06 愛を失った番
そうしてマークが知った現実。
廊下で話す侍女たちの噂話。
「……でも最近、陛下も思い直されたみたいよ」
「建国祭の夜会でのパートナーはマリアンネ様にするって言うじゃない?」
「最近、陛下の午後のお茶のお相手はマリアンネ様らしいし」
「そして、陛下はマリアンネ様の部屋には通われていると…」
さらにマリアンネからも突き付けられた事実。
相互理解と称した彼女の嫌味も、今までは聞き流せていた。
だがもう、ただの暴言ではない。
「何だかしばらく見ないうちに、王配陛下はみすぼらしくなったわねぇ」
空腹でソファーに沈み込むマークに、マリアンネが授業を始める。
「見て頂戴このネックレス。希少な黒真珠をキリーがわたくしのために取り寄せて作ってくれたのよ?」
キリアンを愛称で呼ぶ。
「1週間後の建国祭でこれを身に着けて、パートナーとして側に立って欲しいとおっしゃったの。これで皆がわたくしの立場を知ることになるわね」
マークには何も言い返す気力がなかった。
「優れた種族である龍人族は『番』なんて原始的なものに流されることはないの。本能をきちんと抑え込み、愛するに相応しい者を選ぶ知性があるのよ。だからさっさと人間の国の畑の中に戻りなさい。所詮、土中の芋虫は神に愛されることなんてない……これを思い知ったのなら、わたくしはもうお前に教えることはないわ」
マークはふらふらと勉強室から私室に戻った。
鏡に写った自分の姿を見る。
痩せてブカブカになった服。
散髪されずに伸びきったザンバラな髪。
冷たい水で洗濯したせいで、あかぎれだらけの手。
こけた頬に青白い肌、落ちくぼんだ瞳。
マリアンネの姿を思い出す。
艶めき輝く複雑に結われた髪。
愛されてピンク色に輝く頬。
手入れされた紅色の爪、いくつもの大粒の宝石が輝く指輪。
キリアンの瞳色の豪奢な青銀色の着物。
キリアンに贈られた黒真珠のネックレス。
「みじめだな」
みんなに暴言をはかれ、蔑まれようともキリアンの愛という盾があったから、何とか耐えてこられた。
だがそれを失えばもう…
建国祭の最終日。
王宮では国中の貴族が集まる大規模な夜会が行われていた。
夜会は玉座に座るキリアンの開会宣言から始まり、楽団の演奏が開始されると、彼は壇上を降りてマリアンネの手を取った。
今までキリアンのファーストダンスの相手は、必ず番のマークだった。
だが、どの夜会よりも重要かつ大規模なこの建国祭の夜会で、キリアンがパートナーに選んだのはマリアンネだった。
参加した貴族らは驚き、どよめきが広がる。
微笑み合いながら手を取り合い、ホールの中央に進む二人。
優雅に流れるようなステップで踊るキリアンたちを見て、周囲はため息をもらす。
「なんてお美しいの!まるで絵画のよう…」
「息もぴったりね。やっぱり陛下のお相手はマリアンネ様じゃないと」
「カエルみたいに踊る人間とは大違い」
「ピョンピョン跳ねて見苦しいったら…毎回笑いをこらえるのが大変だったわぁ」
クスクスと笑い合う令嬢たちの後ろから、ゆっくりと小さな影が進み出てきた。
長身の龍人族と比べて小柄な人間……マークだった。
マークは踊るキリアンとマリアンネを見つめていた。
だが、その顔には何の表情も浮かんでいなかった。
ただじっと見つめているだけだった。
そんなマークを貴族たちが目にしてざわめき始めた。
音楽が途切れ、ダンスが終わるとマークにいち早く気が付いたのはマリアンネだった。
するすると織柄も鮮やかな正絹の着物を引きずりながら、マークに近づいてくる。
「あら、どうしたの? そんな恰好で」
マークは普段着姿だった。
まるで臭いものに会ったかのように、扇で顔半分を隠すマリアンネ。
その手にはめられた指輪がシャンデリアの光を受け、キラキラと輝く。
「そのような姿で夜会に来られるなんて、いくら番とはいえ陛下の恥になってしまうわ。わたくしの指導が足りなかったかしら…キリーごめんなさいね」
後ろを振り返り遅れてやってきたキリアンを見る。
「……なぜここにいる」
キリアンはマークを見て低い声で言った。
こんな声で話されたことのなかったマークの心は、キリキリと痛んだ。
「お前をこの夜会には呼んでおらん。早く部屋に戻れ」
「……」
マークは何か言おうと口を開いたが、言葉が出てこなかった。
「まぁ。そんなにお怒りになったら可哀そうよ。いいじゃありませんか。夜会に参加したかったのでしょう? こっちに……」
「いいから部屋に戻れ!」
キリアンは怒鳴りつけた。
怒鳴られたのも初めてだった。
そしてそんな顔も……
キリアンは冷え切った目でマークを見つめていた。
彼の腕にはマリアンネがすがりついていた。
そして彼女はマークを見て、それは嬉しそうに笑っていた。
「衛兵! これを部屋に戻せ」
『これ』?
それが今のマークの呼び名だった。
夕食やお茶を共にしない。
閨もなくなった。
散々贈られていた贈り物もぱったりとなくなった。
公式行事にも呼ばれなくなった。
キリアンの心が離れていっているのは、薄々は分かっていた。
だが、女官やマリアンネの口からしか実情は聞いていなかったし、確かめたかったのだ。
本当にキリアンは心変わりしたのか。
だが……
あの冷え切った青銀の瞳。
それで全てを理解した。
愛する人をあんな目で見るわけがない。
マークの中で何かが壊れてしまった。




