11 番の激高
ある日キリアンはケーキを携えてマークを訪ねた。
庭でそのケーキを食べながらお茶をすることになり、メイドが準備をした。
ケーキはキリアン自ら皿に移した。
「料理長が腕を振るったケーキなんだ」
小さなプティフールケーキで、パイ生地でできていた。
「…キリアンの分は?」
ケーキは1つしかなく、キリアンの前にはなかった。
「私はいいんだ。マークに是非食べさせたくて持ってきたんだ」
不思議に思ったが折角だからと、マークは口に運んだ。
妙に固いパイ生地だった。
シャクシャクと音をたてて食べるマークを見て、キリアンは満足そうに微笑んだ。
それからしばらくキリアンはマークの元に来なかった。
どうやら執務が忙しいようで、贈り物だけは頻繁に送られてくる。
添えられた手紙は明るい内容ばかりで、機嫌が良さそうだとマークは安心した。
だが、キリアンの訪れが減ったことを心配する者がいた。
「もう会わない方がいいと思うの」
ある日エレンにそう言われてマークは驚いた。
「どうして……」
「ここの侍女の方から番様と会うのを控えろと。従わなければクビにすると言われてしまって」
権力者に睨まれた者として、家から追い出されたエレンに住む場所はない。
話すことはできなくなっても、せめて食料をエレンに渡したいとマークは思ったが、それも『特別扱い』になるからダメだと侍女たちに止められた。
そうしていつしか、二人は夜中にこっそり侍女の目を盗んで会うようになった。
その行為がのちに恐ろしい悲劇につながるとは思わずに。
その日もいつものようにマークは、皆が寝静まったあとエレンと厨房で会っていた。
ここで、多めにストックされている菓子などを渡し、10分ほどたわいのない話をする、それが毎日の日課になっていた。
そろそろ部屋に戻ろうとした時、エレンが菓子を受け取り損ない落としてしまった。
それを拾おうとした彼女はつまずいてこけそうになり、マークが支えようとして二人の身体が密着した瞬間――――
ガゴン!
大きな音をたてて厨房の裏口が破壊され、黒い大きな影が飛び込んできた。
その大きな影はフーフーと興奮した息を吐き……
「お前は…! 番なのに私を裏切ったのか!」
抱き合う二人を見て、まさに吠えるような大声で怒鳴りつけてきたのはキリアンだった。
「ちが……」
誤解だとマークが言おうとするが、怒り狂う彼には聞こえない。
「私がお前を思って、我慢をしていたというのに! この下等生物が!」
下等生物とはエレンのことなのか。
マークのことなのか――――
怒り心頭のキリアンが二人を引き離そうと、乱暴に振るった腕がマークの頭を直撃する。
吹き飛んだ彼はさらに壁に激突し昏倒した。
そしてそのまま意識を失った。
マークの意識が戻るまで、それほど時間はかからなかった。
うっすらと目を開けた彼の目に、荒い息を吐く大きな背中が写った。
「…キ…リアン…」
マークが呼ぶ声にキリアンの背中がびくりと揺れた。
「…誤解だよ。こけそうな彼女を支えようとしただけで…」
そう言いながら起き上がるマークの目に、投げ出された足が見えた。
厨房のかまどの影になって身体は見えないが、小さな靴を履いた2本の足が横たわっている。
マークの額から流れるものがある。
血だ。
眼に入ってきてよく見えないが、その小さな靴は見慣れたもの……。
「エレン!」
その足の元に這いつくばって取りすがる。
横たわるエレンの身体。
投げ出された手足。
赤黒く変色した顔
虚空を見つめたまま瞬きをしない血走った瞳。
開いたままの口。
くっきりと刻まれた首のアザ。
「あぁああああ! エレン! エレン!」
マークが揺り動かしても、エレンは人形のようにされるがままだった。
「あなたがエレンを殺したのか!」
振り返ってキリアンを睨みつける。
「…私は…」
毒気が抜かれたように、呆然としているキリアンは言葉が続かない。
「エレンは何も悪いことをしていないのに! 僕たちの被害者なのに! お前が殺したのか!」
「愛しい番に触れるから我慢できなかったんだ…殺すつもりは…」
「……愛しい番?」
はははっとマークが滂沱の涙を流しながら、嘲笑する。
「『愛しい番』……それか『お前』だったか…? キリアンはいつも僕をそう呼ぶ」
キリアンは小さく首をかしげた。
「僕の名前を覚えているか?」
「もちろん…マー」
「僕の名前はマークだ! 一度でも僕の名前を呼んだことがあったか!」
「……」
「番? それが何だ!? その名に何の価値がある? 名前さえ呼ばない奴の伴侶になど僕はなりたくない!」
エレンは抵抗したのだろう。
争ったあとの厨房には物が散乱し、マークの側には包丁が落ちていた。
それを見つけた瞬間、自分のすべき事が彼には見えた。
マークはすばやく包丁を手に取った。
確かめるようにしっかりと握りしめる。
そしてそれを大きく振りかぶった。




