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 冬の朝の空気は、刃物のように冷たく澄んでいた。異世界の冬は寒すぎるという、無駄な豆知識。

 カシアン様との「離縁不許可宣言(?)」から数日。私は、表面上は冷静な「策略夫人」を演じつつも、内面では毎日が脳内お祭り騒ぎだった。


あのカシアン様が、私の手首を掴んで「離すな」と言ったのだ。これは乙女ゲーム的に言えば、間違いなく好感度フラグがバッキバキに折れて、新しい「執着ルート」へと再構築された証拠ではないだろうか。


 ……けれど。

 平和なオタ活(兼・領地経営改善)に、最大の試練が訪れる予感がバッキバキする。


「奥様、大変ですわ! 王都より、神殿の聖女様を乗せた馬車が到着いたしました!」


 新しく雇った若い侍女、リナが息を切らせて飛び込んできた。

 私は手に持っていた羽ペンを、ピタリと止める。


「……聖女? なぜ、この北領に?」


「それが……先のバルト将軍が王都へ戻った際、『北領には瘴気が満ち、伯爵は悪女に毒されている』と進言したそうで。教会が危惧して、浄化のために聖女様を派遣したとのことですわ!」


 私は思わず手に持っていた高級便箋を握りつぶした。

 あの下衆げす将軍、やりやがったわね。

 ゲーム『凍てつく月の騎士』のシナリオにおいて、聖女の登場は物語の「中盤の山場」だ。本来なら、魔獣の傷で倒れたカシアン様を聖女がその奇跡の力で癒やし、二人の間に運命的な恋が芽生えるはずだった。


 だが現実は違う。

 カシアン様の傷を治したのは、私のポーションと滋養強壮剤のおかげ。

 運命の歯車はすでに狂いに狂っている。それなのに、強制力のように「聖女」が送り込まれてきた。


(……待って。聖女、つまりエリアーネ・ド・シャルティエ様が来るってこと!? あの、ふわふわの金髪に聖母のような微笑みを浮かべた、全方位愛されキャラの、あの……!)


 オタクとしての私が叫ぶ。

 「エリアーネちゃんは健気で可愛い。それは同性から見ても、この異世界の真理だ」と。

 けれど今の私は「推しの隣に居座る悪女」なのだ。

 『公式ヒロイン』対『後付けモブ悪女』。勝負の行方は、もう戦う前から明白ではないか。なんという不条理。


「……お、お迎えしましょう。エンドリッヒ伯爵夫人の名に恥じぬよう、最高に『嫌味な』お出迎えをね」


 私は鏡の前で不敵な笑みを作った。

 

 玄関ホールに降りると、そこにはすでにカシアン様の姿があった。

 彼は公式の騎士服に身を包み、峻烈しゅんれつな美しさを放っている。その隣に並び立ち、私は正面の扉が開くのを待った。


 バタン、と扉が開く。はやっ。

 雪崩れ込んできたのは、眩いばかりの聖なる光――を纏っているかのような、一人の女性だった。眩しすぎて、モブの存在が消える。


「カシアン様……! 御無事でよかったですわ!」


 鈴を転がすような可憐な声。

 淡い桃色の法衣を揺らし、駆け寄ってきたのは間違いなくゲームのヒロイン、エリアーネだった。

 彼女はカシアン様の前にひざまずこうとし、その瞳に涙を浮かべて彼を見上げた。彼女は設定上、一切裏がない性格だ。


「王都で伺いましたの。恐ろしい魔獣に襲われ、さらに……不当な策略によって、心を病んでいらっしゃると。私が参りましたから、もう大丈夫ですわ。この地の瘴気も、あなたの心の傷も、私がすべて浄化してみせます!」


 ……。

 ……。

 ……あら!? な、何かしら、この猛烈な違和感は。


 私は、まじまじとエリアーネを観察した。

 確かに可愛い。顔立ちはゲームのモデルそのものだ。

 けれど、何かが違う。

 ゲーム内のエリアーネは、もっと慎ましく、他人の痛みに寄り添う「慈愛の塊」のような子だったはずだ。目の前の彼女はどうだ。初対面の「妻」である私の存在を完全に無視し、開口一番に私のことを「不当な策略の主」と決めつけている。おかしい、おかしい! 彼女は誰にでも慈しむ心を持っている(設定)のはず。


(……これ、もしかして……。ゲームの性格と違う……? あるいは、バルトに吹き込まれて、正義感の方向性がトチ狂ってるパターン!? どっち!? どっちなの!?)


 カシアン様は困惑したように眉を寄せ、彼女から一歩身を引いた。


「エリアーネ殿。遠路はるばる感謝する。……だが、私の体調も、領地の状況も、すでに快方に向かっている。浄化の必要はない」


「そんな……! 遠慮なさらないでください。あなたは今、悪い魔法……いえ、『魔女の毒』にかかっていらっしゃるだけなのですわ。ほら、見てください。そこに立っている方が、あなたを嵌めたという……」


 エリアーネが、ついに私を指差した。

 その瞳には、汚れなき正義の光が宿っている。

 ……そう、彼女は本気? なのだ。自分が「悪女で魔女の毒から悲劇のヒーローを救い出す、正義のヒロイン」だと、微塵も疑っていない。


「はじめまして、聖女様。エンドリッヒ伯爵夫人のシルヴィアナですわ」


 私は優雅に、けれど氷のように冷たいカーテシーを披露した。


「『毒』だなんて〜♪ 人聞きの悪いっ!! 私はただ、夫であるカシアン様を私なりの方法で……ええ、心身ともに深く、濃密にサポートしているだけですの。独身の聖女様には、少々刺激が強すぎたかしら?」


 あえてカシアン様の腕に、自分の腕を絡める。

 カシアン様がビクリと反応したが、彼は私を振り払わなかった。それどころか、心なしか私の引き締めた腕に応えるように、僅かに力を込めた気がした。


「っ……、不潔ですわ! 閣下、離れてください! その魔女からは、禍々しいほどの『執着』の気配がいたします!」

間違ってはいないはね、流石エリアーネ。前世での私の分身。


「執着? あら、愛妻家と言っていただきたいわね」


 私は扇で口元を隠し、クスクスと笑った。なんだか、自分がエリアーネの立場だった時を、想像してしまう。きっと私だって『なにこのモブ悪女』って思うでしょうね。


「聖女様。ここは聖堂ではありませんの。北の守護、エンドリッヒ伯爵家。ここでのルールは、法王庁の経典ではなく、わが夫カシアン様……そして、屋敷を預かるこの私にありますわ。……オズウェル、聖女様一行を客間に案内してちょうだい。(一番冷える)北向きの部屋をね」


「……奥様、承知いたしました」


 オズウェルが引きつった笑みを浮かべて一礼する。


「なっ……! 私は王命と神託を受けて参りましたのよ!?」


「ええ、存じておりますわ。ですから、一晩だけは泊めて差し上げます。……ですが、明日にはお帰りくださいませ。わが家には今、不純な『外敵』を相手にする余裕はありませんの」


 私はエリアーネを冷たく一蹴すると、カシアン様を促してその場を去った。


 ――執務室に戻った瞬間、私はカシアン様の腕をパッと離した。


「……ふぅ。怖かったわ。聖女様のあのキラキラハッピーした目、直視したら目が潰れるかと思いましたわよ」


「シルヴィアナ……。お前、あんな言い方をして大丈夫なのか? 彼女は王都でも、そこそこ影響力のある聖女だぞ」


 カシアン様が、呆れたように、けれどどこか楽しそうに私を見た。


「何をおっしゃいますか。私は悪女ですよ? 聖女様の一人や二人、いびり倒して当然ではありませんか。……それとも、あちらの可憐なヒロインの方がお好みでしたか?」


 冗談のつもりで聞いた。

 けれど、カシアン様は私の目をじっと見つめ、一歩近づいてきた。


「……ヒロインという言葉は分からんが、私の傷を治し、屋敷を守り、今また、あの男の策略から私をかばったのは誰だと思っている」


 低い、熱を持った声。

 カシアン様の手が、私の頬に触れようとして……、躊躇するように止まった。


「……私にとって、神の奇跡など必要ない。……お前の淹れる、あの奇妙な味の飲み物があれば十分だ」


「…………っ!」


(……待って。今の、プロポーズ!? いや、飲み物の感想!? どっちにしろ、推しからの最大級のデレが来たわ! 神様、仏様、シナリオライター様、ありがとうございます!)


 私が内心で狂喜乱舞していると、カシアン様がふっと視線を逸らした。


「……だが、エリアーネ殿は、ああ見えて頑固だ。おそらく、明日になっても帰らないだろう。……シルヴィアナ。お前に、一つ頼みがある」


「なんでしょうか、カシアン様」


「彼女の『浄化』という名の干渉から、私を……いや、この領地を守ってほしい。……私は、お前のような『毒』なら歓迎するが、あのような独善的な『光』に塗り潰されるのは御免だ」


 カシアン様の言葉は、どこか切実だった。

 ゲームのシナリオでは、カシアン様は聖女の光に救われることで、自分の騎士としてのアイデンティティを再確認していた。けれど、今の彼は、自分の力で立ち上がり、私の「毒(現実的なサポート)」によって屋敷を立て直している。

 彼にとって、エリアーネの光は、今までの努力を否定する「余計なお世話」でしかないのだ。


(……分かったわ。これ、いわゆる『解釈違い』が発生してるのね。ゲームのエリアーネは、カシアン様の孤独につけ込んで救済メサイア・コンプレックスを発動させていた。でも、今のカシアン様は孤独じゃない。私がいる。……つまり、彼女の出番はないのよ!)


 私は胸を張った。


「お任せください、旦那様。……聖女様には、現実という名の洗礼を受けていただきましょう。この北領が、お祈りだけで救われるほど甘い場所ではないということをね」


────


 その夜。

 事件は起きた。


 客間に案内されたはずのエリアーネが、深夜、カシアン様の寝室に「夜這い」……もとい、「深夜の浄化祈祷」に現れたのだ。

 

 私は事前に仕掛けていた没落の家宝、ドワーフお手製のオーパーツ、広域思念共鳴警告機(侵入者の「殺気」や「緊張」などの歪な思考波を拾って鳴る、対人特化型の装置。(前世でいう防犯アラーム)の音で飛び起きた。


「……かかったわね、聖女〜!!」


 私はネグリジェの上にガウンを羽織り、カシアン様の寝室へと猪突猛進突撃した。

 

 そこには、薄衣のような法衣を纏い、眠っているカシアン様の枕元で両手を合わせるエリアーネの姿があった。前世での大好物イベント! 私が忘れるはずがない!


「……あぁ、カシアン様。今、あなたの魂に絡みついた悪女の糸を、私が焼き切って差し上げます……!」


「いいえ、それはただの『夫婦の絆』という名の情愛ですわ。焼き切るなんて物騒なことはお止めになって下さる?」


 私の声に、エリアーネが跳ねるように振り返った。


「シ、シルヴィアナ! な、なぜここに……!」


「なぜも何も、ここは夫の寝室〜! 私の家ですわ。……聖女様。人の夫の枕元で、夜中にブツブツと気味の悪い呪文を唱えるのが、教会の教えなのですか? 随分と、はしたない神様もいらっしゃるものですわね〜」


 私は冷徹な視線で彼女を射抜いた。

 その騒ぎにカシアン様も目を覚ました。


「……な、何事だ……!?。シルヴィアナ? それに、エリアーネ殿……? 二人ともここで何をしている!?」


「閣下、見てください! この女は、あなたが眠っている間にもこうして監視を……!」


「監視ではありませんわ! ……愛妻の健全な夜回りです!」


 私はベッドの端に腰掛け、カシアン様の肩を抱き寄せた。

 彼は驚きに目を見開いたが、エリアーネの異様な様子を見て察したのか、ため息をついて私を拒まなかった。いや、私にも少し呆れてる?


「……エリアーネ殿。私は言ったはずだ、浄化は不要だと。……これ以上、私のプライバシーを侵すなら、教会に対して正式な抗議を行う」


「そ、そんな……。カシアン様、目を覚ましてください! この女は、あなたを騙しているのですわ!」

ある意味、間違ってはいない。


「騙されているとしても、それは私の勝手だろう」


 カシアン様は、私の肩に手を回し、エリアーネを真っ直ぐに見据えた。


「私は、彼女の毒に侵されることを選んだ。……エリアーネ殿。あなたの光は、私には眩しすぎる。……もう下がってくれ」


 カシアン様の拒絶は決定的だった。

 エリアーネは顔を真っ青にし、唇を震わせた。

 

「……っ、こ、後悔しますわよ! その女は、いずれあなたを破滅させる……!」


 彼女は捨て台詞を残し、部屋を飛び出していった。


 部屋に沈黙が降りる。

 ……私はカシアン様の腕の中にいることに、今更ながら気づいた。


「…………あの、カシアン様?」


「…………」


「……そろそろ、離していただけると助かるのですが……。心臓が持ちませんわ」本当に!


 カシアン様は、私の呟きを聞き、さらに力を込めて私を抱き寄せた。


「……お前が始めた芝居だろう。……最後まで付き合え」


 耳元で囁かれる、低音の吐息。

 

(……死ぬ。今、死ぬ!! 私の全細胞が幸福で爆発する……!)


だが、その時の私はまだ知らなかった。あのヒロインを侮ってはいけなかったということを……。

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