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毎朝3本、鼻毛を引きちぎられる男。その名は下野田……  作者: kawauso2017


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第2話 とある店員との会話

 翌朝。


 六時四十分。


 下野田は、妻より先に洗面所に立った。


 箱から出したばかりの最新型を、右の鼻に差し入れる。


 スイッチを入れる。


 ウィィィン、という軽快な音。


 鼻の中で、何かが削られていく感触があった。


 痛くない。


 まったく、痛くない。


 鏡を見る。


 鼻の穴の縁には、何も出ていなかった。


「……」


 下野田は、静かに息を吐いた。


 勝った。


 そう思った。


 朝七時。


 足音。


「ちょっと、こっち向いて」


 下野田は、自信を持って振り返った。


 妻の視線が、顔の中央で止まる。


「また出てる」


「え」


 妻の指が伸びる。


 つまむ。


 引く。


「――ッ」


 三本。


 いつもと同じ、三本だった。


     ◇


 最新型は、確かに優秀だった。


 他の鼻毛は、きれいに整っている。


 短く、均一に。


 鼻の中が、これまでになくすっきりしていた。


 だが、例の三本だけは違った。


 翌朝、下野田は、妻が捨てる前に一本だけ受け取って、明かりにかざした。


 太い。


 硬い。


 他の鼻毛とは、明らかに質が違う。


 刃が当たっても、切れずに、しなって逃げるのではないか。


 逃げて、鼻の奥へ一度引っ込み。


 しばらくして、また外へ戻ってくるのではないか。


 下野田は、そう考えた。


 しかも、伸びるのが早い。


 仮に切れたとしても、翌朝には元に戻っている。神は三本に何か力を与えたのだろうか……


     ◇


 下野田は、工夫した。


 前の晩に切る。


 朝、もう一度切る。


 角度を変える。


 鼻の穴の縁を指で軽く押し広げてから当てる。


 時間をかけて、ゆっくり動かす。


 一週間。


 二週間。


 三週間。


 朝七時。


「また出てる」


 抜かれる。


 一日も、休みはなかった。


     ◇


 ある日の夕方。


 下野田は、いつもとは別の家電量販店にいた。


 あの最新型では駄目だった。


 別の鼻毛カッターが要る。


 エスカレーターで三階へ。


 理美容家電のコーナー。


 鼻毛カッターの棚の前に立つ。


「……ん?」


 下野田は、足を止めた。


 棚が、白かった。


 すべての箱が、裏を向いていた。


 笑顔の印刷も、商品名も見えない。


 見えるのは、仕様表と、注意書きと、バーコードだけ。黒い線が鼻毛に見えてしまった。


 それが、上段から下段まで。


 左端から右端まで。


 一つ残らず。


 しかも。


 角度が、揃っていた。


 定規で測ったように。


 下野田は、しばらくその棚を眺めていた。


 それから、近くで売り場を整えていた店員に声をかけた。


「あの」


「はい」


「これ、こういう展示なんですか?」


 店員は、棚を見た。


 それから、下野田を見た。


 少しだけ、間があった。


「……いえ」


「違うんですか」


「違います」


 店員は、言葉を選ぶように続けた。


「今日、あるお客様が、その……裏返していかれまして」


「裏返して」


「はい。一つずつ」


「全部ですか」


「全部です。四十七個」


 下野田は、もう一度棚を見た。


 四十七個の、白い裏面。


「……持っていかれたものは」


「ありません」


「壊されたものは」


「ありません」


「じゃあ……」


「裏返して、元の場所に戻していかれただけなんです」


 店員は、静かに言った。


「防犯カメラの映像も確認しました。一つ取って、裏返して、戻して。また次を取って、裏返して、戻して。その繰り返しで」


「……」


「途中で他のお客様が来られると、一歩下がって譲っていらっしゃいました」


「譲って」


「はい」


 店員は、棚の下段を指差した。


「それと、倒れかけていた商品は、起こしてから裏返していかれました。値札のずれも、直していかれて」


 下野田は、棚を見た。


 確かに、値札はまっすぐだった。


「むしろ、前より綺麗になってるんです。棚」


「……」


「……」


 二人は、しばらく黙って棚を見つめた。


「何のために」


 下野田が言った。


「わかりません」


 店員が答えた。


「うちの防犯システム、AIで不審な動きを判定するんですけど」


「はい」


「『万引き:否』『破損:否』」


 店員は、一拍置いた。


「『目的:不明』でした」


「……AIでも」


「AIでも、です」


 下野田は、白い棚を見つめた。


 一つずつ。


 丁寧に。


 四十七個。


 盗まず、壊さず、持ち去らず。


 値札まで直して。


 それが何を意味するのか、下野田にはまったくわからなかった。


 店員にも、わからないようだった。


 二人とも、真剣にわからなかった。


     ◇


「あの」


 下野田は、気を取り直して言った。


「鼻毛カッターを探しているんですが」


「はい」


「今使っているものが、合わなくて」


 下野田は、事情を説明した。恥ずかしかった。


 右の鼻の、神が加護を与えた三本だけであること。


 太く、硬く、刃から逃げるらしいこと。


 伸びるのが、異常に早いこと。


 朝七時のことは、言わなかった。


 店員は、真剣な顔で聞いていた。


「でしたら」


 店員は、棚の前にしゃがんだ。


「ちょうど今は、仕様が見やすいので」


 白い裏面を、指でたどる。


「こちらが高出力モデルです。往復刃式で、刃の圧が強めになっています。硬い毛には、こちらのほうが」


 下野田は、身をかがめた。


 仕様表を読む。


 刃の形式。


 駆動方式。


 毎分の往復数。


 鼻毛カッターの仕様を、こんなに真剣に読むのは初めてだった。


 思えば前回は、何も読まなかった。


 読む気力が、なかった。


 今は、読める。


 目の前に、仕様しかないからだ。


「これに、します」


「ありがとうございます」


 店員は、棚の箱には手を触れなかった。


「在庫からお持ちしますね。棚のものは、閉店後に、まとめて表に戻しますので」


「……全部、戻すんですか」


「はい。店長の指示で」


 店員は、少しだけ白い棚を振り返った。


「四十七個、です」


     ◇


 会計を済ませ、下野田は店を出た。


 袋の中には、高出力モデルが一つ。


 あの白い棚のことを考えながら、歩いた。


 誰が。


 何のために。


 わからなかった。


 わからないまま、駅に着いた。


 明日の朝七時のことを考えると、その疑問は少しずつ遠のいていった。


 下野田には、下野田の問題がある。神が与えたチートについて……

※残酷描写:鼻毛を引きちぎられる描写が度々あります。ご注意ください。


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