエルフの少女。
「むむ?幽霊さんなんだね。かわいい幽霊さんで良かった!」
「ぬはは。可愛いなんて、嬉しいことを言ってくれるものじゃな」
お互いの身体に触れることは出来ないまま、触れるかのような仕草と共に話し続ける二人。そして前足を右往左往させている紅葉。
大樹の中。しばしの間、賑やかな空間が続いていった。




