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12 番と縁を切る

 キリアンの青銀の瞳に包丁の輝きが映るが、彼はそれを見つめることしかできなかった。


 番が自分に危害を加えるなど信じられなかったのだ。



 見開いたままの瞳に、その包丁の輝きが孤を描く。

 それは真っすぐキリアンの首筋に吸い込まれた。


 青い逆鱗に向かって。




 パリン!



 一瞬の躊躇もなく、突き立てられた包丁は青い逆鱗を割った。


 そしてそのまま肉を切り、キリアンの首から血しぶきが飛ぶ。



「ぐあああああ!」


 キリアンが咆哮をあげ、のたうち回った。




「「「陛下!!」」」


 待機していた龍人国の騎士たちが、その声を聞いて厨房に飛び込んできた。



 血を流し苦しむ自国の王に、包丁を握りしめたままの人間。

 騎士たちはすぐに状況を察し、腰の剣を抜いた。


「人間め! 許さぬぞ!」



 剣を突き付けられたマークは微動だにしなかった。


 魂が抜けたような表情で、苦しむキリアンをただ見つめていた。




 そこで切りつけようと動いた兵士の後ろから、飛び出て来る者がいた。

 カインだった。



 カインは勢いそのまま、マークを殴りつけた。


 マークは吹き飛び、その手から包丁が転がり落ちる。

 強肩な龍人に殴られた彼は、完全に意識を失った。


「番様を捕縛せよ!」



 カインは一度、マークを憐みの目で見つめたあと、兵士に命令した。





 現場で応急処置を受けたあと、キリアンたちは龍人国に戻ってきた。


 医師に丁寧に治療され、自室でくつろいでいるところにカインはやってきた。


「出血量の割には傷は浅いようで良かった」


 逆鱗は割れて取れてしまったが、その固い鱗のおかげでキリアンの怪我は大したことはなかった。


「私の番は……いや、元番はどこにいる」


 キリアンはマークが捕らえられている地下牢へ向かった。




 薄汚れ糞尿の匂いが鼻をつく、牢の一室にマークはいた。


 赤毛は埃まみれになり、服も破れていた。

 殴られたせいで左頬は大きく腫れあがり、目は半分しか開いていなかった。


「醜いな…」


 キリアンのその言葉にマークは顔を上げた。


「こんなどこにでもいるような男を、どうして私はあれほど愛しいと思っていたんだ?」


 不思議そうな顔をするキリアンを見て、マークから笑いがもれる。


「くくくっ。龍人なぞ呪われればいい」



 キリアンのその偽りの愛でたくさんの者が死んだ。

 その罪を一緒に抱えて共に歩もうとしていたマークの愛も、今のキリアンの言葉で叩き壊された。


 これは呪詛の言葉だった。



「僕を殺せ」


 全てを捧げた己が愛を否定されて、マークはもう生きていたくなかった。





 マークは特に罰を与えられることなく、国外追放となった。

 土砂降りの雨の中、簡素な馬車で人間の国に送り返された。





 マークが王宮を出た日、執務室にカインが訪れた。


「あんな美しくもない、平凡な人間をどうしてあれほど愛しいと思っていたのだろう」


 キリアンのその言葉をカインは苦々しく思う。


「マークは良い子だったよ。マークの事で一喜一憂するお前のことも微笑ましいと思っていた」


「もうあの男のことを何とも思わないし、会いたいとも全く思わないんだが……」


 静まり返った執務室に雨の音だけが響く。




「だが、この気持ちはなんだ?」


 キリアンはゆっくりと胸に手を当てた。


「何か忘れ物をしたような…身体から引きはがされたような…」


 そしてそのまま服をきつく握りしめる。




「この胸に大きな穴があいたような虚しさは……何だ?」




 哀れな者を見るように、カインはキリアンを見た。


「……それはお前が、番を失ったからだよ」



「……そうか…これが番を失うということか。先人たちで番に先立たれた者は、皆無気力になったという…そうか…そういう事か…」


 窓から見える雨はますます激しさを増す。





「…番が…マークがもっとバカで傲慢な奴だったら良かったのに」

 キリアンの呟きは小さかった。


「そうすれば、宝石や金を贈ればすぐに機嫌を直しただろうし、不愉快な態度を取る王宮の者には『無礼者!』って怒鳴りつけただろうし、酷い奴には私に言いつけてくれただろう」


 遠雷がゴロゴロと聞こえてくる。


「マークは聡くて優しい子だったな。自分をイジメた罪人の処刑にも心を痛めて、自分がもっと上手く立ち回っていたらと後悔していた」

 カインがそう答えた。


「そんな後悔…!」


 キリアンは何度も首を振る。


「番の立場を守るのは私の仕事だったのに…元々人間に差別的な貴族たちが暮らす王宮に私がさらってきたんだ。王配だと発表する前に、ここで暮らす土台となる教育をきちんと施して、何らかの公務を任せられるようになるまで待つべきだったんだ」


 ピッシャ!と稲妻が走り、その光がキリアンの青白い顔を照らす。


 その後、ズズーンと音をたてて部屋が揺れた。



「あの子の居場所をちゃんと作ってやって、貴族たちも受け入れられるように根回しすべきだった。そうすれば、何人かはあの子の力になってくれる貴族もできただろうに……」


 ぽろりとキリアンの瞳から涙がこぼれた。


「浮かれていたんだ。念願の番を見つけて嬉しくって舞い上がっていたんだ」


「…これからどうするんだ」



「……分からない。愛が無くなって楽になったはずなのに、後悔ばかりが残って苦しくて堪らない」


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